「第九席」
情けは人のためならず、という言葉がある。
現代ではこれを、情けをかけるのはその人の為にならないと誤用する人が多々いるが本来は他人に良い行いをすることはその人のためばかりではないというのが本当の用法だ。
つまりは因果応報。良い行いには良い結果が返って、悪い行いには悪い結果が返ってくるということだ。そのことわざに倣うとするならば、なるほど。俺の今の状況はまさしく因果応報と言うに相応しいのだろう。
目の前にはクレイと名乗る、強敵の魔術使い。
彼が俺を殺そうとする理由は単純明快。俺が彼の仲間を殺したからだ。
死の代償には死を持ってしか償えないというのは俺にしても頷ける理論だ。シェリルの死の責任を、俺の死の責任をクラスメイトに死という形で償わせようとする俺と全く同じ思考回路。
仲間の仇に燃える彼はまさしく一篇の復讐譚の主人公だ。
もしかしたら煌びやかな美談足りえるかもしれないその行動原理に対し、俺が抱く感情はただ一つ。
「──ふざけるな」
もしかしたら、これはただの我侭なのかもしれない。自分でやるのは良くても、誰かにされるのは耐えられないなんて子供の理論そのものだ。だが、それでも……あの屑を殺した代償をこんな形で支払わされるなんて我慢がならない。
「勝手なことを抜かすな。俺はアイツに死ぬより何倍も辛い生き地獄を味合わされた。本来なら死んだ程度じゃお釣りが足りねえんだよ」
「はッ! てめえこそ随分勝手な理屈を並べるじゃねえか。地の下に眠るリンドウはお前と違って、もう何も感じることができねえんだぞ? どっちのほうが辛いかなんて比べるまでもねえ」
「……それこそ、勝手な理屈だっての」
「あん?」
「俺は今も焼かれ続けてる途中だ。どっちが辛いかなんて分かりきってる? ああ、そうだろうな。この世界で生きること以上に辛いことなんてありはしねえんだからよ」
生きることは辛い。
ともすれば自ら命を絶ってしまいかねないほどに。
俺がこの手で始末した男は言った。
この世で自殺なんて奇特な行動を取る生物はニンゲン以外にいやしないと。
俺はその言葉に酷く納得したものだ。まさしくそれこそ真理の一端を担っているとすら思った。俺たちは心なんてものがあるから苦しむのだ。もし、最初から他の動物に生まれていれば、こんな痛みに気付くこともなかっただろうに。
「心は消えちゃくれない。どんなに願ってもな。だから……もういい加減にしてくれ。俺はもううんざりなんだよ。俺の舞台に望まぬ役者はいらない」
ドクン、ドクンと心臓の音がやけに煩く聞こえる。
ああ、駄目だ。この感覚は……自分が自分でいられなくなる。それが分かっていながら、俺はもう……その衝動に抗うことができなかった。
「──失せろ、俺の視界に入るんじゃねえ。この場違い野郎が」
紛れもない本心を口から漏らしながら俺は駆ける。小太刀を片手に狙うのは目の前に立ち塞がる障害物。
血、そう……血だ。血が欲しい。首を斬り、鮮血のように吹き上がる血が見てみたい。ドロドロと、グチャグチャに解体してしまいたい。俺に絡みつく因縁ごと、ぶった切ってしまいたい。
この世の有象無象、全てが煩わしい。どけよ、俺の道の邪魔をするな。お前になんか用はない。死ね、死んでしまえ。今、死ね。ただただ目の前の男の死だけを願い、小太刀を振るう。逸る衝動……殺人衝動へとその身を浸しながら。
もし今目の前に鏡があれば、そこにはかつてあの男が浮かべていた醜悪な笑みが広がっていることだろう。だが、そんなことどうでもいい。ただ、俺の道を塞ぐ邪魔者さえ死んでくれるなら……
「ちっ、何だコイツ……ッ!?」
技も何もない、ただの特攻を前にクレイは確かに怯んで見せた。それは俺が味わったのものと同じ、狂気への入り口だ。死兵を前にしてなお、その真紅の刃を振るう姿は見事。ただそれしかその身を襲う恐怖を振り払う術がないのだとしても。
「ぐっ!」
俺の小太刀とクレイの真紅の刃が激突する。流動的な奴の刃はしかし、しっかりとした質量を持って俺に手に反作用を伝えてくる。どうやらこれは俺の禁術とは違い物理形成型の魔術らしい。とするならば目に見える以上の脅威は存在しない。
奴の語っていた第九席という記号は恐らく、魔族の中での序列を示すもの。だとするならば彼は相当の下位ということになる。戦ってみた感じ、リンドウやアゲハほど強力な能力でもなさそうだし俺が負けることはないだろう。
「この……くそ野郎が! 調子に乗ってんじゃねえ!」
吼えるクレイの両手からまるで蛇のようにうねりながら真紅の槍が飛来する。形を変え、迫る刃に対し、俺は……
「──炎舞」
高く、高く飛翔しその包囲網を強引に突破する。真上に跳躍した俺はそのまま重力に引かれ、クレイの下へと落ちていく。その際に、下方向への炎舞を追加し加速する。まるで隕石のような勢いで俺の落下する踵落しが、クレイへと叩き込まれ……
──ビギィッッッ!
