「忘れられぬ形」
「……シェリル?」
かつて共に生きた少女の姿に、俺は動揺を隠せなかった。
震える声に振り向いたその少女は俺の姿を見て、一言。
「……どちら様ですか?」
「──ッ」
その表情を見て、気付く。
僅かだけど違和感があることに。
髪も瞳も同じ色だが、少女の醸し出す雰囲気が違う。
シェリルが誰にでも笑顔を向ける向日葵のような存在だとするならば、この少女は冷たい夜を連想させる月下美人。鋭く研ぎ澄まされた刃のような雰囲気に悟る。
──この少女はシェリルではない。
「ああ、もしかして貴方がアオノカナタさんですか?」
「え? ……あ、ああ」
突然声をかけられ間抜けな返事をしてしまう。
声もまるっきりシェリルと同じ、透き通るような声音だ。聞いていて安心できる声。その声のまま少女は俺にとって思いもよらなかった言葉を告げる。
「話は"姉"から聞いていますよ。会うのは始めてですが、手紙で何度も姉が申していましたから」
「姉?」
「ええ。私の名前はシャルロット。貴方も良く知るシェリルは私の双子の姉にあたります」
シェリルの双子の妹……そうか。だからこんなにも姿が似ているのか。本当に似ていて隣に並んでも気付かれないんじゃないかってレベルだ。
目の前の少女がシェリルではないと分かった途端、俺は自分で自分が落胆していることに気付いた。もしかしたらシェリルが生きているかもなんて、ありえないのに。そんなこと。
「……あの、シャルロットさんはシェリルがどうなったか……」
「ええ。聞き及んでいます。姉がお役目を果たせなくなったので代わりとして私が登城したのですから」
「そう、ですか……」
シェリルの親族を名乗る少女に、俺は強烈な引け目を感じていた。
シェリルの死の原因が間違いなく俺にあるのだから。
「あの、シャルロットさんは……俺のこと、恨んでますか?」
だからだろうか。そんなことをつい聞いてしまったのは。
どう答えても気まずくなるのは分かっていたのに。
「私は……」
俺の問いに、少しだけ迷うそぶりを見せた後、
「私はカナタ様のことを恨んでいます」
瞳を伏せて、シャルロットはそう言った。
俯く彼女の心の内は分からない。だけど、その一言で十分だった。
「……そうですよね」
俺は……卑怯者だ。
自分が楽になりたい一心でこの子に言いたくない一言を言わせてしまったのだから。「気にしていませんよ」なんて、そんな言葉が待っているはずなかったのに。
「すいません。時間を取らせてしまって」
居心地の悪くなった俺はそれだけ言って逃げるようにその場を後にした。
いや……逃げる"ように"じゃないな。まさしく俺はそこから逃げたのだ。これ以上、シェリルの面影を残す少女を見ていられなくて。
(馬鹿が……もう決めたはずだろうが)
この感傷を恥じる。
期待なんて、俺にはあってはならないものなのに。
それは生者の特権だ。未来の展望を語るのは、今を生きている者にしか許されない。生きながらにして死んでいる俺には、そんな権利すらない。
復讐すると誓った日、俺は全て捨てたはずだった。
希望も、未来も、この心すらも。
だというのに……
「くそっ!」
揺れる心を叱咤する。
駄目だ。こんなのじゃ駄目なんだ。
壊れる。たった一つの目的で繋ぎとめていた俺という人間が、壊れる。
均衡を保つためには、沈めなくてはならない。
水底に。この心を。
「カナタっ!」
どこをどう歩いているのかも分からないそんな中、俺の名を呼ぶ声が聞こえ……バシンッ! と背中に衝撃が走った。思わず、たたらを踏み襲撃者を確認すると、そこには、
「……紅葉?」
懐かしい幼馴染の姿があった。
ああ……そうだ。王城にはこいつもいたんだったな。
忘れていたわけではないが、こうもすぐに会えるとは思っていなかった。
俺の記憶の中にあるまま、変わらない姿の幼馴染はぎゅっと俺の体を抱きしめ二度と離さないとばかりに力を込める。
「カナタ……あたし、さっきルーカスさんにカナタが帰ってきたって聞いて。それで……」
震える声に、泣いているのだと分かった。
そしてそれを必死に隠そうとしていることも。
俺の胸に自分の顔を押し付ける紅葉はやがて……
「もう……絶対あたしの前からいなくならないで……」
鼻声のまま、消え入りそうな声で嘆願するのだった。
その姿に思い出すのは俺が初任務の際に、大怪我をしたときのこと。
──アンタがいなかったらあたし、本気で泣くから。
そうか……そうだよな。紅葉はそういう奴だった。
俺は紅葉の体をそっと抱きしめようとして……
「……悪い」
「え?」
そんな資格がないことを、思い出すのだった。
肩を押し返し、引き剥がした俺を紅葉は呆気に取られた表情で見ていた。まさか拒絶されるなんて、そんなことちっとも考慮に入れていなかったのだろう。そんな表情だった。
その顔には覚えがあった。
あの日、あの時森が浮かべたあの表情。
──裏切られた者の、顔だった。
「……悪い」
もう一度だけそう言って、俺は全てを置き去りに部屋へと戻ることにした。
俺はリンドウに彼女達の情報を売ったんだ。そんな俺に、彼女達と仲良くする資格なんてない。言葉を交わすことも、全て。
後ろで誰かの声が聞こえた気がしたが、振り向かないまま歩き続ける。
痛む心の内に、気付かないフリをして。




