「紅の少女」
夢を見ていた。
それは幸せな陽だまりの中にあるような夢。
小さな丘の上で、一本の大木から漏れる木漏れ日を浴びる俺たち。
シェリルがいて、紅葉がいて、奏がいて、宗太郎がいて、拓馬がいて、そしてその中になぜかイリスとステラまでいるという記憶のどこにもありはしない幻想の景色。
俺はその中で笑っていた。
何気ない、他愛無い会話の中で。
その日常の中には血生臭い全てが排斥されていた。剣も、魔術も、敵も、裏切りも、悲しみも、復讐も、全て……。
「カナタ様、具合でも悪いのですか?」
ふいにかけられた声、それは俺の顔色を伺うシェリルのものだった。
「いや……あまりにも良い日差しだったからさ、少し眠たくなっただけだ」
「そうですか。では、特別に私の膝を貸してあげましょう」
眩しすぎる光に目を細める俺に、シェリルはそんなことを提案してきた。
この年にもなって、彼女でもない女の人に膝枕してもらうなんて羞恥プレイもいいところだったが、自然と俺はその膝に体を預けてしまっていた。きっと、これが夢だからだろう。叶わないことだからこそ、望んでしまう。
「気持ち良いですか? カナタ様」
俺の髪を撫でながらシェリルが問う。
それに対する俺の答えは素っ気無いものだった。
「ああ……そうだな」
瞳を閉じ、まどろみの中考える。
これは夢だ。
どこにもありはしない。もう二度と見ることは叶わない夢。
俺はこんなところで立ち止まっている暇なんかない。復讐するべき相手はもう一人残っている。このままでは死んでも死に切れない。だというのに……
「なあ……シェリル」
「はい。なんですか、カナタ様」
シェリルのことを考えるとき、胸を過ぎるのは万感の想い。たった一言の単語なんかでは到底言い表すことの出来ない混沌とした感情。だけど、それでもたった一言告げることが出来るのなら……
「俺さ、お前と会えて良かったよ」
俺はこの言葉をシェリルに贈りたいと思っていた。
言いたくて、言えなかった言葉。
俺の言葉を聞いたシェリルは一瞬ぽかんとした表情を浮かべ、その後すぐにいつもの笑顔を浮かべてくれた。
──太陽に向かって咲く、向日葵のようなその笑顔を。
ああ、そうだ……これは夢だ。もう、この世のどこにもシェリルはいない。そんなことは分かっている。俺には目的がある。待っている人がいる。だから、こんなところで眠っている場合ではない。
だけど……もし許されるのなら。ほんの少しで良い。
もう少しだけ、俺に夢を見させてくれ……。
「……もうすぐ、冬が来ますね」
呟くシェリルは空を見上げ、俺の顔を抱きしめるように包むこむ。
まるで冬の寒さから俺の体を守るように。
まるでいつでも傍にいると、そう言っているかのように。
俺は陽だまりの中、ただ温もりに包まれそこにいた。
いつまでも、いつまでも……安らかな眠りにつくその時まで。
---
暖かい。
まず初めに感じたのがそれだった。
パチパチと焚き火の燃える音と共に俺はゆっくりと意識を覚醒させていく。眼前に広がるのは星の輝く夜空。どうやら俺は意識を失っていたらしい。
「う……」
重い頭を抑えながら何とか上半身を浮かしてみると、そこには見慣れない景色が広がっていた。平原の一角、突き出した岩石の陰に隠れるようにして陣を敷いているのは分かったがなぜこんなところに俺はいるんだ?
「あ、やっと起きたんだね。お兄さん」
俺の疑問に答えたのは若い、女の声だった。
すぐ傍から聞こえてきた声にぎょっとしながらその姿を探すと……
「思ったより早く起きたね。まだお兄さんが倒れてから半日しか経ってないよ。あ、具合が良さそうなら夕餉にしよっか? 昼にとってきた猪肉がまだ残ってるから」
そこにいたのは朝方出会ったクロと名乗る女の子だった。
だが、その格好が問題だった。
「……いや、あの……何してるんです、か?」
思わず敬語になってしまう。なぜなら目の前の女の子は一糸纏わぬ全裸の姿で俺に抱きついていたのだ。正直、意味が分からん。どうしてこうなった。
「ん? これ? だって仕方なかったんだよ。お兄さんったら青白い顔で倒れてどんどん冷たくなっていくんだもん。体を温めるならやっぱり人肌が一番だと思ってね」
「いや、そうじゃなくてさ。何で俺のこと助けようとしてるのかが聞きたかったんだが」
俺の問いに、同じ寝袋に包まったままのクロが可愛らしく小首を傾げながら答える。
「んー。何でって言われてもなあ……お兄さんとの殺し合いが楽しかったから?」
「可愛い顔とのギャップがすげえな、その台詞」
前にも感じた薄気味悪さに体を震わせると、それを寒さ故と勘違いしたのかクロがその色々と育った体をぎゅーっと俺に押し付けてくる。
ちょっ……ままま、まずいって!
