「協力」
それから俺が再び目覚めたのは夜になってからのことだ。
紅葉の奴……本気で殴りやがって。
「おー、痛そうだね。可哀想に」
「人事だと思いやがって」
「だって人事だし」
「くっ……宗太郎、てめぇ」
目の前でのほほんとした友人に罪がないと分かってはいてもこの行き場のない感情は抑えきれないのだ。
「隙あり!」
俺はささやかな復讐とばかりに、隣の席に座っている宗太郎の皿からメインディッシュの肉料理を掻っ攫う。
「な! 返してよカナタ! 僕、それ楽しみにしてたんだから!」
「はっはっは、戦場で余所見するほうが悪いのだよ。宗太郎君」
「ぬぬぬ……カナタがそのつもりなら……えいっ!」
「あっ! 宗太郎! それは俺のウィンナーだぞ!」
「はは、仕返しだよーだ。いただきまーす」
「ああああああああああ」
「……カナタのウィンナー……美味しい……」
コイツ……いい根性してやがる!
いいぜ! こうなったら全面戦争だ!
「……おい、お前らうるせえぞ。食事中くらい静かにしろや」
俺がフォーク片手に宣戦布告しようといきり立っていると、俺の右隣に座っている拓馬が割りと苛立った声を上げてきた。
「ん? ああ、悪い悪い。宗太郎が俺のウィンナー欲しがるもんだからさ」
「最初に求めてきたのはカナタの方じゃん」
「……あのなあ……お前らもう少し空気ってもんを読めよ」
拓馬が呆れ顔を共に顎を指す。
改めて周囲を見ると、クラスメイト達が黙々と食事を口に運んでいる光景が目に入った。
まるでお通夜……いや、それよりもっと悪いだろう。誰一人笑みを浮かべているものはいないのだから。
「……な?」
「な、って何だよ。周りが落ち込んでたら俺も落ち込まないといけないのか? そういうのは拓馬が一番嫌がる『馴れ合い』って奴だろうが」
「……そう言われると確かにそうなんだがよ」
ったく……どいつここいつも調子が狂う。
たかだか異世界に連れてこられたくらいで情けない。
「なあ、宗太郎。お前もそう思うだろう?」
「いや、普通は落ち込むと思うよ? 全く落ち込んでない僕らがおかしいんだって」
「そうか?」
「うん。こういう時だけオタクで良かったと思うよ。シミュレーションはばっちりだからね」
うーん。
確かにそういうもんかもしれない。
「……まあ、落ち込めとまでは言わねぇけどよ。食事中くらいは静かにしろ」
「へーい」
静かに食事したいってのは拓馬の性格上分かる話だったので、俺もそれ以上馬鹿話を続けることはしない。
ただ……周りが余りにも辛気臭いもんだからふざけたくなっただけだ。
(そこまで深刻になることもないと思うんだけどな……ん?)
視線を戻すと、俺の正面に座っていた女子……上原さんが俯いて、妙な仕草をしているのが気にかかった。
「あ、ごめん。うるさかった?」
俺はフォローを入れる意味で声をかけたのだが、
「え? う、ううん。全然気にしないでいいよ。むしろもっとやってくれていいよ?」
「え? あ、そう? それならいいんだけど」
落ち込んでいる訳ではないらしい。
それどころか妙に上気した顔でにやにやと粘つくような笑みを浮かべている。本能的に危険を感じる笑みだ。
とはいえ、本人が良いと言っているのだからそれ以上気にすることもないだろうと、俺は食事に戻ることにした。
「あ、青野君と金井君……カナタ×宗太郎なのかしら。いえ、案外逆に宗太郎×カナタなんてことも……はぁ、はぁ……たまんないわぁ」
………………。
正面から何か聞こえてきたような気がしたけど、ボクは気にしないことにしました。食事は、とても美味しかったです。まる。
悪夢に出てきそうな夕食を終えた俺は、城内をぶらついていた。気分転換がしたくなったというのと、少し体を動かしたかったからだ。
元々俺は運動部に所属している訳でもないただのオタクだ。ここが異世界で、戦うことになるかもしれないとしたら少しでも体を鍛えておく必要があると思ってのことだ。
トレーニングルームなんかが見つかれば最高だね。
まあ、こんだけの広さだから見つかるわけ無いだろうけど。
「…………」
だから、結局は俺も落ち着かない気分になっているということなのだろう。いつも以上にはしゃいでいるのも、感情のコントロールが上手くいっていないから。
拓馬じゃないけど、もう少し落ち着きを持って行動したほうがいいかもしれない。こういうとき、映画なんかではふざけた奴から真っ先に死んでいく。
……なんて、まるでフラグみたいだけど。
「ん?」
つらつらと取り留めの無いことを考えながら歩いていると、前方から歩いてくる人の姿が見えた。
「あ、青野君。こんばんは」
「こんばんは。白峰さんも散歩?」
「うん。そんな感じかな」
「そっか」
突然の出会いに、心臓が高鳴ってしまう。
白峰さんはクラスの中でも一番綺麗だし、性格も最高だ。クラスの男子のほとんどが白峰さんに好意を向けているだろう。そして、俺もその例に漏れない。
「あの……青野君、よければ少しお話しませんか?」
だから、その誘いを受けたとき、俺は何の冗談かと思ってしまった。
「俺? 俺でいいの?」
「うん。少し青野君とお話したい気分でしたから」
「じゃあ……俺で良ければ」
「ではここではなんですから、私の部屋に行きましょう」
外面は必死に平静を装っていたが、内面はガッツポーズの嵐だ。俺は先導する白峰さんに付いていきながら、スキップでもしてしまいそうな足を必死に抑えていた。
「では、どうぞ」
「お、お邪魔します」
女の子の部屋に入るのなんて紅葉以来だったから緊張してしまう。紅葉を女の子カテゴリーに入れて良いものか怪しいところだから、実質初めてのお招きだ。
白峰さんに連れてこられた部屋は俺の部屋と全く同じ構造で、唯一の家具であるベッドが置いてあるだけだった。
……な、なんか、『そういうことをする部屋』に思えてきてしまったのは俺の心が汚れているからだろうか。
「そういえば椅子とかありませんでしたね。良かったらベッド使ってください」
「いや、俺は立ってるからいいよ。白峰さんこそどうぞ、腰掛けて」
「いえいえ、青野君がお客さんなんですからゆっくりしてください」
「いやいや、白峰さんは女の子なんだからレディーファーストでどうぞ」
それから俺たちはしばしどうぞ合戦を繰り返した後、折衷案ということで並んでベッドに腰掛けることにした。
…………ふぁっ!?
