「天権」
痛い、痛い、痛い。
(おい! カナタ! しっかりしろ! おい! 聞こえるか!?)
痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い。
(カナタぁ! 返事してよっ!)
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いッ!
針で突かれる様に、炎で炙られるように、皮膚を剥がされるように、骨を砕かれるように、ナイフで刺されるように、痛い。痛い!
「ぐ、う、ああぁぁあぁあッ! あああッ!」
「カナタ! 止血するから暴れるな!」
「う、ぐ……た、拓馬?」
「そうだ! オレだ! 止血しねえとお前出血死するぞ! だから動くな!」
上着を脱いで俺の肩に押し付ける拓馬。
ジンジンと鋭く重い痛みが俺を苛み続けている。
この原因なら分かっている。
「う、腕ぇ……俺の腕がぁ……ッ!」
「カナタっ……動くな! 頼むから、動くなァ!」
余りの痛みと喪失感に、視界が涙でぐちゃぐちゃになる。
ドクドクと心臓の音がやけに大きく聞こえる。そして、それが少しずつ小さな鼓動になっていくのも。
──寒い。痛みの次には寒さがやってきた。
「黒木君! 化け物は森の奥に逃げて行ったみたい!」
「ならこっちを手伝え! カナタの体を押さえつけるんだ!」
俺を抑える手が四つに増える。
二人で、四つ。
そうだよな。人には腕が二本生えているんだもんな。当然手も四つだ。
「う、ぐ……おええぇッ!」
たまらぬ不快感に俺は胃の中身をぶちまけた。
吐瀉物は地面に池のように広がる俺の血と交わり、なんとも言えない異臭を放つ。
「ごめん! 青野君、ごめんね! わ、私のせいで、こんな……こんなっ!」
歪んだ視界の中で、誰かが俺に語りかけている。
その悲痛な声、俺は返事をしてやりたかったが……無理だった。
少しずつ、少しずつ意識が薄れていく。すでに声を発することすら出来ない俺はどうすることも出来ずに、周囲の音に耳を傾けていた。
「……駄目だ……血が止まらない……」
震える声。これは拓馬か?
「そ、そんな……嘘だよね!? カナタがこんな、こんなところでッ!」
荒い声。これは宗太郎か?
「い、嫌……嫌ぁぁぁぁぁぁぁぁぁアアアアアアアアア!」
叫び声。これは上原か?
皆の声が聞こえる。
何だこれ? 何でそんな寂しそうな、声を……
(ああ……そうか……)
唐突に理解した。
俺はここで死ぬのだと。
(俺が……死ぬ?)
気付いてしまった。気付いてしまったのだ。その事実に。
この出血、俺はもう助からない。それが自分でよく分かってしまったから。
普段なら気付かない、その『恐怖』が、膨れ上がり始める。
(い、嫌だ……)
迫り来る死神の鎌。
そんなイメージを必死に頭から振り払う。
(嫌だ! お、俺はまだ死にたくない!)
死にたくない。死にたくない。死にたくない。
ただそれだけは祈り続ける。
気付いてしまったその事実。
『死』という現実に俺は抗いたくて、必死に祈るのだ。
それは日常からの離脱。
日本に居た頃には感じたこともないその感情。
即ち、『死』への『恐怖』が俺の中で膨れ上がる。
死とは全ての生命に訪れる絶対の理だ。その理を曲げることは誰にも出来ない。どこまでも非情に、どこまでも無情に、そして、どこまでも平等に全てのものに降り注ぐ。ただ、早いか遅いかの違いだけ。
その絶対性に抗うことは出来ない。
それが分かっていても……俺は望むのだ。
『生』を。
醜くても、無様でも、何でも良い。ただ、生きていたい。その渇望が溢れる。
世界の理を曲げてでも、運命の鎖を引き千切ってでも、俺は……生きたかった。
俺が自らの渇望を自覚した時、ゆっくりとその変化は訪れた。
「…………え?」
最初に気付いたのは拓馬だった。
「な、何だ……これ……」
拓馬の視界の先にあったのは俺の右腕。
肩口から噛み千切られたその傷口は酷いことになっていた。宗太郎も、上原も直視に耐えず目を逸らしていたその傷口が……
「塞がっている?」
それだけではなかった。
最初はゆっくりと、そこから少しずつ速度を増して、肉が盛り上がり始めたのだ。
「……え?」
やがて宗太郎と上原も変化に気付き始める。
それは有り得ない現象だった。
失っていた右腕、千切られた肩口から盛り上がるようにその質量を増した肉体が……元の右腕を取り戻していたのだ。
綺麗な色の肌が見える。
俺の右腕は、千切られる前と寸分違わぬ姿で、再び俺の右半身にくっ付いていた。
「はあ……はあ……」
俺は今までの分の呼吸を取り戻すかのように酸素を求める。
さっきまで意識も朦朧としていたのに、今はやけにクリアに感じる。
見渡せば呆然とした表情の三人が見える。
俺には不思議な確信があった。
これでもう、大丈夫だと。
そういう確信が。
「……た、ただいま?」
なんと言って声をかければ良いのか迷った俺は結局その台詞をチョイスした。状況的に、これが一番妥当かと思ったのだ。しかし……
「「「い、生き返ったぁぁぁあああああ!?」」」
その台詞は、余りにもブラックジョークに過ぎるようだった。
それから俺たちは慌てて森を抜け、城に戻ることにした。
大丈夫と言ったのだが、その場の全員が頑として譲らなかったのだ。
……大丈夫なのに。
「いいか? お前は死にかけてたんだぞ? いや、実際に何秒か死んでた。今は大丈夫かもしれねえが、いつぶり返すか分かんねえだろうが」
「黒木君の言うとおりだよ。お医者さんに看て貰ったほうが絶対に良いって」
「青野、本当に無理しなくて良いんだからね? 違和感とかあったらすぐに言うのよ?」
全員が俺の周りで逐一俺の状態を確認してくる。
本人が大丈夫だと言っているのだからもう少し放っておいて欲しい。
「けど、何があったんだろうね? その……傷が治るなんて」
宗太郎はそう言うが、実際アレは『傷が治った』なんてレベルではない。まさしく生き返ったというのが妥当なレベルの復活だった。
俺自身、奇妙な感覚が残っていたものの、一つだけ確信出来ることがあった。
「……天権だよ」
「え?」
「あれが俺の天権なんだ。さっき、ようやく分かった」
言うならば『蘇生』とかだろうか。致死の傷すら癒してしまうこの能力が俺の天権なのだと、不思議と俺は理解していた。
「今まで天権が見つからなかったのも頷けるってもんだ。こんな能力、死んでみるまで見つかる訳がねえ」
そして、日常生活で『死』を感じることなんてまず有り得ない。
俺の天権が今の今まで不明だったのはそう言う理由だったのだ。
「け、けど凄い能力だよね……致命傷すら治しちゃうだなんて」
「そ、そうよ! この力があれば私たち、誰も死なないんじゃない!?」
俺の能力について盛り上がる上原。
確かに。この力があれば死ぬことはないが……
「それは無理だ」
「え? 何で?」
「なんというか感覚の話になるんだけどさ……この天権。多分俺にしか効果がない」
不思議とそんな確信が俺の中にあった。
一度覚醒したことで、意識的に能力を掴み始めているのだと思う。
「ひとまず、似たような能力者が文献にないかルーカスさんに聞いてみるよ」
「その前に、医者のところだからね?」
「……へーい」
大丈夫だと言うのに、宗太郎は全く信じてくれる様子が無かった。