「脱走」
ギルドでいつもカミラの後ろに隠れ、こちらの様子を伺っていたリリィ。
話した事はない。だから俺はその少女を見て、まずカミラと誤解してしまった。
(人違い……って言うには近過ぎるか)
見た目も、立ち位置も。
カミラとリリィは双子の姉妹だ。そして二人で商業ギルド、天秤の運営を任されていると聞いている。普段ならギルドの屈強な男達にボディガードとして着いてもらっているはずなのに、なぜあの夜は一人であんなところにいたのか。聞いてみるとリリィは、
「お姉様と喧嘩して……それで……」
そのヒスイ色の瞳にうるうると涙を溜めて、今にも泣きそうな顔をする。
参ったな。女の子の涙ほど困るものはない。
「あー、喧嘩。喧嘩ね」
俺は呟きながら言葉を探し、
「えーと。何で喧嘩なんてしたの?」
気が効かないにもほどがある質問をしてしまった。
「……お姉様がリリィのとってたプリン食べちゃったの」
と思ったら案外理由ショボかった! そんなんで喧嘩すんなよな。おい。
あ、でも三日前イリスと似たような理由で喧嘩したっけ。
「あるよね、そういうことも」
「……うん。お姉様はすぐリリィのお願い忘れちゃうから。絶対食べないでって言ったのに」
どうやらリリィはいまだにカミラの所業を恨んでいる様子。プリン一つで、と思わないでもないがこの世界の甘味はたっけーからな。さもありなん。女の子は甘いもの好きって相場は決まってるしな。
(けど……こいつらも喧嘩とかするんだな)
少し意外だ。俺の中でリリィは引っ込み思案な子ってイメージがあったから喧嘩できるようなタイプとは思っていなかった。カミラにしても粗雑ではあるが優しい奴だ。家族と喧嘩なんてするような奴じゃないと思っていた。
でも……家族でも喧嘩することはあるんだよな。一緒に暮らすってのはそういう小さな衝突がいくつもあるってことなんだろう。俺とイリスのように。それが元々赤の他人って言うのなら尚更。
(……少し、言い過ぎたよな)
思い出すのは別れる寸前のこと。
お互い色々と言ってはいけないことを言ってしまった。助け合っていかなきゃいけないって分かっているはずなのに。俺にしても、イリスにしても一人ではどうしても生きていけない。
イリスは生活能力が、俺はこの世界の知識が圧倒的に足りない。
そんなの言うまでもないことだったのに。
(……戻ったら謝ろう)
牢獄の窓から差し込む月の光に、俺はそう誓うのだった。
もっとも、ここから戻れればの話だが。
「おい。お前、男の方だ」
がしゃんっ、と牢を揺らして話しかけてくるのは俺を襲った男だ。どうやらコイツが俺たちの見張りをするらしい。どこからか戻ってきた男に俺は憮然とした表情を向け、応える。
「何だよ」
「暇だからお喋りしようぜ」
何で男とお喋りせにゃならんのか。それならまだ可愛い女の子、リリィと話していたほうがよっぽど有意義だっつの。
「オレの名前はリックだ。お前の名前を聞かせてくれよ」
「……カナタだ」
「珍しい名だな。使ってる技も珍妙だしよ。まあいい、覚えた。それと医療道具持ってきてやったぞ。好きに使えよ」
そう言ってリックは俺に針と糸、そして消毒液に布が入った箱を牢獄の隅にある小さな隙間から差し込んできた。
「……ここで縫えってのかよ。麻酔は?」
「ある訳ねえだろそんなもん。治療できるだけありがたいと思いやがれ」
まあ……確かにそうか。結構ざっくりいってたし縫う必要は確かにあるのだろう。普通なら。
けど、どうしたもんかね。俺にはそんな治療は必要ない。傷なんてとっくの昔に塞がっている。だがそれをこの男に悟られるわけにはいかない。この異能力は俺の唯一の武器にして最大の秘密だ。
「……おい、リック。お前出て行けよ。治療しているところを見られたくない」
「あん? 何でだよ」
「自分の弱さが情けなくなる」
「……ふーん。ま、いいぜ。その代わり二十分で済ませろ。その間に飯食ってくるからよ。あ、お前らもいるか?」
リックの質問に突然話を振られたリリィがビクッと体を硬直させる。首を横にフルフルと振っているが……飯はもらえるときにもらったほうがいい。前は『忘れてた』とかいうふざけた理由で三日も飯抜きにされたからな。
「あるなら頼む」
「ま、お前は招かれざる客だからな。無かったらオレの分やるよ」
びしっと指を俺に向け、格好つけるリック。
意外に優しいなこいつ。どんな裏があるのやら。まさかそっちの趣味じゃあるまいな。
「そんじゃ後でなー」
手をひらひらと振って部屋から出て行くリック。これで俺とリリィが二人取り残された形だ。でもこれで色々と誤魔化せる。
俺は左手に巻いていた布を取り除き、傷を確認する。
……うん。きちんと傷は塞がってるな。これなら大丈夫そうだ。
俺が左手の動作を確認していると、じぃぃっとこっちを見つめるリリィの視線に気が付いた。
「どうかしたか?」
「……怪我、したんだよね?」
「ああ」
「怪我……どこにあるの?」
まあ……そうなるよな。誰だってすぐに気付くことだ。
「まあ、何ていうかその……俺の体質なんだよ。怪我が治りやすいっていうな。元々ちっこい傷だったんだ」
「……そっか。良かった」
俺の言葉にほっとした表情のリリィ。
純粋に俺の怪我を心配してくれていたのだろう。良い子だ。
そしてそんな子を騙したという罪悪感が俺の中でむくむくと……
「どうしたの? 何だか辛そうだけど……」
「いや、気にしないで。はは……」
心配されればされるほど心が痛むね。
けど今はそれを気にする時間もない。
何せ……時間は"二十分しかない"のだから。
「さて……」
俺は微量の魔力を指先に集中。
「脱獄といきますか」
ボウッ! と俺の指先に飛び出る炎は灼熱の剣、その縮小版だ。イリスとの練習の甲斐もあり、今では炎の大きさをかなり自在にコントロール出来るようになった。
「ま、魔術っ!?」
俺の生み出した炎に驚きの声を上げるリリィ。俺は自分の手錠を焼き斬ってから、
「大丈夫。痛くはしない」
リリィの手をとり、そっと手錠を同じようにして焼き斬る。
じゅぅぅぅぅ、と煙を上げて溶解する部分がリリィにかからないよう細心の注意を払って手錠を取り払い、今度は背面にあった壁へと向かい合う。そしてそのまま屈めば通れるくらいの大きさの穴をゆっくりと作り出す。
「うしっ、こんなもんか」
十分通れるだけの大きさになったところで俺はリリィに向き直る。
「さあ……行こうぜ」
リリィは俺の伸ばした手を見て、驚きに目を見開いている。そして、
「あなたは……私を助けてくれるの?」
見開かれた瞳には疑惑と期待が入り混じっていた。
「もちろん。俺はそのためにここに来たんだからな」
そうでなければあの時、わざわざ負けたフリなんてしていない。はっきりとそう告げた俺にリリィは今度こそ信じられないといった顔をして見せた。
「ほら、先を急ごうぜ」
いつまで経っても手を取ろうとしないので俺は強引に手を引っ張って連れ出すことにした。細く、しなやかな手を握り締め、俺は月明かりの照らす路地裏へと飛び出る。
さあ……脱走劇の始まりだ。