「…………」
すぐ隣に腰掛ける白峰さん。
ち、近い……何だこれ? だんだん恥ずかしくなってきたんだけど……
「青野君は……」
「は、はいっ!?」
緊張しすぎで少し声が裏返ってしまった。恥ずかしい。
「あんまり落ち込んでないですよね」
「え? 俺が?」
「はい。皆さん精神的に参っている人が多いようなので……私はそれが少し心配なんです」
白峰さんは凄く真面目な表情で語り始めた。
そう言う話ではなかったのは残念だったが、そっちも重要な話だったので、俺も背筋を伸ばしてっちゃんと話を聞くことにした。
「紅葉ちゃんもそうですけど、普段明るい人も暗くなってしまって……私、このままではいけないと思うんです」
「……俺もそれは少し思っていたよ」
食堂で宗太郎とはしゃいでいたのも、少しでも明るい雰囲気になって欲しい。そんな願望がなかったと言えば嘘になる。
「だから、青野君さえ良ければなんですけど……クラスを盛り上げるのに、協力してくれませんか?」
「協力?」
「はい。と言っても、食堂でやっていた感じでいいんです。私はあまりはしゃぐのが得意ではないので……青野君には皆の前で明るく振舞って欲しいんです」
「それくらいなら全然良いけど……なんでわざわざ俺に?」
「……私は、その……こういう相談が出来る相手がいなくて……」
恥じらいながら頬をかく白峰さん。
何この子、可愛い。
「そっか」
そんな子に頼ってもらえるのが嬉しくて、俺も思わず頬が緩んでしまう。
「分かった。それくらいでいいならいくらでも手伝うよ」
「本当ですか! ありがとうございます。青野君に相談して本当に良かったです」
俺の答えに、ほっとした表情の白峰さん。彼女も彼女で色々と背負っていたのだろう。クラス委員として、リーダーシップを取らなければと言っていたし。
こんな状況でクラス委員も無いだろうに。
「それで……そのついでと言っては何なんですけど」
俺が呆れと感心を内心に秘めていると、おずおずと白峰さんが切り出した。
「ん? 何?」
「えと……私たち知り合ってから結構経ちますし、そろそろ呼び方変えてみません?」
白峰さんの提案は俺にとって予想外のものだった。
確かに一年の頃から知り合って期間だけで言えば二年近くの付き合いになるのだが、俺はそれほど白峰さんと親しくなれているという実感がなかったから。
「あの……駄目ですか?」
「駄目なんかじゃない!」
思わず食い気味に返事をしてしまったが、白峰さんは嬉しそうに笑みを浮かべていた。
「それでは……カナタ君、と呼ばせてもらっていいですか?」
「う、うん……」
カナタ君。
まさか白峰さんにそう呼ばれる日が来るとは……
「あ、俺の方は何て呼ぼうか。奏さん、とか?」
「あの……よ、呼び捨てで呼んでもらっても構わないですか?」
俺の問いに、白峰さんは恥ずかしそうにそう提案した。
何この子、可愛い。
「実は紅葉ちゃんと青野君のやり取りが結構羨ましかったんですよね。私、男の子のお友達とそんな風に呼び合ったことなんてなかったですから」
「そ、そっか」
ということは……俺が白峰さんの始めてを……
「それじゃあ……奏って呼ばせてもらうよ」
「はい。よろしくお願いします、青野君」
「あ、呼び方戻ってるよ白峰さん」
「す、すいません。でも青野君だって……あ」
お互い指摘し合って、向かい合う俺たち。
「……ぷ」
「あはは、変な感じ」
思わず笑みが漏れる。
くすぐったいけど……嫌ではないこの感じ。
こういうのを恋って言うのだろうか。
「それじゃあ、今日はもう遅いし帰るよ」
「はい。また明日です。おやすみなさい……カナタ君」
「うん。おやすみ……奏」
……いかん! 恥ずかしすぎる!
俺は顔が赤くなるのを自覚して、慌てて扉を開いて逃げるように飛び出す。
こんな顔、白峰……奏には見られたくなかったから。