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不死王と七つの誓い  作者: 秋野 錦
第四部 魔族侵攻篇

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「産声」

「北宮っ! 北宮ぁぁぁっ!」


 地面に倒れる北宮の元へ、西村愛莉が駆け寄る。しかし、時すでに遅く北宮の体からは徐々に熱が失われ始めていた。奇妙な形に曲がった首に、顔面蒼白となる。


「そ、そんな……し、死んでる……?」

「西村! 感傷は後にしろ! 今はコイツから目を離すんじゃない!」


 その姿に叱責を飛ばすのは藍沢だ。仲間がものの数秒で殺されたという事実を認識していながら、彼の心はどこまでも冷静に凍てついていた。無論、怒りはある。次は自分かもしれないという恐怖もある。だが、それでも真っ直ぐに敵を見据えるだけの度胸も、彼は持ち合わせていた。

 だが……


「う、うああああああああッ!?」


 その場の誰もが彼のように強いわけではなかった。

 叫び、半狂乱になってその場を走り出すのは東野聡。

 自らレオと名乗った魔族はそれを侮蔑の表情で眺めると、


「……逃さん」


 コートの袖から取り出した投げナイフを東野に向け、放つ。その一撃は寸分違わず東野の足に命中し、機動力を奪った。勢い良く走っていたせいで地面にぶつかるように転倒する東野の元へレオが迫る。


「く、来るなぁぁぁっ!」


 地面にへたり込むようにして、振り返る東野。その瞳が僅かに虹彩を放っている。彼の持つ天権『幻覚』は目を合わせた対象に任意の像を見せる能力だ。自らに突進してくる相手に向け、術をかけるのはそれほど難しくなかった。


「むっ!?」


 東野の幻覚により、周囲にいもしない敵の虚像を浮かび上がらせるレオ。一瞬だけその膨大な敵の数に怯んだが……


「なるほど。幻覚か……しかし、これを使うのならもう少し分かりにくい幻覚を現すべきだったな。これだと……虚像だと丸分かりだっ!」


 臆することなく眼前の騎士の虚像へと突進するレオ。見えているとは言え、それは幻覚だ。幻覚だと分かってしまえば恐れることなど何もない。東野の能力は仲間と連携して初めて効果を発揮する能力だというのに、いち早く逃げ出してしまった彼は自らの行いにより……その命を散らした。


「が……ふっ」


 腹部を貫通するのはレオの抜き手。まるで本物の刀剣のように研ぎ澄まされた一撃は見事東野の腹部を貫き、絶命へといたらせた。


「幻覚の天権保持者。ヒガシノタダシ、お前もまた不要だ」


 ずるり、とレオの手元から音を立てて抜け落ちる東野。

 藍沢は目の前の光景はまるで信じられなかった。たった今まで仲良く話をしていた仲間が次々と死んでいくその光景が。


「あ、藍沢……」


 ふいに近くからかけられた声に思わずビクッ、と大げさに反応してしまう。それは仲間の西村の声だった。呆然と視線をさまよわせる西村はすでに崩れ落ちてしまいそうな有様だ。これではとても戦えない。

 それが藍沢には長い付き合いですぐに分かった。だから……


「お前は逃げろ……西村」

「……藍沢?」


 自分が戦うしかないと、藍沢は西村の前へと一歩を踏み出した。レオの……魔族の前へとその身を晒すのはとてつもない恐怖だった。今にも足が震えだしそうだ。それでも前に出るのは男の意地なのか、それとも仲間を殺された怒りによるものなのか、今の藍沢には何も分からなかった。

 ただ、自分がやらなければと。不思議な使命感のようなものに突き動かされ。


「くっ……」


 手元の剣が小刻みに揺れている。

 震えているのだ。自分自身が。

 まさか使うことになるなんて思ってもいなかったこの武器を手に、ルーカスに言われたことを思い出す。戦いになれば誰でも震えるはずだ、それを乗り越えるためにはまず、自分から一撃入れることが肝要なのだと。


