「不死王」
それから俺が天秤のギルド本部に到着したのは完全に日が顔を覗かせてからのことだった。眩しい朝日にまるで自分が吸血鬼にでもなったかのような気分にさせられながら訪れたギルドで俺の帰還を歓迎してくれたのはつい先刻別れたばかりのリリィだ。
「カナタさんっ!」
俺の姿を見つけるや否やこちらに駆け寄ってくる小さな姿に俺は胸を撫で下ろす。どうやら無事に帰っていたようだ。良かった。
「どっか怪我とかしてないか?」
「私は大丈夫です。それよりカナタさんは……」
「ん、俺も大丈夫。五体満足で元気いっぱい……とまでは言えないけど、少なくともすぐにぶっ倒れるほどではないな」
俺の言葉にほっとした表情を見せるリリィ。その目元には少しだけ隈が浮かんでいた。
もしかして、俺のことを待っていてくれたのか?
だとしたら嬉しいな。
「そうだ、姉さまにも報告しなくちゃ」
「カミラか、今どこにいるんだ?」
「姉さまは今、本部で全員の配置を調整しているはずです」
そう言って俺の手を引くリリィ。
聞けばギルドの動ける人間を使って俺の捜索をしていてくれたらしい。リリィに連れて行かれたギルドの本部、関係者以外立ち入ることを禁止されたエリアの最深部にカミラはいた。
この周辺の地図を広げ、捜索範囲を確認していたらしいカミラは俺の姿を見るとほっとした表情を浮かべ、
「この……馬鹿やろうっ!」
活き活きとした表情のまま、殴りつけてきた。
疲れてきっていた俺はその一撃を避けることもできず、無様に食らってしまう。それがぽすっ、て感じの威力ならまだ可愛げがあったのだがカミラの一撃はドゴンッ! ガラガラガッシャーン! って擬音が似合うものだったから堪らない。
「カナタこの野郎、よくやってくれたじゃねえか! 感謝してもしきれねえぜ!」
「ね、姉さま、言葉と行動が一致してないよっ!」
「思わずだ!」
満面の笑みで叫ぶカミラ。
思わずで手が出るとか育ちを疑うんですけど。結構いいとこのお嬢様って話じゃなかったか、お前は。
やれやれとため息をつきながら、埋もれるように倒れこんだ雑貨をどかし、立ち上がる。
「とりあえずカミラ……疲労困憊の相手を殴るな」
「悪い悪い」
そう言いながらもまったく悪びれた様子のないカミラ。
まあいいけど。昔は紅葉、最近ではイリスに弄られ続けた俺のM値はなかなかどうして完成されつつある。このくらいなら最早ご褒美だぜ。
できれば時と場合は選んで欲しかったけどな。
「とりあえず座れ、カナタ」
カミラに促され、リリィの引いてくれた椅子に腰掛ける。
「あ、あの……紅茶、好きですか?」
「え? ……ああ、嫌いじゃないけど」
その時にリリィに好みを聞かれたので素直に答える。
すると「少し待っていてください」と部屋から出て行くリリィ。紅茶を用意してくれるってことなのか?
少しだけ期待を胸に膨らませていると、俺の対面に座ったカミラが口を開いた。
「妹から大体の話は聞いてるが、カナタからもう一度何があったか聞かせてくれるか」
「ああ。俺も話しておかなくちゃとは思ってたからな」
先日ギルドでカミラと大立ち回りを演じた男が主犯格であったこと、彼らに雇われる形でリックと名乗る男と戦闘になったこと、それをやり過ごし何とかここまで帰ってこれたことを告げると、
「リックって……あのリックか?」
「あの?」
カミラの言いたい意味が良くわからなかった俺は聞き返す。するとカミラは椅子から立ち上がり、壁にかけられたいた木製のボードにピンで貼り付けられていた紙を抜き取る。
「こいつの顔に見覚えは?」
そして渡される紙に印刷されている顔は……確かにさきほど会ったリックのものだった。
「これは?」
「手配書だ。騎士団の手に余る犯罪者は冒険者にも捕縛の依頼が来ることがあるんでな。こいつの場合、生死問わずになってるが」
見れば確かにそのような胸の記載がある。
そんで懸賞金は……一、十、百、千……ひゃ、百万コル!?
「うわっ……すげぇ大金」
「まあな。ただのゴロツキにここまでの値が付けられることはまずないんだがコイツの場合特別だ」
「何やらかしたんだよ、コイツ」
「人殺しだ」
「あー……」
リックの性格からみてもさもありなん、ってとこか。
そういう恨み辛みは根が深いからな。
「しかもただの人殺しじゃない。奴が行ったのは貴族殺し……極刑ものの大罪だ」
「なるほどね。それでこんな額がついてんのか」
納得。きっと殺された貴族の関係者が復讐に燃えちまったんだろう。リックの奴も難儀な人生送ってやがる。まあ、こいつの場合、完全な自業自得なんだろうけど。
しかし……
リックを殺しとけば100万コル手に入ったのか……
「……そっちの奴らは全員手配されてる奴なのか?」
少し気になった俺はボードを指差し、カミラに尋ねてみた。
べ、別に賞金が気になったとかじゃないんだからねっ!
