賭け金はお前の心意気
12月26日 ヨハン共和国 首都セーベ 市街地
水や食糧の補給を行う“買い出し班”の10人は、4組に分かれて市中の市場を捜索していた。新田と共にバッグの捜索を行うのは、サリードの近衛兵であるキャピラ=シヌソイドだ。彼も内心で新田のことを“間が抜けた人だなあ”と思いながら、彼のなくした物について尋ねる。
「その、バッグごと盗まれた“パスポート”というものは、どの様なものなのですか?」
「本来我々のいた世界で、海外へ渡航する時に携帯する、国籍と身分に関する事項に証明を与える公文書です。薄い手帳の様な形をしていて、濃い茶色の表紙になっています」
日本国が発行するパスポートには4種類が存在する。1つは一般人が携帯する紺色ないし赤色の一般旅券、2つは国会議員や国家公務員、公的機関に属する人物が国の用務で渡航する時に携帯する緑色の公用旅券、3つは皇族、首相、参議院議長、衆議院議長、特命全権大使、外交官等が公務で携帯する濃茶色の外交旅券、そして最後は緊急に海外への渡航が必要な時にのみ発行される茶色の緊急旅券だ。その中で新田らが所持していたのは、外交官が公務で用いる「外交旅券」であった。
「ほう、その様なものが・・・」
キャピラは相づちを打ちながら新田の説明を聞いていた。
「バッグの中に入れっぱなしの財布の中に入っている紙幣やカード、そしてパスポートは、この世界の盗人に価値が分かるはずも無いものです・・・無事だと良いのですが・・・」
新田は盗品の無事を祈る。その時、彼が携帯していたトランシーバーに連絡が入った。
「こちら新田、どうぞ」
『こちら野村二尉、ボディバッグを発見した』
「本当ですか!?」
通信は使節団護衛の指揮を執る野村二尉から届けられたものであった。彼から伝えられた捜索物発見の一報を聞いて、新田は思わず感嘆の声を漏らす。
「そこはどこですか!?」
新田は野村二尉たちの現在地を尋ねた。
『首都南西のローム地区5番通りです!』
「いますぐそちらに向かいます!」
新田はそう言うとトランシーバーを切る。直後、彼とキャピラの2人は指定された場所へと走った。
セーベ南西部 ローム地区5番通り
新田とキャピラの到着を待っていた子門・ニイナ・野村の3人組は、遠くから人波をかき分けて息を切らしながら自分たちの方へ駆け寄る2人の姿を見つける。
「・・・来ましたね」
「た、ただいま到着しました・・・ハァ・・・そ、それで私のバッグは?」
新田は息を切らしながら、捜索対象の所在を尋ねる。ため息をついた後、野村二尉はその問いかけに答える。
「ニイナさんに感謝にて下さいよ。彼女が現地の事情に詳しかったおかげなのですから」
「・・・!」
彼が指し示した方を向くと、照れくさそうにしている少女の顔があった。
「ありがとうございます」
新田は自分の鞄を見つけてくれたというニイナに礼を言う。その後、野村二尉ら3人は“ある露店”に商品として売りに出されているバッグの元へ、新田とキャピラを案内する。
「あ、あったあ〜!!」
新田は衝撃のあまり、若干気の抜けた台詞を放ってしまう。探し続けた遺失物をついに見つけたことに感激し、彼は涙が出そうになっていた。
(中身は無事か・・・良かった・・・)
バッグの中をあけると、財布とパスポートがそのままの状態で入っていた。財布の中を確認しても、予想通り、免許証や各種カード、そして紙幣は無事だった。使節団の資金となる金貨銀貨は、元より子門と遠藤が管理しているのでこれについては心配要らない。
「・・・」
中身の無事を確認した彼は、商品の脇で寝ている様子の店主に声をかける。
「おい、主人!」
「起きてるよ〜・・・」
露店の主人は“起きている”と言いつつも、いかにも寝起きといった雰囲気の声を出していた。新田は彼に要件を単刀直入に話す。
「お前さん、悪いがこれは俺が昨日の晩に盗まれたものだ。返してくれないか」
新田はありのままの事実を露店の店主に伝える。主人は少し間を置いて答える。
「駄目だよ・・・こりゃ競売品なんだ。欲しかったら値段書きな。夕方までにそれより高い値を付ける奴が現れなかったら、あんたの落札だよ」
店主はそう言うと、新田が手にとっていたバックを指差す。商品として出品されていた彼のバッグには白い紙が付けられていた。それにはジュペリア大陸の文字で数字が書き込まれている。周りを見れば、どの露店のどの商品にも似た様な白い紙がつけられていた。
この「ローム地区」の露店は“競売市”の形態を執っている。何も書かれてない白い値札に客が値段を書き込み、規定時間以内に最も高い値を付けた客に売り払われるという方式だ。新田のバッグには既に2人の客が値段を書き込んでいた。
「夕方・・・て、ここからの出発が予定より6時間は遅れてしまう!」
子門は驚愕する。先を急ぐ旅路である以上、こんなところで長時間の足止めを食らう訳にはいかなかった。
「これは盗品なんだ! 本当だ、頼む返してくれ!」
新田は何とかしてバッグを返して貰う様に懇願する。その熱意が伝わったのか否か、主人は別の提案をする。
「・・・どうしてもって言うなら、出品者に直接交渉しなよ」
「出品者?」
「ああ、この中に居る。1番奥の席に座っているロークという男さ」
主人はそう言うと、露店の後ろにある建物の扉を指差した。
