「獣人」
話には聞いていた。この世界には俺たち人間以外にも獣人族や精霊族と呼ばれる『異形』の姿を持つ生命体が存在することを。外見こそ人間に近いが、魔族もこれらに分類されている。
そして、それら異形たちと人間は生存圏をそれぞれに確保することで関わりを避け、ある種不可侵のような関係を続けてきた。きっとそれはお互いに分かっていたからだ。見た目や感性の問題ではない。自分達は決して相容れることのない存在なのだと。
「これが……獣人……」
牢の中で小さく縮こまる少女を見て、思わず声が漏れる。
始めてみる『異形』に心がざわつくのを感じる。これは……ダメだ。俺の中の衝動が抑えられそうにない……ッ!
他の奴隷達も、商人も、イリスさえもその禁忌の存在を前に一歩引いている。それは恐怖や嫌悪感といった感情なのだろう。そんな負の感情が漂う牢前で俺は……
「すっ……げぇぇぇぇえぇえぇぇぇえぇぇぇぇぇっ!!」
心の中の衝動……ついにケモノ耳少女に会えたその感動を抑えきれなくなっていた。
「おおおおっ! 本当にいたっ! すげぇ! 耳動いてる! な、なぁ、君! 尻尾! 尻尾はついてんの!?」
「え、え、え?」
少女は突然話しかけられると思ってなかったのか、驚いた表情でこちらを見ていた。
いけない。もっと冷静にならねば。いくら念願のケモノ耳少女に出会えたからと言ってテンションを上げすぎてはキモいだけだ。こんなオタク丸出しの反応はできるだけ抑えねばな。
「オホン。えっと、言葉は分かる? もしかして種族で言語違うパターンだったり?」
「い、いえ……言葉は分かります、です」
ます、ですって……ちょっと変な言葉遣いだけど慣れてないのかな。でもまあ、言いたいことが伝わるならそれで無問題。
「それなら良かった……よし」
この子を買おう。すぐ買おう、即買おう。
そう思って振り向くと商人とイリスが揃って変な顔をしてこちらを見ていた。あれ、もしかしてテンション上げ過ぎてキモかったか? まあいい。俺の中であの少女を買うのは決定事項だ。
「イリス、あの子を買おう」
「カナタ……あの子が何か、分かって言ってるの?」
「獣人だろ? 俺だってそれくらいは知ってる」
「そう……まあ、貴方の金だし買うのは別に止めやしないわ」
勝手にしなさい、とイリスは嘆息した様子で呟く。何だよ、文句があるなら言えばいいのに。
「まあいい。おい、商人。そういうことだからあの獣人の子を売ってくれ」
「へへ、毎度」
下卑た笑みを浮かべる商人はそれから購入手続きとして、別室へと案内した俺に色々なことを確認してきた。主人としての経験がないことを告げると商人は奴隷紋についての説明をしてくれた。
「奴隷紋ってのは奴隷に与える命令を強制させるための仕組みさ。あらかじめ決めていた命令に違反したときに自動的に罰を与える」
「その罰ってのは具体的に何が起こる?」
「耐え難い痛みだ。面白がって使いすぎるなよ。後十秒以上も使うな。発狂する」
「……なるほどね」
痛みってのは人を縛るのに最適だからな。物として扱われる奴隷に対してならさもありなんってところか。
「ただ気をつけて欲しいのがこの奴隷紋、術式の都合上三つまでしか命令を設定できねえ。だが安心しろ、『言うことを聞け』って命令を埋め込んでおけばそれで万事事足りる」
「酷い命令もあったもんだな」
ランプの魔人とは違ってそういうずるいやり方もできるってことか。まあ、そうでなければ奴隷として意味がないけど。
「それで。あとの二つは何にしておく? ちなみに『自殺するな』、『逃げ出すな』、『服を着るな』、この辺りを命令する奴が多いぜ」
「前二つはともかく最後のは一体なんだよ。変態じゃねえか」
「いやいや、これが結構効果的なんだぜ? 人としての尊厳を根っこから引き抜くなら文化的な生活を取り上げるのが一番だ。衣食住、この中でも衣が一番取り上げやすいしな」