 藍沢はクラスメイトの中でも特に剣技の評価が高かった。だからこそこうして本格的な騎士剣を与えられているのだが、それでもこれを魔族に対して振るうのは初めてのことだ。

 しかも、先ほど仲間が二人殺されたばかり。それで緊張するなというほうが無理というものだ。


「ああああああああああああッ!!」


 それでも藍沢は駆けた。

 きっと自分はここで死ぬだろう。そんなことをぼんやりと考えながら。

 そして、その無謀とも言うべき突撃に対し、レオは一言……


「美しい」


 目の前の"敵"に向け、にやりと笑みを形作る。

 そして眼前に振り下ろされる騎士剣に対し、生身の拳をぶつける。

 たったそれだけ。それだけのことで……


 ──藍沢の剣は主人を巻き込みながら粉々に吹き飛ばされた。


 それは不可思議としか言いようがない光景だった。剣を生身で砕いたこともそうだし、藍沢の吹き飛ばされ方が尋常ではなかった。まるで大型トラックにでもひかれたかのように体中に打撲痕を残しながら地面を舐めるように転がる藍沢。それがようやく止まったのは元の位置から10メートル以上も離れてのことだった。


「ぐ、が……」


 たった一撃、拳を振るっただけで藍沢はあっさりと敗北した。何が起きたのかも、何をされたのかも分からないままに。

 地面に触れる耳元へ届くのはじゃりっ、という靴が砂を踏みしめる音。藍沢の傍らに佇むレオは目の前の勇者に向け、餞の言葉を送る。


「貴様の葛藤は正しい。人は選択する生き物だ。生きるためには何かを犠牲にしなければならない。それは手を下す他者であり、自らの価値観、常識、感情すら時には手放す必要がある。貴様が一体何のために戦うことを選んだのかまでは私には分からない。だが悩み、それでも決断を下した貴様は間違いなく勇者であった。誰にでも出来ることではない。それ故に貴様の行動は……実に美しかったと賞賛を贈らせてもらおう」


 朗々と、自らの価値観を吐露するレオ。

 優雅に両手を広げ、演説して見せるその姿はどこまでも真剣だ。


「……お前は、俺を……殺す、のか?」

「必要があれば、だ。この邂逅が貴様にとっての不幸であるかどうかは貴様が決める。このまま死ぬのは本望ではなかろう。僅かに在る生き残る可能性に賭け……名を名乗るが良い。小さき勇者よ」


 藍沢にはレオの言っていることの意味が全く分からなかった。それでも名を名乗れ、と言われたことに対し反射的に口を噤んでいた。そして……


「ふむ……言わぬか。では貴様は"後"だ」


 そのことが結果的に藍沢の命を救った。

 満足に動くことの出来ない藍沢のもとから立ち去るレオが向かうのは西村愛莉の元だった。ひっ、と小さな悲鳴を上げる西村は藍沢がやられる間もその場を動くことが出来ずにいた。


「仲間はもう皆やられたぞ。残るは貴様だけだ。本来女子供に手を上げるのは私の信条に反するのだが、命令とあれば是非もない。悪いが覚悟を決めてもらうぞ」

「い、いやっ!」


 自分の元へ歩み寄るレオに反射的に逃げ出す西村。彼女の天権である『透過』を使い、壁から直接建物の内部へと逃げていく。その姿を見て、残念そうに呟くのがレオだ。


「物質の透過……つまり、貴様がニシムラアイリということか。残念だ。ああ、非常に残念だ。少女までもが不要対象とは……残念だ」


 言葉の通り、顔を暗くさせる彼はその風貌と相まってますます不気味な様相を醸し出す。ともすれば死神と見間違えない雰囲気を滲ませるレオは、


「ハアッ!」


 直接壁を拳により吹き飛ばし、西村を追い始める。

 いくら木造の建物といえど、素手で破壊できるような柔な造りはしていない。最早人外というに相応しい破壊力を見せ付けるレオは逃げ続ける西村へ迫り、迫り、迫り……そして、


