「鬼」
深夜を回り、月明かりだけが周囲を照らす王城の一室で俺達は装備を整えていた。今日この日の為に蓄えてきた装備だ。ほとんどが天秤のギルドでカミラに貰った謝礼金で賄っているのが情けないけどな。
「さて……」
きゅっ、と腰のベルトをきつく締める。
挟んでいる暗器が落ちないようにだ。他にも夜に紛れられるように黒を基調とした出で立ちは見るからに物々しい。
「準備できた。そっちは?」
「ええ。大丈夫よ」
「こっちもです」
尋ねると俺と同じような格好をしたイリス、ステラのそれぞれ首肯し頷く。
「よし。それなら最後の確認だ。二階に寝室がある福地と熊谷の二人はイリスとステラが担当。俺は酒井のいる三階に行く。俺は事が終わればすぐに二階へ向かうからそこで合流だ。もしも不測の事態が起こった場合は笛を鳴らせ」
再び頷く二人の顔をそれぞれ見やって、
「……頼むぞ、二人とも」
俺は行動を開始した。
俺の部屋は二階にあるため、まず三階に向けて移動しなくてはならない。だが王城内には夜間警備の王国騎士が常駐しているため廊下や階段を使うのは見つかる危険がある。
そこで窓から窓へ、直接向かうことにしたのだが……
(うおっ……)
二階とはいえ、それなりの高さになる外壁を伝うのはそれなりに度胸が必要だった。別に高所恐怖症というわけでもないのだが、こうも足場が不安定だと厳しいものがある。
「さっさと終わらせよう」
腰からワイヤー付きのフックを取り出し、城壁の縁へ引っ掛ける。人一人分の体重を支えるには筋力が必要だが、今の俺なら問題ない。魔力で強化した筋力でゆっくりと上っていき、やがて事前にチェックしておいた一室へと到着する。
「…………」
早鐘のように打つ心臓を必死に宥めながら俺は鍵の付いていない木製の窓をゆっくりと開く。
室内は無音だった。
加えて無明でもあった。
目が慣れるのを待っている暇もなかったので、俺は素早く室内に潜入し息を殺す。部屋の内部の構造はどの部屋もほとんど変わらない。俺は自分の部屋を参考に少しだけ歩き、発見したベッドを見て思わず口角が釣りあがるのを感じた。
今にも笑い出してしまいそうだ。
この日をどれだけ待ち望んだか。
リンドウの暴虐に耐え続けた日々を思い出す。
爪を剥がされるたび、指を千切られるたび、眼球を潰されるたび、俺はずっとずっと思い続けてきたのだ。
──俺の味わった苦痛を、こいつ等にも味合わせてやると。
「…………」
だが実際にそんなことをしている暇はない。そもそも一週間以上の拷問をこいつらに課すのは現実的に不可能だ。だから俺は妥協することにした。
「お前の罪は三つある」
俺は目の前で眠ったまま動かない酒井に向け、話しかける。
起きてしまうならそれでもいいと、そう思っていた。だが酒井は全く起きる様子もなくその瞳を閉じ続けている。
「一つ目は俺を魔族に売ったこと。あの状況では仕方ない。誰か一人の犠牲で皆が助かるなら、なんて理屈は"売られた本人"には通用しない。分かるか? 俺があの後どんな生活を強いられていたか」
懐から、細身のナイフを取り出す。銀色の刀身は月の光を受け怪しく輝いている。
「二つ目はシェリルを見殺しにしたこと。理性的に犠牲を減らそうとしたのなら俺を見殺しにしたことはまあ、理解してやるよ。納得はできないけどな。けどシェリルの場合は違う。お前らには彼女を止める義務があった」
俺を切り捨てるというのなら、俺以外の全てを守る義務があるはずだ。
そうでなければ俺が犠牲になった意味がない。
「三つ目は……今日この日までのお前らの生き方だよ」
無言の酒井を俺は断罪する。
ナイフを構え、ゆっくりと近寄りながら。
「正直言ってがっかりだ。これだと何のために生き延びたのか分からないだろうが。部屋に引きこもって恐怖を忘れたかったのか? 無理だね。過去は絶対になくならない」
本当はこんな形で決着をつけたくはなかった。
暗殺なんてこそこそしたやり方ではなく、それこそ決闘のような形で正々堂々雌雄を決したかった。だが、それもこいつらの様子を聞いて無理だと悟った。こいつらは未だにこの世界で生きることが出来ていないのだ。
「心配しなくていい。過去はなくならないけど……お前の過ちは過去が精算してやるよ。死んだような生よりも、そっちのほうがずっと良いだろ?」
ゆっくりと、右手のナイフを酒井の首元に近づける。
この瞬間、一瞬一瞬を心に刻みつけながら。
──ああ、これで、俺もやっと……
「…………ん?」
その途中、ナイフが皮一枚隔てて酒井の首元に寄り添ったその瞬間に俺は気付いた。その、強烈な違和感に。
「何が……」
異変を感じて視線を揺らす俺は、闇に慣れた目で"それ"を発見する。
──酒井の腹部、その中央へ深々と突き刺さっているナイフの柄を。
「…………ッ!」
瞬間的に、衝動的に引き抜いたその柄の先は出来の悪いマジックナイフなんかではなく、本物の刃だった。滴り落ちる真っ赤な血がそれを証明している。
「酒井……」
呆然として見やると、そこには土気色の顔をした酒井が横たわっていた。
何のことはない。俺の感じた違和感。それは死臭だったのだ。
動かない心臓、感じられない息遣い、刻一刻と失われる体温。
つまり……
──俺がこの部屋に来た時点で、すでに酒井は死んでいたのだ。
「あ……う……」
二本のナイフを手に、呻き声が漏れる。
足元が定まらない。まるで空中を歩いているかのようだ。
「誰が……誰がやりやがったッ!」
全力で血に塗れたナイフを地面に叩きつける。
怒りでどうにかなってしまいそうだ。こいつは……こいつらだけは……俺の獲物だったのにッ!
