「特別」
復讐すると決めた日の朝、それはいつもと変わらない長閑なものだった。しかし、することは山のようにある。朝から俺は忙しく動き回っていた。
旅の支度に昼から執り行われる審問会の準備。それに加えて復讐するための最後の詰めを怠ることはできない。
「今日は今まで一番長い一日になるな」
朝からそんな気分だったからか、朝食も断って少しでも時間に余裕を作るつもりだった。そんな予定が崩れ去ったのは午前のひと時。旅の支度を終えた丁度そのころのことだ。
部屋がノックされる音が聞こえたので返事をして招き入れると、そこには柔らかい笑みを浮かべながら手を振る白峰奏が立っていた。
「何だ、また来たのか」
「はい。また来ちゃいました」
両手を合わせにっこりと男限定の殺人スマイルを浮かべる奏。
昨日すげない態度で追い返したというのに懲りない奴だ。
とはいえ、今から追い返すのも感じが悪い。昼の審問会まで時間もあるし少し話をするくらいなら構わないだろう。旅支度もひと段落したところだしな。
「それで何か用か?」
「少しお話がしたくて……迷惑でした?」
「迷惑といえば迷惑だし、迷惑じゃないと言えば迷惑じゃない」
「?」
俺の矛盾した言葉に奏は形の良い眉を曲げ、小首を傾げてみせる。
「誰かと会いたい気分じゃないけど、暇つぶしに何かしたかったってこと。奏とお喋りできるならそれも丁度良い」
「それなら良かった。どうやら今日は"良い"タイミングだったみたいですね」
「確かに昨日に比べたらな。それでどうする。場所を変えるか?」
この個室は家具と言えるものがベッドくらいしかない。ゆっくり話をするなら場所を変えたほうが良いだろうと思っての提案だったが、
「いえ、ここでいいです。前みたいにお話しましょう」
奏は一言で断り、率先してベッドに腰を落ち着ける。
そして自分の横のスペースをぽすぽすと叩いて催促してきた。
何だか以前より積極的な気がする。もっと遠慮するような性格だったような気がするが……まあいい。人間生きていれば性格の一つや二つは変わるだろう。
「それじゃ……お邪魔します」
「お邪魔しますって、ここはカナタ君の部屋でしょ?」
「そうだった」
素で謙っている自分にびっくりだ。どうやらまだ彼女に対して遠慮というか、落ち着かない妙な気分を感じているらしい。そんな俺の態度が面白かったのか、奏は声を殺して笑っている。くそう。何だか負けた気分だ。
「……そういやこの一ヶ月、皆はどうだった。俺がいなくなって苦労とかしなかったか?」
「カナタ君がいなくなってからってこと? ……うーん、どうだったかな。私もその頃は自分のことで手一杯だったから」
「何かあったのか?」
あれほどクラスの為に精力的に活動していた奏が周りに気を配る余裕がなくなるほどの事件。気にならない訳が無い。純粋な興味からの質問だったのだが、
「えーと、それを私の口からカナタ君に言わせるの?」
困ったような、怒ったような微妙な顔で奏は口ごもる。
「相変わらずそういうところは変わんないよね、カナタ君は。直さないと駄目だよ?」
いや、やっぱり怒っているのだろう。口調に棘を感じる。
「そういうところって……どういうところだよ」
「肝心な部分で相手の気持ちが分からない鈍感なところ」
ずっぱり。音にするならそんな感じだ。予想外の切り込みにぐうの音もでない。自分自身、その自覚があったから。でも仕方ないだろう。他人の気持ちなんて、分かるはずがないんだから。
「日本人は空気を読むのが得意だって言うけど……俺の場合さっぱり分からん感覚だよ」
「ちゃんと他人のことを考えて行動できるのに不思議だよね」
おい。それフォローになってないぞ、奏さん。
否定も出来ないけどな。
「奏は俺と似てる考え方してるのに、俺と違って空気がちゃんと読めるからすげえよな。そこが人気者と日陰者の差って奴なのかね」
「あ、自分で自分を卑下するのは良くないよ。カナタ君にだってちゃんといいところがあるんだから」
今度はしっかりフォローを入れてくれる奏さん。マジ天使。
「それに私からしたらカナタ君のほうがずっと凄いよ。行動力があるし、勇気もある。普通の人には出来ないことが出来るってのはそれだけで特別だと思うよ」