両手を交差し、ガードしたクレイの足元の地面がクレーターのようにひび割れる。
(……なんだ? 何をされた?)
確かな手ごたえはあった。だが、クレイは俺の攻撃を受け止めきってみせたのだ。普通なら受けた手が粉々になっているだろうに。
「やるな……だが、甘ぇ!」
笑みを浮かべるクレイの両手には鮮血が纏わりついている。それを見た瞬間、俺はクレイの能力を察した。つまり、今までの攻撃全て、奴は"血液"を変形させ襲いかかっていたのだ。
今回俺の炎舞を受け止めたのも、血液で作ったフィルターを挟んでのこと。足元にできたクレーターは奴の血液に阻まれれ、衝撃を下に逃がされたからこそ起きた現象だったのだ。
「……攻防に使えるいい能力だな」
「何だ。もうバレちまったのかよ。まあいい、どの道分かったからって対策が立てられるもんでもねえ……」
にやりと笑い、腰を落として右手を引き、脇腹の辺りで猛禽類の爪先のように指を開いて構えるクレイ。
何か……来るッ!?
「血潮を上げろ──血闘乱舞ッ!」
クレイの振るう右手から勢い良く射出されるのは死神の鎌を連想させる真紅の刃。先ほどよりも鋭く、速く、正確に俺の首筋を狙って伸びる血の道は到底かわせるような速度ではなかった。
「ッ──炎舞!」
俺がその魔術を発動したのはほとんど反射に近い行動だった。そうでもしなければかわせないと、半ば自分から吹き飛ぶようにその場を離脱する。だが、それでも奴の刃は完全にはかわせない。首が半分千切れるような格好で俺は何とか命を繋ぐ。
「ぐ……」
今のは危なかった。脳は心臓と同じく回復させるのに莫大な魔力を消費する部位だ。下手をすればその一撃で死んでしまいかねない俺の弱点。そこを的確に狙ってくるあたり、向こうも流石といったところか。
地面を転がり、何とか体勢を立て直そうとする俺にクレイは次々と追撃をしかけてくる。奴の血液は自在に形を変え、硬度を変え、俺の命を奪いに来る。時には槍のように、時には弓のように、時には鎌のように。その変幻自在な攻撃手段こそがクレイの持ち味で、長所なのだろう。全くやりにくいことこの上ない。
「くっ……面倒な!」
この距離でもかわすのに精一杯なのだ。近づけばその瞬間に細切れにされてしまうことだろう。奴の攻撃半径が俺の灼熱の剣のそれを大きく上回っているため剣を取り出すことすらできない。奴に接近する術がない以上、魔力を悪戯に消費するだけだ。
(どうする……どうすればいい?)
