「とある昼下がりのカナタ」
アーデル・ハイトは昔のイリスを知っている。
そんな雰囲気を俺は奴から感じ取っていた。
思えば一目惚れしたからって理由でイリスについて色々と聞かれたりもしたが、それも今となってはどうだったのか。
(まさか、アイツがイリスの言ってた"追っ手"なのか?)
以前イリスが漏らしていた禁書を狙う者。
だがそれは魔族のはずだ。魔王の命によってリンドウ達はイリスを追いまわしていたと言っていたしな。
(いや……違うな。そもそもアーデルが魔族でない保証もないのか?)
魔族は人間族とほとんど変わらない風貌をしている。
特異な能力を身に付けている以外に、外見的に魔族を判別するのは難しいのだ。一応は背が高く、色白で黒髪が多いという特徴はあるもののそれも絶対ではない。
リンドウはそのパターンに当てはまるが、スザクは真っ赤な髪だったしそれだけの情報で魔族を判断するのは不可能だ。
(手配書に顔が載ってれば別だが……それ以外の魔族についてはさっぱり分からないわけだしな)
スザク、リンドウ、コテツ、ナキリ、アゲハ。
顔が割れているのはたったこれだけ。
他の7人に関しては外ですれ違ったとしても気付かないかもしれない。
そう考えると……薄ら寒いものを感じるな。
俺が今まで出会った人たちの中に、すでに魔族が混じっていたかもしれないのだから。
(いや……それは流石にないか。魔族は魔族領に引きこもってるらしいし)
となるとアーデルが何者なのかについてはまた分からなくなってしまう。
そもそも俺のこの世界に関する知識なんてそこらのガキにも劣る程度の認識しかないのだ。一人で考えたところでたかが知れてる。
そしてそれはイリス自身に関してもそうだ。
俺はイリスについて……何も知らない。
「…………」
「カナタ?」
俺が考え込んでいると、イリスが顔を覗かせるように視界に入り込んできた。
「ん? どうしたイリス」
「別に用事はないのだけど……貴方、何か悩んでいるの?」
昼食時、近くの川でステラが採ってくる魚をパチパチと焚き火で焼いているとイリスにしては珍しくこちらを心配するようなことを言ってきた。とういうかイリスも暇ならステラを手伝いにいけばいいのに。ま、こいつに魚が採れるとは思わないけど。
「まあ、その、なんつーか……俺って何も知らないんだなーって少し落ち込んでただけだよ」
「ふーん……まあ、貴方が無知なのは今に始まったことではないのだし落ち込むなんて今更じゃない?」
「ずっぱし言うよな、お前も」
もう少し気の利いた言葉は出せないものかね。
「でも事実でしょ。焦っても嘆いても現状は変わらないのだから落ち込むだけ損だわ。それに、知らないのなら知る努力をすればいい。たったそれだけのことでしょう?」
「……お前がそんな正論を言うなんて……熱でもあるのか?」
「本当に失礼ね。貴方が落ち込んで泣ければ殴ってるところよ。精神世界で」
「せめて現実で頼む」
修行中はマジでやばいからな。こいつ。効果音とかズドォォォォン! ってなるもん。どこのプルスウルトラだ。
「けどま……お前の言う通りかもな」
知らなければ知る努力をすればいい、か。
性格はとことん捻くれてるのにどうして生き方だけはこうも真っ直ぐ育つのかね。親の顔が見てみたいわ。
「ってことでイリス。お前のこと色々、教えてくれよ」
「え?」
話の流れでここは当然こうなると思っていたのだが……違ったか?
イリスはここでなぜそんな話に? って顔だ。
「いや、俺イリスについて何も知らないって話だったろ?」
「え? ……え? 貴方そんなことで落ち込んでたの?」
「そんなって……俺には大切なことなんだがな」
イリスにかかる追っ手は俺にとっての追っ手でもある。
俺も禁術を会得している以上、この力を狙うものはどこかに必ずいるのだから。そういう意味でも、俺はイリスからもっと情報を聞き出すべきなのだ。これまでイリスがなかなか話してくれなかったから聞きそびれてたけど、最近態度が少し柔らかくなった今のイリスなら話してくれるかもしれない。
「なあ、いいだろ。俺はもっと知りたいんだ。このままじゃ……どうにかなっちまいそうなんだよ」
心労でな。
あれこれ疑ってかかるのはいい加減疲れた。
「た、大切で……もっと知りたいって……そ、そそそそれってどういう意──」
「なあ、いいだろう、イリス? 教えてくれよ、お前のこと」
俺はここが勝負と強引にイリスの瞳をじっと見据え、迫る。
「……う、うぅ」
イリスはさっと視線を逸らし、手で顔を隠してしまう。
……駄目か。まだイリスは自分の過去を打ち明けられるほど俺のことを信用している訳じゃないということなのだろう。少し、残念だな。
「…………悪いな」
俺はイリスにそう告げて立ち去ろうと立ち上がる。少し川で頭を冷やしてこようと思ってのことだ。しかし、俺が椅子代わりに使ってた流木から腰を上げたその瞬間、
「ま、待って!」
イリスは俺の手を掴み、立ち止まらせた。
「そ、その……別に嫌だった訳じゃないから……貴方が大切って言ってくれたこと」
「? ……あ、ああ」
よく分からないがイリスは何か言いたそうな雰囲気。ここは少し話を合わせておこう。
「それに私は……その、するべきことがあるし、"そういうこと"をしてる暇はないのよ。あ、貴方も分かるでしょ?」
「……まあな」
そういうこと、の内容がイマイチ分からなかったがするべきことがあるってところには同意だ。俺達には何よりも優先すべきことがある。
「だから……その。全てが終わったとき、貴方の"想い"が変わってないのなら……」
最後は尻すぼみになっていくイリスの声。
だが言いたいことは伝わったぜ。ばっちりな。
「ああ。俺の"思い"は変わらない。絶対にな」
もしも俺にも追っ手の危険があるのなら、それだけは絶対に聞いておかなければならない。イリスと一緒にいる間ならイリスが気付いてくれるかもしれないが、いつまでも一緒にいられるとは限らないしな。
「そ、そう……絶対なのね……」
俺の言葉を反芻するイリスは口元を手で押さえ、こちらをちらちらと盗み見るように覗いている。なんだろう、今日のイリスは少し様子が変だな。頬を少し赤いし、本当に熱でもあるのかもしれない。
「……よし、今日は休憩日にしよう」
「え……? 突然どうしたの?」
「最近ろくに休んでなかったからな。今日くらいゆっくりしてもいいかなって」
イリスも疲れてるみたいだしな。体調が悪化するまえに休憩を入れようと思ったのだ。
「そう……」
パチパチと焚き火が陽炎のように揺れる。
会話は止まってしまったが、悪くない気分だった。
全てが終われば話してくれる。今はその約束だけで十分だったから。
「……早くその時が来ればいいな」
ポツリと漏れた本音に、イリスが猫みたいに飛び上がって驚いていた。
本当に今日のイリスは、変だ。




