「専属メイドは男の浪漫」
俺が生死の境を彷徨った日から三日がたった。
ルーカスの話では俺のような能力者は文献に存在しないということだった。欠損部位を治せるほどの治癒能力。それは歴代の治癒術師にも、召還者にも出来ない偉業だと伝えられた。
まあ、自分の体しか治せないんじゃあそこまで汎用性があるとは言えないけれど、それでもルーカスはこの能力を物凄く評価しているようで、能力の詳細についてあれこれ訊かれてしまった。
俺だってあまりこの天権について把握している訳ではないのだけれど、分かる範囲でルーカスにこの能力のことを伝えた。
すると、ルーカスは頷いてから、俺の天権に『不死』という名前を与えてくれた。
不死……死なずの能力。黄泉還り。何だか呼び名だけ格好良すぎてしり込みしてしまう。
俺が最後の覚醒者だということもあり、この能力のことはクラスメイト全員に知れ渡っている。王城を歩いていると、時折見かけるクラスメイトが俺に遠慮のない視線を向けてくるのが感じ取れる。
「……はぁ」
注目されるのは苦手だ。
俺がトボトボと王城を歩いていると……
「かーなたっ!」
バシーン! と、それなりに勢いの良い張り手が俺の背を打った。
この声、この痛み、身に覚えがあった。
「……紅葉、痛い」
振り向いた先、そこには思ったとおり紅葉の姿があった。
「おじいちゃんみたいに背を曲げてたカナタが悪い!」
いつものように、俺に責任を擦り付けてくる紅葉。
そう……いつものように。
「元気になったみたいで良かったよ、紅葉」
「それはこっちの台詞だって! 聞いたよ、カナタの右半身、千切れちゃってたんでしょ?」
「尾ひれ付いてんぞ。正確には右腕だ」
「あんまり大差ないじゃん!」
俺の言葉に紅葉は慌てたように俺の右腕を掴み、裾を折り曲げた。
俺、されるがまま。
「うーん……見た感じ異常はないみたいだけど……」
「検査も受けてきたし、もう大丈夫だって」
「それは分かってるんだけどさ……」
神経質に俺の腕の調子を確かめる紅葉。
その姿にピーンと来た俺は意地の悪い笑みを浮かべて、告げる。
「ほほう、どうやら紅葉さんは俺が心配で心配で仕方なかったみたいですなぁ」
半分以上冗談のつもりだった。
けれど……
「そんなの……当たり前じゃん」
照れるでもなく、誤魔化すでもなく、神妙な面持ちで紅葉はそう言った。
「紅葉……?」
「アタシ……心配したんだからね。カナタが大怪我したって聞いて……」
瞳を伏せ、体を震わせる紅葉。
その心情を占めるのは安堵なのか、不安なのか、恐怖なのか……鈍感な俺には計り知ることが出来なかった。
ぎゅっと俺の服を掴み、身を寄せる紅葉を前にして、俺はようやく気付いた。
紅葉がどれほどの不安を抱えていたのかを。
幼馴染だというのに、俺は彼女が抱えていた不安をちっとも理解してやれていなかったのだ。情けない話だが、俺は今になってそのことに気付いた。
「紅葉……」
大広間の隅で、奏に肩を抱きかかえられ縮こまっていた紅葉の姿を思い出す。
そうだ。紅葉はあんなにも落ち込んでいたのだ。少し励ました程度でもう大丈夫だなんて、早計に過ぎた。
いつも紅葉は太陽のような女の子だったから。冬空の中でも元気に走り回る小学生みたいな奴だったから……俺はどこかで、紅葉なら大丈夫だと思っていた。
「悪い……心配かけた」
だから俺は今更ながらに、そう謝罪するのだ。
精一杯の、気持ちを込めて。
「……バカ」
俺の謝罪に、紅葉はただ一言答えただけだった。
頼れる人の少ないこの異世界で、紅葉にとって俺と言う存在がどれほど大きかったのか、自惚れを抜きにしても分かる。俺だって紅葉がもし大怪我なんてしたとなったら……ぞっとする。
まるで冷たい鉛を飲み込んだかのように体が、心が冷えていく。
そしてそれはどこまでも深く沈み、俺を苛み続けるだろう。
「ごめんな、紅葉」
「もういいよ……それより、もうこんな無茶しないでよね。アンタが居なくなったらアタシ……本気で泣くから」
「ああ、肝に銘じとくよ」
「なら、良し」
俺の言葉に満足したのか、紅葉は俺の胸を一度叩いてから体を離す。
「そうだ、お腹空かない?」
「ん? ああ、そういえば今日はまだ何も食べてなかったな」
「だったら食堂行こうよ。アタシもお腹空いちゃっててさ。何か作ってもらおう」
「感動のシーンかと思えばもうそれかよ……ほんと、紅葉は色気より食い気だよな」
「むっ! 何よその言い方! カナタだって色気全然ないじゃん!」
「男に色気あってもキモいだけだろうが。男ってのはもっとこう、なんていうか背中で語る的な格好良さが必要なんだよ」
「カナタが? 格好良さ? ははっ、ないない」
純度100%の笑顔で手を振る紅葉。
こ、この野郎……男に向かって格好良くないだなんて女を貧乳と嘲るほどに罪深いぞ!
許せん。許してはおけない。男の矜持にかけて!
復讐するは我にあり。
ということで俺は紅葉にその禁句を告げてやることにした。
「この……貧乳」
紅葉の胸部はお世辞にも膨らんでいるとは言いがたい形状をしている。彼女が昔から密かにコンプレックスに感じているのは知っていたから、そこを突いて見たわけだ。
さて、紅葉がどんな反応をするだろうかと伺っていると……そのすらりと伸びた右足が、鞭のようにしなって俺の腹部に──
──次の瞬間、俺は意識を失った。
「…………」
むすー、とした顔のまま食事を次々に口に運ぶ紅葉を横に、俺は非常にいたたまれない気分でいた。
「あ、あのさ紅葉? そろそろ機嫌直せよ」
「…………」
THE・無視!
