「帰るべき場所」
「くっ、見失った……追うわよ、コテツ!」
「……アゲハ、待って」
今にも走り出しそうなアゲハをコテツが宥める。
「その傷、すぐ治療しないと命に関わる」
指差すのはアゲハの右腕。先ほどの戦闘で失った部位だ。
「私のことよりアイツを……アオノカナタを追わないと!」
「……無茶言わないで」
コテツは懐から錠剤の入った瓶と、包帯を取り出す。
「とりあえず血を止めて。アゲハをこのまま一人で置いてはいけない」
「でも……」
「僕とカナタの相性は悪い。分かるよね」
小さな声ではあったが有無を言わせぬコテツの物言いに、ついにアゲハが折れた。
「……分かったわ」
「それと、どちらにしても一度引くよ。カナタが禁術を会得していることは魔王様に報告しないといけない」
「それは……そうね」
不死と移動図書館が同時に逃亡した時点でその懸念はあった。しかし、確定ではない上にその力が使いこなせるとは誰も思っていなかったのだが……
「……はあ……厄介」
心底面倒なことになったとため息を漏らすコテツ。
そのときに何気なく向けた視線の先に、蹲る一体の死体があった。
「あ……そういえば」
自分で殺しておいてその存在を忘れかけていたコテツ。
「これ、カナタの仲間だよね?」
「ああ、確かモリって呼ばれてたな」
「モリ……モリ、ね」
リンドウから聞いていた召喚者の情報と照らし合わせる。
「確か結構優秀な能力だった気がするけど……なんだっけ」
「どうでもいいでしょ、死人の情報なんて」
「……それもそうだね」
コテツは一度頷いて、その細身の体でアゲハを持ち上げる。
「運ぶ」
「はあっ!? 一人でも歩けるって!」
「怪我人、大人しく」
暴れるアゲハを抱きかかえ、歩み始めるコテツ。
アゲハも片腕では大した抵抗も出来ないと悟ったのか、すぐに諦めた。少し気が緩んだせいか、血を失ったことで眠るように気を失うアゲハ。
その様子を見てやはり一人にしなくて良かったと、内心ほっとするコテツだった。険しさの取れた表情に、もう一度しっかりと抱えなおす。
「……またね、カナタ」
最後に少年の消えた方向へ、一言だけ残して。
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辛い、痛い、苦しい。
頭の中を支配するのはそれらの感情。
負けて逃げることに抵抗は無かった。
抵抗があったのは森をあの場所に一人置き去りにしてしまったことに対してだけだ。それも、どの口が言うのだと非難されて然るべきものだけど……森を追い詰めたのは他ならない、俺自身なのだから。
「ぐ……」
アゲハに攻撃された胸が痛む。
敗北し、死にかけ、それでも生きようと無様に逃げ回るのは俺にも為さねばならないことがあるから。
死そのものは怖い。
だがそれは絶望ではない。
真に恐ろしいのは生きる意味を失ってしまうこと。
生きながらにして、停滞すること。
だからこそ、俺はこの胸に宿る希望に従い生き延びてきた。そうでなければ俺はとっくの昔に死への道を自ら歩んでいたことだろう。
今の俺があるのはこの気持ちがあるから。
それが分かっていても、俺はどうしても森の……あの俺を見る目がどうしても忘れられなかった。
──どうしてそんな目をする?
俺にとって最も大切なもの、それが何か。
──どうして俺をそんな目で見る?
優先順位の一番上に、何があるのかを知っていても。
──やめろ、頼むから俺を、そんな……
心の奥底で、その痛みが叫ぶのだ。
──そんな……"裏切られたような顔"をして見ないでくれ。
心は器。
感情はその器に満ちる水のようなもの。
そして……一度壊れてしまったものはもう元には戻れない。
俺という存在は"復讐"を軸に何とか心の均衡を保っていた。糊で傷口を蓋し、中身が零れないように。だがそれも少し負荷がかかるだけでもうその脆さを隠すことも出来なくなっていた。
(まただ……また俺の目の前で……人が死んだ……)
たったそれだけのこと。
なんて、この世界では通用しない常識も俺達には当て嵌まってしまう。
溢れ出しそうになる絶叫を、唇を噛み締め殺す。
駄目だ。駄目だ。駄目だ。
ここで俺が壊れたら誰がアイツ等を殺す?
彼女の無念を、痛みを、悲しみを、誰がはらす?
俺の役目を忘れるな。俺の目的を忘れるな。俺の誓いを忘れるな。
何度も何度も何度も自分に言い聞かせ、俺は自我を必死で繋ぎとめる。
あの日、イリスと共に生きると決めた時にもう捨てたはずだろう? 今更そんな些事に構う必要なんてない。
俺はただ、復讐の為に生きればいい。
その為にはこんな感傷……捨ててしまえばいい。
辛い思いをするだけなのなら……心など、捨ててしまえばいい。
すっ、と戦闘中にも幾度と無く感じた心を水底に沈めていく感覚が俺を包み込む。それと同時に、少しずつ俺の視界もボヤけていった。
体力の限界を感じつつ、俺は頼りない足取りで何とか歩みを続けている。
早く……早く、帰らないと……。
──でも……一体どこに?
「…………」
思考が鈍化する。
もう、何も考えたくない。
このままここで倒れても、誰も構いやしないのではないか。
そう、思ったその時に──
「…………あ」
完全に意識が、心が沈む前、そのギリギリの刹那に俺は思い出していた。
俺の為に泣いてくれた彼女のことを。
帰りの遅い俺を心配してくれた彼女のことを。
ああ……そうだ。そうだよな……俺の帰る場所は……あそこだ。
薄まる視界に一筋の光明を得たかのように、俺はその光目指して歩き始める。
ただそこにある光を求めて。