「ああ、つっても今のご時勢高値が付く賞金首なんて何人もいねえがな」
そう言いながらボードから複数枚の紙を取りはずしたカミラは同じように俺に手渡してくる。
「金になりそうなのはこのへんだ」
俺の内心をすっかり見通して。
いや、まあ金欠状態で金の話をされたら飛びつきたくなっても仕方ないじゃないですか。
「……30万、50万……おっ、こいつも100万だ」
「本当に金しか見てねえな、お前」
「金欠なんだ。ほっとけ」
答えながらぱらぱら紙をめくっていると、
「うおっ!? 1000万コル!?」
まさしく桁が違う手配書が目に付いた。
1000万とは一生働かなくてもよくなるほどの大金だ。そんな金が一人の人間にかけられているなんて信じられない。
「えっと名前は……不明? おいおい何だよこれ。顔写真もないじゃないか」
これでは探しようがない。俺はこの意味の分からない手配書を目の前のテーブルに投げ捨てるのだが、
「……カナタ、お前冒険者なのに知らないのか?」
「ん? 何が?」
「至上最高額の賞金首、名前も顔も誰も知らない。ただその存在がいることは誰もが知っている」
誰も知らないけど、知っている? なんだ、なぞかけか?
頭の上にクエスチョンマークを作る俺に、カミラはゆっくりと語りかけるようにその名を出した。
「魔王」
ドクン、と心臓が跳ねた。
それは俺にとっても因縁深い、この世界に迷い込むことになった原因の名だった。
「魔王……」
「……奴の本名は誰も知らない。顔も見たことがある奴は全員あの世に行っているんだろうぜ。だからこそその手配書にもそれ以上の情報が記載できねえのさ」
なるほど。確かにそれなら納得だ。この手配書のあり方にも、その付けられた賞金額にも。
「……こいつは、そんなに強いのか?」
「さあな。強さだけが賞金を決めるわけじゃねえからな。けど噂ならいくらか出回ってるぜ」
「噂?」
魔王に関する噂には少し興味があった。だから思わず聞き返したのだが……
「曰く、魔王は老いることも死ぬこともない。曰く、魔王はこの世界を憎んでいる。曰く──誰も魔王を殺すことはできない」
──もしかしたら、
「だからこそ、奴はこうも呼ばれている」
──俺はこの時、聞き返すべきではなかったのかもしれない。
「死なずの王──『不死王』ってね」
不死。
不死王。
それは俺の根幹を揺るがす単語だ。
「不死王……だと?」
「ああ……って、どうした。顔色悪いぞ?」
「……いや」
なんでもない。なんでもないはずだ。
馴染み深い単語が出てきたから理由もなく焦ってしまったが、実際、どうということもない。噂は噂。仮に奴が俺のような能力を持っていたとしてもそれは俺には何の関係もないことだ。
「……魔族も手配書に乗るんだな」
「ん? ああ、まあな。他にも乗ってる奴はいるぞ。顔写真の隅にマークついてるのがあるだろ。それが魔族だ」
言われるままぺらぺらとめくってみると……確かに蛇みたいなマークがついているのと付いていないのがあった。魔王にはあって、リックにはない。
マークのある手配書を選んで抜き取ると、全部で7枚あった。
イリスの話では現在、12人の魔族が存命中らしいから約半数が手配されていることになる。さらにその中で名前と顔写真が乗っているのは5枚。魔王と、カグラという名前だけの手配書が2枚という内訳だ。
「スザク、ナキリ、コテツ、リンドウ……」
しかも、その内の4人には面識があった。
「多分そいつらは魔族側の実動部隊ってことなんだろうぜ。あちこちで出現報告が上がってる」
「……そうか」
あまり見たい顔でもなかったため、俺はすぐに次の手配書へと視線を移す。
こちらは名前にも、顔にも見覚えがない。
「……アゲハ、か」
綺麗な黒髪に、釣り目が印象的な女性だ。気の強さが見ただけで伝わってくる。こいつもさっきの4人と同様に結構な高値がついていた。
「気になるなら持って帰ればいい。だから先に話を終わらせるぞ」
「ああ、そうだな。悪い、脱線させた」
とりあえず魔族について考えるのはよそう。
今の俺には何の関係もないのだから。
気を取り直して話を再開。とはいってもあらかたの事情は話し終えていたから本当に確認程度の話だった。
そして話にも一区切りついた頃、サービストレーに紅茶の入ったカップを載せたリリィが戻ってきた。
「お、お待たせしました!」
慣れた手つきで目の前にカップを置いていくリリィ。こういっては何だが給仕姿がよく似合っていた。
「ありがとう、リリィ」
「い、いえ」
はにかみながら一歩下がり、俺の後ろで待機するように立つリリィ。何と言うかこの感じ、懐かしいな。王城にいたころは食後によくシェリルがこうして紅茶を出してくれてたっけ。
胸に押し寄せてくる感情をカップの中の紅茶と共に飲み込む。
「……うん。おいしいよ」
振り向いてお礼を言うと、リリィは慌てて頭を下げて恐縮していた。
「よ、良かったぁ……」
漏れ聞こえる声からリリィも自分の仕事が完遂できて満足のようだ。うん。彼女は良いメイドになるね。
脳内でメイド服を着ながら笑みを浮かべるリリィを想像していると……
「あれ? 俺の分は?」
隣でカミラが寂しげにそんなことを呟いていた。