「出品者が良いって言ったら、持って帰って良いんだな?」
「ああ、かまわんよ・・・」
露店の店主は新田の念押しにこくりと頷いた。店主に促されるまま、新田、子門、野村二尉、キャピラ、そしてニイナの5人は建物の中に入る。その様子を見ていた露店の店主の口元がにやついていたことに、彼らは気付かなかった。
建物内部
建物の中は朝だと言うのに薄暗く、テーブル席が5つくらい並んでいた。看板は無かったが、恐らくは飲食店だったのだろう。5つのテーブル席には、それぞれ怪しげな雰囲気の男たちが座っていたが、新田を含めた5人は露店の主人の言葉通り、1番奥の席に座っている男に話しかける。
「あんたが俺のバッグを品出ししたロークか?」
新田は煙草をふかすその若い男に話しかける。しかし、彼は何も答えない。
「表にある、あの変わった鞄は俺が盗まれたものだ。あんたが盗んだとは言わないが・・・ここは穏便に返してくれないか?」
新田は早速本題を切り出した。ここで男はようやく口を開く。
「そうか・・・そりゃ災難だったな。まあ、返してやらないこともないが、ただじゃつまらねぇ」
「・・・いくら欲しい?」
金を要求されることは元々覚悟している。新田は相手の要求額を尋ねた。
「いや、金は良いんだ・・・」
「・・・?」
新田は金は要らないというロークの真意が理解出来ずに首をかしげる。彼は吸っていた煙草をテーブルに押しつけると、“ある代案”を提示した。
「その代わりと言っちゃ何だが“賭け”をしないか? それで勝ったらあれは返す」
「“賭け”・・・!? もし俺が負けたら?」
新田たちはロークが提示した予想外の提案に驚く。賭け事をするからには、当然こちらが負ければ何かを支払わなければならないというのが筋だろう。新田は彼の目的を尋ねた。
「・・・そうだな、その後ろの兄ちゃんが腰に持っている物を俺たちに渡すって言うのはどうだい?」
ロークはそう言うと、野村二尉が所持していた護身用の9mm拳銃を指さす。
「なっ・・・あまりふざけるなよ! ・・・もういい、交渉の余地は無いな!」
新田はロークの言葉を聞いて憤慨する。自衛隊が所有する武器を賭博の対象に出来る訳が無い。交渉が無駄であることを悟った新田は振り返り、扉から出て行こうとする。他の4人も彼に続いて建物を出ようとした。ロークはそんな彼らを呼び止める。
「おおっと! いいのか? そいつを勝手に持って行ったら、“窃盗犯”はお前らになるんだぜ? 今日の逓信社の夕刊に“ニホン人外交官市場で窃盗”の見出しが載ることになっても良いのか?」
経緯はどうであれ、新田のバッグとその内容物の所有権はロークにあった。あれが新田のものであるという確実な物証が無い以上、立場が弱いのは彼らの方であった。新田は足を止めるとロークの方へ振り返る。
「・・・そんなことで脅したつもりか? いや、何故我々が外交官だと知っている!?」
「・・・!」
妙に痛いところを突いて来るな、そう思いながら言い返そうとした時、新田はロークの言動に不可解な部分があることに気付いた。ロークの方も“しまった”という風な表情を浮かべる。そして彼は急に立ち上がると表情を豹変させた。
「仕方ねぇ・・・手荒な真似はしたくは無いんだが・・・」
彼はそう言うと、手で何らかの合図を送る。直後、他のテーブル席に座っていた男たちが急に立ち上がり、新田ら5人を取り囲んだ。
「な、何のつもりだ!」
「!」
野村二尉は9mm拳銃を構えながら、突如不穏な動きを見せた男たちに向かって叫ぶ。近衛兵のキャピラも腰の剣に手を添えて戦闘体勢をとっていた。
「お前らは賭けに勝たなきゃここから出られねぇ」
「なっ! ふざけるのもいい加減にしろ!」
ロークは相も変わらず何故か“賭け”にこだわっていた。その理由が分からない新田は彼を怒鳴りつける。
「きゃっ!」
その時、ニイナが急に叫び声を上げる。振り返って見ると、新田らを取り囲んでいた男たちの内の2人によって後ろ手に掴まれ、人質にとられていた。
「しまっ・・・!」
野村二尉は悪漢2人からニイナを引き離そうと駆け寄るが、ニイナの首に当てられているナイフの刃を前にして、それ以上行動を起こすことが出来ない。それはキャピラも同様であった。静止している彼ら2人に、脇から1人の男が近づく。彼は野村二尉が手に持つ拳銃に手を伸ばし、余裕ある表情で奪っていった。
「くっ・・・」
人質を前にして相手の良い様にされるしかない2人は、悔しさのあまり顔をゆがませる。拳銃を奪った男はそれを新田に手渡した。
「・・・」
「どうだい? それを賭け金にする決心はついたかい? 断るって言うんなら、その小娘がどうなっても知らんぞ・・・」
ロークはニイナの命を盾にとって新田を脅迫する。後ろを見れば、ナイフを突きつけられて今にも泣きそうな少女の姿があった。
「・・・いいだろう、お望み通り、この『銃』を賭けよう」
「良し!」
新田は自分が招いた不祥事によって、少女と仲間を危機に巻き込んでしまったことを後悔しながら、相手の要求を受け入れる覚悟を決めた。彼の答えを聞いたロークは、指を鳴らして部下の1人を呼びつける。部下がロークに渡したのは、トランプの様に山積みになったカードであった。
「じゃあ、勝敗は『61』で決めようか」
「・・・」
慣れた手つきでカードを切る彼の顔は、歪んだ笑顔を浮かべていた。