決死の覚悟で突っ込むには決定打が足りない。確実に奴を仕留められる算段が立てばいいのだが……。
俺がクレイの攻略法を必死に模索していた、その時だ。
「──ぐ、がッ!?」
ドスッ、と背後から衝撃。それは俺の腹部を貫き、刃先を覗かせる長剣だった。俺の血に濡れ、朝日を反射する切っ先に俺は新たな襲撃者が現れたのだと悟る。
前方に踏み出し剣を引き抜きながら首を捻って後ろを見ると、そこには剣を手に持つ騎士の姿があった。
最初は指名手配されている俺を殺しにきたのかと思った。だが、すぐに騎士の様子がおかしいことに気付く。
目の焦点が合っていないのだ。虚空を見据える瞳は俺ではなく、遠い彼方を見つめているかのよう。しかも、それに加えてその存在感のなさ。その騎士からはおおよそ殺気と呼ばれる類のものを一切感じ取ることができなかった。
まるで機械か何かのようにそこに佇む姿に俺は本能的な寒気を感じ取った。
何だ……何なんだ"コレ"は!?
「──『死者の祭典』、それが私の愛すべき忠臣達を生み出す至高の権能」
カツン! と小気味良くヒールを鳴らして歩み現れたのは小柄な女性。見ればまるでこれから舞踏会にでも赴くかのようなゴシック風の黒いドレスを身に纏っており、その口元には上品に扇が広げられていた。
「何だ、カグラ。そっちはもう終わったのかよ」
突如現れた女性にクレイが親しげに話しかける。ということは……こいつも魔族なのか?
「貴方の仕事が遅すぎるのです。一般人相手に何を梃子摺っているのですか、クレイ」
「いやいや、コイツは一般人なんかじゃねえっての。お前も知ってるだろ? こいつがアオノカナタだよ。一般人どころか数少ない俺たちを殺せる人間だ」
僅かに肩を上げるクレイにカグラと呼ばれた女性がその藍色の瞳を白黒させている。だが、それも一瞬のこと。すぐにスカートの両端をちょんと指で握ったカグラは恭しく一礼してみせる。
「あら、そうでしたの? それはとんだ失礼を。でもそれなら貴方の元へ助勢に来た私の判断は間違っていなかったということですわね。第九席程度の貴方では手に余る相手でしょうし」
「たった一つしか階級違わねえのに、どんだけ上から目線なんだよ、オイ」
口を尖らせ反抗するクレイを尻目に俺はこの場を離脱するため、周囲に視線をめぐらせていたのだが……そう簡単に逃がしてくれるほど甘い相手ではないらしい。
「おっと逃がしはしませんよ。"囲みなさい"、貴方達」
アゲハの号令で俺を取り囲むのは数人の騎士、それに加えて十人近い村人がぞろぞろと幽鬼のような足取りで俺の行く手を阻む壁となる。まるで出来の悪いゾンビ映画のような光景に戦慄が走る。間違いない。こいつらは"本物"だ。
焦点の合わない視線、動かない心臓、感じられない吐息。それら全ては目の前の人物がすでに故人であることを示していた。だが……そんなことはありえない。死んだ人間が動き回るだなんて、性質の悪いジョークではないか。
「……これはアンタの仕業かよ」
視線に自然と怒りが篭るのを感じながら、俺はカグラを睨み付ける。だが当の本人はどこ吹く風といった様子で微笑みながら俺の問いを肯定する。
「ええ。私の能力は死者を操るもの。元の運動精度には及びませんが、それなりに動かすこともできますのよ」
まるでテストで良い点を取ったことを親に報告する子供のような口ぶり。彼女はこの魔術を是としているのだ。この冒涜的とも言える能力を。
きっと俺はこのカグラという女とは性格が合わない。そのことが一瞬で分かってしまった。性格、というかスタイルの問題だ。自分では戦わず、他者を、しかも死人を使役するだなんて醜悪に過ぎる能力。反吐が出そうだ。
だが、そんな気持ち悪さも今は構っていられない。
クレイ一人にさえ、手を焼いていたところに二人目の魔族が現れたのだ。しかもさっきの口ぶりからすると他にも仲間がいるのかもしれない。何とかしないと……俺はまた失うことになる。何もかも、ようやく見つけた生きる希望すら。
(それだけは……絶対に許せない)
突如訪れた戦場で、俺はかつてない劣勢の中覚悟を固める。
戦う覚悟を。
生き残る覚悟を。
この、魔族という強敵二人を前にして。