「────ッ!」
そんな神経が過敏に働いている瞬間だったからか、俺は間一髪その"攻撃"を避けることが出来た。一瞬前まで俺がいた空間を通り過ぎ、背後の壁に突き刺さるのは投げナイフ。
「誰だっ!」
即座に投げられた方向へ体を向け、言葉を投げかけるが帰ってきたのは無言の返答。部屋の隅、全く気付かなかったがずっとそこに"奴"はいたのだ。ゆっくりと月明かりに照らされ顕になるその顔は……
「鬼の……面?」
黒い、鬼を模した面を被る人物だった。
窪んだ眼孔は全ての色を隠し、見えるのは唯一面に覆われていない口から下だけ。真っ黒なローブを着ているせいで男か女かすらも判断できない。
「誰だ、お前……」
背筋に走るのは悪寒。この存在が気持ち悪い。それは鬼の面を被っているからだけではない。本能的に感じる恐怖、それを俺は目の前の人物から感じていた。
「────」
鬼の面が何かを喋ったが、くぐもっていて聴き取ることは出来なかった。多分、独り言か何かを呟いたのだと思う。そして、次の瞬間、
「ぐっ!?」
鋭い踏み込みで俺の懐に飛び込んできた。
それはまるで弾丸のような突撃だった。体ごとぶつかる様に接近してくるその手には先ほど見たものと同サイズのナイフが握られている。
俺もナイフを持ってはいるが、刀身の短いそれで受けることは難しい。仕方なく部屋を横切るように回避行動に移るが相手も簡単には逃がしてくれない。そもそも向こうの方が瞬発力には優れている。反射的な行動で上回れるわけがない。
「くそっ!」
何とか手首を掴もうと手を伸ばすが、それも読まれていた。
逆に斬りつけられて飛ぶ二本の指。指先から脳へと叩きつけられる懐かしい激痛を味わいながら……俺は目の前の人物の首元を掴むことに成功していた。
「取ったッ!」
瞬間、目の前の人物はぐるりと体を傾け地面へ向け崩れ落ちる。
合気の要領で攻撃の勢いを利用した投げは見事に決まり、予想以上に軽いその体は吸い込まれるように地面へと叩きつけたのだ。
「動くな!」
即座に間接を極め、動きを止める。
こいつには色々と聞きたい事があるからな。生け捕りだ。
「お前がこれをやったのか」
「…………」
ぎりぎりと腕に力を込めながら聞くが、そっぽを向いて答えようとしない。たとえ折られても情報は渡さない。そんな気概を感じた。
「……仕方ねえ」
こっちにも時間がない。俺はひとまず尋問を諦め、その人物の素顔を確認することにした。鬼の面に手を伸ばし、それを引き剥がす寸前、相手の口元が何かを吐き出し、
──チクッ──
突然右目の下辺りに激痛が走った。
「ぐっ、あああッ!?」
たまらず押さえたその瞬間に、拘束が緩み空いた手がナイフを振るう。
今度は右足のふくらはぎ。ナイフでできた裂傷は見事に俺から力を奪い、地面に転ばせた。
ほとんど一瞬の出来事だったが……何が起こったのかは分かった。
含み針だ。口に含んでいた毒針を吐き出し、一瞬の隙を作りやがったんだ。奴は。そしてその企みは見事成功している。開かれた窓から身を投げる奴を追えないよう、足を封じるアフターサービス付きで。
「くそッ、まんまと逃げられた!」
動けるようになってすぐに窓に駆け寄ったが、すでにその影すら見つからない。間違いなく、奴が酒井を殺した犯人だというのに。
「…………ぐッ!」
ダンッ! と力任せに窓枠を殴りつける。そうでもしないとやっていられなかった。しかし、いつまでもそうしてはいられない。ひとまずそれで気持ちを切り替えた俺は室内を改めて見渡す。
酒井は死に、状況だけ見れば俺が作ろうとしていた環境そのものではある。ならば当初の予定通りイリス達と合流すべきだろう。
やるべきことが見えたら後は迅速に。
俺は影の消えた窓に再び身を乗り出し、イリス達の元へ急いだ。