好きの反対は嫌いではなく無関心なのだと、昔の人は言いました。
なるほど。確かにそれは正しいのだろう。無関心の極地とも言えるド無視に俺の心は凍てついていた。
冗談でも、あんなことは言うべきではなかったのだ。
ふざけただけだというのに、その代償は余りにも重い。
「くっ……これが俺の背負うべき十字架と言うのなら……いいだろう! 俺はその全てを背負って生きる!」
「カナタ、うるさい」
「はい、すいません」
いかん。つい発作が。
高二になってまでこれは痛過ぎるぞ、おい。そろそろ治していかないとな……。
「そういえば、さ。カナタの天権って何だったの? 回復?」
食事の手を止めて、フォークを皿に置いた紅葉が尋ねて来る。
「ルーカスさんは俺の能力を『不死』って名づけてくれたみたいだけど……正直大仰過ぎて恥ずかしい」
「ははは、天権なんて全部そんなもんじゃん」
まあ、確かに能力なんて言葉を日常的に使っているという事実が既に割りと痛い。高校生にもなって黒歴史を穿り返されるのは御免だ。
「ご馳走様」
「あれ? もういいの?」
「あんまりお腹空いてなくてな。食べるのも面倒だし、もういいや」
「食べるのが面倒って……カナタらしいね」
ソウルフードがウィダーな辺り、俺の適当さがにじみ出ている。
「カナタ様、食器の方をお下げしてもよろしいでしょうか?」
俺がフォークを置いて一息ついた頃合で、メイドのシェリルが恭しく一礼して聞いてきた。
「お、何だか久しぶりな気がするな。元気にしてた?」
「はい。おかげさまで」
何がおかげさまなのかさっぱり分からなかったが、シェリルは良い笑顔で俺に微笑みかける。これが君の笑顔はプライスレスという奴か。流石一流のメイドは所作が違う。いや、シェリルが一流のメイドかどうかは知らんけど。
「ああ、それとカナタ様。ルーカス様から仰せつかったのですが、私は本日よりカナタ様付きのメイドとしてご奉仕させて頂く事になりましたので、よろしくお願いいたします」
ぺこりと、頭のヘッドドレスが良く見えるほどに深くお辞儀をするシェリル。
それに噛み付くように飛びついたのが、紅葉だった。
「え!? それってシェリルちゃんがカナタ専用のメイドになるってこと!?」
「はい、そうでございます」
これまた花の咲くような笑顔でそう言ったシェリルに、紅葉はわなわなと指を震わせていた。
「こ、こんな馬鹿にもったいないって! 絶対にメイドの無駄遣いだよっ!」
「そこまで言うか」
別にいいけどよ。俺だって自分が奉仕されるような立場にあるだなんて思っていないし。
……夜のご奉仕とかなら大歓迎なんだけどな。
「けどルーカス様直々のご命令ですし……」
「あー、その、さ。俺もそういうのはいいよ。気を使われてるみたいで逆にこっちまで気を使いそうだ」
専属メイドという言葉に引かれはしたものの、自分の勝手でシェリルをこき使うわけにはいかない。
「……あの、カナタ様?」
「ん? 何?」
断りムードになっている空気の中、シェリルはその一言を言い放った。
「私は……カナタ様に嫌われているのですか?」
ドッッキューン!
音にするならそんな感じ。ふるふると瞳に涙を溜めて、小動物めいた動作でこちらの様子を伺うシェリルに、俺は心臓を射抜かれる想いだった。
このときのシェリルは圧倒的な可愛さだったのだ。
「そんなことない! むしろ、好きだ!」
気付けば俺はシェリルの手を取って、そんな告白まがいの台詞を言い放っていた。人生生まれてはじめての告白。しかし悔いはない。俺の始めてはシェリルに捧げる!
「はぁ……単純馬鹿……」
俺の隣で紅葉が頭を抱えてため息を吐いているが、気にしない。
俺には……この捨てられた子犬みたいな女の子を放って置くことなんて出来るはずもない。俺の心は決まっていた。
「俺のメイドになってくれ! シェリル! 必ず幸せにして見せる!」
「はい! お任せくださいご主人様!」
運命に導かれ出会った俺たち。
長く、長い道のりの果てにようやく辿り着いたこの場所で、俺は真実を手に入れたのだ。
真実……それは愛。
生きることとは即ち、愛することと見つけたり。
人は一人では生きられない。だから他者を求め、愛すのだ。
これこそがこの異世界で見つけた俺の真実。唯一不変の理だ。
きっと俺たちにはこれからも困難が付きまとう。それは逃れられない運命だ。
しかし……俺は、俺たちなら。
どんな困難にも打ち勝っていける。
そんな、不思議な確信があった。
この素晴らしき世界に、祝福を。
それが俺の最後の祈り。
「青野カナタ、恋物語……完ッ!」
「完ッ! ……じゃないわよ」
ペシッと俺の頭にチョップが入り、俺は意識を現実に引き戻された。
気付けばシェリルがいない。さきほどまであんなに硬く熱い抱擁を交わしていたというのに。
「紅葉、シェリルはどこいった?」
「シェリルちゃんならもうどっか行っちゃったわよ。『これでルーカスさんに怒られなくてすみますぅ』とか言いながら」
「…………」
う、うそーん。
「カナタが将来悪い女に引っかかるんじゃないかって心配でならないよ」
しみじみと呟いた紅葉。
余計なお世話だ! とは、この時ばかりは言えない俺だった。