「お、おい。離れろよっ」
「いやー! クロだって寒いんだもん!」
「だったら服を着ろ!」
慣れない状況に思わず声が荒くなってしまう。
だ、だって、ねえ? 俺だって健康的な男子高校生ですし? 少しくらい動揺するのは許してほしい。これがイリスのような幼児体型ならまだしも、この女の子ほど成長していると流石に照れる。
「ずっとイリス達といたってのもちっとも女慣れしてない自分にびびるぜ」
「んー? 何か言ったー?」
「何も言ってないからさっさと着替えろ」
岩陰で着替えるクロの方向から、ごそごそと布が擦れる音が耳に届く。その内に俺はこっそり装備を確認しておくことにした。
(拓馬からもらった小太刀は……ああ、あそこか。しかし目の届く範囲に武器を置いとくなんて無用心な奴だな)
焚き火の近くに置かれた小太刀にクロの危機管理意識の低さを目の当たりにした気分だ。さっきまで殺し合いをした仲だと言うのに一体どういう神経をしているんだか。
「お待たせー。それじゃ、少しお話しよっか」
無事着替えてきたクロは少しだけ変わった服を身に着けていた。この世界で一般的に普及している羊毛とは違い、絹で出来ているのか見るからに上等な一着。デザインも和服のように何枚も折り重なる構造をしており、一目で高級品と分かった。
(となるとかなり裕福な家の出……って感じはしないよな、コイツの場合)
目の前の少女の素性を分析しながらも俺は立ち上がり、
「悪いが話してる暇なんて俺にはないんだ」
「えー、なんで!」
「俺には行くところがある。待ってる奴がいるんだよ。こんなところで油を売ってる場合じゃないんだ」
服装を整え、旅支度を始める俺をクロは慌てて静止してくる。
「ちょ、ちょっとお兄さん。流石に夜間の旅は危なすぎるよ。視界は悪いし、道にだって迷いやすい。夜の間は体を休めるのが旅の鉄則でしょ?」
「確かに正論だけどな。どっちにしろ俺には時間がないんだよ。俺は今、指名手配されてる。そんな中、旅の道具も持たずに放り出された状況なんだ。一日でも早く隠れられる場所に行かないと」
食料もない、寝具もない、テントも武器も燃料も移動手段すらないのだ。そんな状態では旅なんて長くは続けられない。俺にはもう、イリス達と運よく合流できる可能性に賭けるしか道は残されていないのだ。
「夜なら遠目でも旅人の拠点が見つけられるかもしれん。獣除けに火を焚く奴がほとんどだからな。だから俺にしてみればむしろ今こそ行くべきなんだよ」
半日寝ていたおかげでそれなりに魔力も回復しているし、三日三晩程度なら休まず行動できるだろう。その間に何とかするしかない。
「う、ううん……お兄さんが急いでるってのは分かるんだけど……でも夜の道は本当に危ないよ?」
「それは分かってる」
日本と違って照明灯が設置されている訳でもないこの世界の道は本当に視界が悪い。それに加えてきちんとした道が整備されているわけでもないので、ちょっと移動するだけですぐに方向感覚を失ってしまう。
俺だって一度旅は経験しているからそのくらいのことは分かっている。分かっていて行くのだ。
そんな俺の頑なな態度にクロは手を握ったり、口を開けたり閉じたりと逡巡する様子を見せ、
「~~~~~っ! 分かった! お兄さん、クロが何とかしてあげる。旅の道具なら一式持っているからさ。お兄さんが行きたい場所までついて行ってあげる!」
そんな、予想もしていなかった提案をしてくるのだった。
「は? ……いや、お前だって行くところがあるだろう。俺になんか構っている場合じゃ……」
「いいの! 折角助けてあげたのに、どっかで野垂れ死ぬなんてもったいないもん!」
「俺が野垂れ死ぬことは確定なのか……」
なんとも強引な物言いだが……さて、どうしたものだろう。ここでクロの提案を飲んで一緒に行動してもらえれば確かに旅は格段に楽になる。だが……
「……なあ。そういえばお前、一人で旅してたのか?」
考える途中、少しだけ引っかかったので聞いてみる。すると、クロは少しだけ自慢げな顔をして豊満な胸を反らし答える。
「クロは一人でも強いからね。旅の仲間なんて必要ないんだよ」
「それは頼もしいことで」
視線がやや下方向に引っ張られながらも、俺は考える。こいつは信用できる人物なのかどうかを。だが、それも考えるまでもなく分かっていることではあるのだが。
(もし俺に害を加えるつもりならとっくにやってる。殺してから所持品を持ち去るぐらい鼻歌交じりにやりそうだしな)
「ふむ……」
「ねえ、お兄さん? そんな真剣な顔で胸ばっかりじろじろ見られたらクロも困るんだけど」
「……悪くない、か」
「そしてその判定は男として最低すぎると思うんだけどっ!」
「よし。そういうことなら同行することを許そうではないか」
「一体どこを見て判断したの!?」
なぜか体を抱き、ふるふると瞳に涙を貯めるクロ。
少し、いやかなり変わった奴ではあるがこうして俺はクロと共に束の間の協力体制を取ることとなった。イリス達と合流するまでの束の間の結束。俺はそのつもりだったのだが……後にこの出会いが予想外の事態を招くことを、俺はまだ知らない。