「お終いだ」


 ついにその背に追いついてしまった。

 振るわれる拳が西村の背中に触れた瞬間、その部分が爆ぜた。まるで手榴弾でも投げ込んだかのような威力に体を抉られる西村は建物の中を吹き飛ばされ、そのまま絶命した。


 都合三人の召喚者が殺されるまでにかかった時間は僅か数分。

 しかし、その出来事以上に恐ろしいのはレオの名乗った階級が第十一席であったという事実。つまり、彼は魔王軍の中でも下から数えて三番目の能力者ということなのだ。

 だというのに、手も足も出せずに殺害されたのは召喚者と魔族との力の差を如実に現しているといっていい。


「ぐ……」


 しかし、それも藍沢にとって今考えるべきことではなかった。彼が今すべきことは何とかしてこの場を離脱すること。芋虫のように這いながら死地を脱しようと移動を続ける彼の元へしかし、レオは先ほどと変わらぬ態度のまま舞い戻る。


「待たせたな」


 まとまらない思考中、必死に生きる為の活路を探す。


(こいつはなぜ俺を一度見逃した? それにさっきから言ってる不要対象って言葉……もしかして、誰かを探してるのか?)


 その思考に行き着いた時、藍沢はレオの思惑の半分以上を看破していた。しかし、それでも不確定要素が多すぎる。現段階では全てを推測することは不可能だった。


 だが……僅かな希望は見えた。

 男は誰かを捜している。先ほどからこちらの陣営の名前を把握していることからもそれは伺えることだ。問題は誰を探しているのか、だがそれはこのタイミングで藍沢達の前に現れたこと、最初からまるで"藍沢達がどんな天権を持っているか確かめるような"行動をしていることである程度推理できる。


(きっとこいつは俺たち召喚者の誰かを探しているんだ。なら……)


 その結論を下した藍沢は緊張を唾と共に飲み込み、告げる。


「"俺は召喚者じゃない"……だから、頼む……命だけは助けてくれ……」


 他の仲間と全く同じ格好、同じ髪色と瞳をしていて召喚者ではないなんてそんな嘘は普通、通じないだろう。だが……藍沢の場合は違う。嘘の天権を持つ彼だけはこの状況の中、レオを欺くことが出来た。

 そして……


「何だ、そうだったのか。それは悪いことをした。私はクレイと違い殺戮趣味はないのでな。手当ては出来ぬが、これ以上手を下さないと誓おう。小さき勇者よ」


 ざっ、と身を翻し、藍沢の下を立ち去るレオに藍沢はひとまず命拾いをするのだった。その姿が来たときと同じように闇に解けるかのように消えていく様を見ながら藍沢は冷や汗が今更ながらに吹き出るのを感じていた。


 まるで次元が違う。こうして生きていることは奇跡以外の何者でもないと断言できる。だが、それが幸せなことだったのかどうかは……分からない。


「北宮……」


 視界の端で首を逆方向に折り曲げられた状態で倒れる彼は一番古い友人だった。口数は少ないが、頼りになる男で藍沢はよく彼に相談事を持ちかけていた。


「……東野……」


 腹に風穴を空けられた彼はお調子者で、いつも賑やかなチームのムードメーカーとも言うべき人物だった。あまり陽気な性格をしていない藍沢は何度彼に影から助けられたことだろう。


「……西村」


 レオの態度からすでに息絶えているであろう彼女はいつも仲間を大切にしていた。それが外部への攻撃的な性格として現れることもあったが、藍沢はそんなところも気に入っていた。周囲に迎合しない彼女は真っ直ぐに生きていたのだから。


 しかし……それら全ての友人を藍沢は一度に失ってしまった。

 血に染みた大地に無様に這いつくばり、ただただ痛みに耐えることしか出来なかった。体と、それ以上に痛む心から。


「あ、ああ……」


 涙に揺れる視界に写るのはどこまでも残酷な現実。

 気が狂いそうなほどの激情の中、


「ああああああああああああああああああああああああアアアアアアアアアアアアアッ!!!」


 全てを失った男の慟哭が、

 異世界の不条理に呑まれた幼子の産声が、


 高々と朝空に響き渡った。

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