「特別、ねえ」
正直俺はその言葉に良いイメージを持っていない。
特別ということは普通ではないと言うことだ。そして普通ではないということは日本独自のどこか閉鎖的な社会構造では忌避されやすい。特に未成熟な子供達の社会ではそれが顕著だ。
──その容姿と高い能力から疎まれた赤坂紅葉は。
──普通とは違う趣味を持ち、孤立させられた金井宗太郎は。
──複雑な家庭環境を持ち、歪な感性を持つに至った黒木拓馬は。
確かに"特別"であったのだ。
そして、特別であるということはマイノリティに属するという意味でもあり、多くの場合それらは排斥される方向へ追い詰められる。学校という狭い空間ではその現実を無視することも出来ず、紅葉のように助けを求めるか、拓馬のように孤立し逃避するか、宗太郎のように屈して隷属するかしか道はない。
それが現実だ。
かつて異世界を望んだ俺もまた、そうであったように。
「出る杭は打たれる。伸びた鼻は折られる。揚げた足は取られる。昔からそう決まってんだよ。くそつまんねえ話だけどな」
「最後のは何か違わない?」
俺の熱弁をクールに突っ込む奏。案外小さいことを気にする奴だった。
「でも良かった。カナタ君がいつものカナタ君で」
「うん?」
微笑みながら漏らした奏の言葉に、思わず聞き返す。
いつもの俺? ここに来て始めて言われたような気がするぞ。そんな言葉。
どいつもこいつも俺が変わったと言った。森や紅葉や拓馬までもが。なのに奏には俺が変わってないように見えるのか?
「きっとその人の本質的なところは何があっても変わらないんだと思うよ。それがどんな人だったとしても」
俺の問いに、奏は哲学的な答えを返した。
その人の本質は変わらない、か。
「なら俺の本質って何なんだよ」
「それはカナタ君にしか分からないんじゃない? 外から見る私達には断片的な部分しか見えないよ」
「ならその断片的な部分でいいよ。奏には俺の本質が何に見える?」
あまりにも幼稚な質問。欲しいから求めた答え。だがどうしても俺はその答えが聞きたかった。この、誰よりも他人を良く見ている奏の口から。
「一言で言うのは難しいけど……」
奏は数秒考え、そして迷うように、
「優しくて……残酷なところかな」
その答えを吐き出した。
「優しくて……残酷?」
何だそれは。全然違う二つじゃないか。
「私の目から見たらの話だよ? 他の人に聞いたらもっと別の答えが返ってくるんじゃないかな」
それ以上の追求を交わすためか予防線を張る奏。そう言われると他の奴にも聞きたくなってしまうじゃないか。
「それじゃあ、そろそろ私は行くね」
俺が聞くなら誰にしようか考えていると、奏は立ち上がってそう言った。
どうやら話は終わりらしい。
「もういいのか?」
最初はそうでもなかったのに、いざ終わりとなると一抹の寂しさを感じてしまう。それだけ俺は奏との会話を楽しんでいたと言う事なのだろう。
「うん。確認したかったことはもう確認できたから」
最後に意味深な台詞を残し、笑顔で現れた奏は笑顔のまま去って行った。
相変わらず人との距離感が抜群に上手い奴だ。俺の最初の態度からきっと長居はしないと決めていたのだろう。早く帰ってくれないかな、なんて思う暇もないように。
「……俺からすればお前の方がずっとすげえよ」
誰からも愛される存在なんて俺には絶対なれない。
むしろ嫌われることの方が多いくらいだからな。
相手によって対応を変えるわけでもないのに、奏は誰からも愛されている。俺からすればあれほどの容姿を持っていながら女子に全く妬まれていないというのがすでに"異質"に見える。
特別ではなく、異質。
孤立することもなく、逃避することもなく、悲観することもなく、ただ普通に普通であり続けるその在り方は……果たして普通と呼べるのだろうか。
もし、普通でないのなら。
もし、異質であるのなら。
白峰奏という人間の過去には何があり、どういった経緯でそのような人格が形成されるに至ったのか。これまでずっと感じていた違和感の正体を、俺はようやく疑問いう形で氷解し始めていた。