主人初心者の俺に懇切丁寧に教えてくれる商人。
確かに家で飼いならすならそれでいいかもしれないが、俺には無理だ。
これから旅に出るってのにマッパの少女を引き連れてたんじゃ不都合が生じてしまう。色々と。
俺は男の子的思考からその命令を却下し、改めて何を命令として設定するか考え……
「……それなら命令は『1、主人の命令に従う』『2、1に反しない限り自分を守る』『3、1・2に反しない限り周囲の人間に危害を与えない』。これにしてくれ」
そう告げた俺に、商人は「ほう……」と感心した様子で自分の顎を指先でなぞった。
「なるほど、そういう段階的な命令の仕方もあったか。中々賢いじゃねえか、アンタ」
「別に俺が考えたわけじゃないけどな」
昔、映画で見たロボット三原則ってのを思い出しただけだ。内容自体は少し変えてあるけどな。
けどこの三つの命令で自殺防止、正当防衛、暴走禁止としておきたかった命令はほとんどできている。後で逃げないように言っておくのを忘れないようにしないといけないが。
「そんじゃあ早速奴隷紋を刻むとするか。今持って来るから少し待ってな」
そう言って俺に説明を終えた商人は例の少女を引っ張ってきた。少女はふらふらと頼りない足取りではあるが、動けないほどではない。これならすぐに旅に出ても大丈夫だろう。やっとこのカビ臭い場所から出れたばかりだというのに申し訳ない話だけどな。
俺が重そうな鎖を外され、仮初の自由を与えられた少女に同情していると奴隷紋の準備をしている商人が、
「奴隷紋はどこに刻む?」
と、俺に聞いてきた。
「俺が選んでいいのか?」
「ああ。奴隷紋を隠したいって奴もいるからな。逆に自分のモンだと誇示するため見えやすいとこにつける奴もいるが」
「なるほどな……」
特にこだわりはないんだけどな。一度決めたら取り返しのつかない刺青のようなものだし、適当に決めるべきでもないか。
「奴隷紋ってどれくらいの大きさなんだ?」
「大体こんくらいだな」
俺の問いに指で円を作ってみせる商人。思ったより小さいんだな。これならどこにでも付けられそうだ。
「分かった。少し待ってくれ」
俺は商人にそう告げてから、まだ名前も知らない少女の元へと歩く。すると俺を警戒しているのかビクッ、と身体を硬直させてこちらの様子を伺ってくる少女。出会ったばかりだししょうがないけど、そこまで警戒されると落ち込むなあ。まあいい。時間はこれからたくさんある。
俺は出来るだけ少女を怖がらせないよう、努めて優しい声音で尋ねる。
「なあ、奴隷紋つけるならどこがいい?」
「え? ……私が決めて良いの?」
「ああ。俺は特にこだわりないからさ。君、女の子だしできるだけ目立たないところがいいと思うんだけどどこがいいかよく分かんなくて。だから君が決めていいよ。付けたくないってのは……ちょっと困るけど」
「…………」
俺の言葉に押し黙る少女。
そりゃやっぱり付けたくはないよな、奴隷紋なんて。だけどそれがないと俺達は一緒にいられない。物理的な意味ではなく、精神的な意味で。俺もイリスも良く知らない奴を連れて一緒に旅をできるほど真っ直ぐな心をしていない。どうしても疑ってしまう。寝首をかかれやしないかと。
我ながら醜い感情だと思わないでもない。けど、もう俺は駄目なのだ。あの手痛い裏切りを受けた身として、人を信じるなんてことが出来なくなってしまっている。
──たった一人の例外を除いては。
俺が何と言っていいか迷っていると、
「ここがいい、です」
少女はそう言って自分の左手の甲を指差した。
「……本当にそこがいいのか?」
もっと見えにくい場所があるだろうに、少女が選んだのは意外すぎる部位だった。
俺の問いにこくり、と小さな頭を縦に振る少女。まあ、彼女がここでいいというのなら否定する理由もないか。
「商人、そういうことだ」
「アンタも変わった人だな。わざわざ奴隷に聞くなんてよ」
「ほっとけ」
色々と予想外のこともあったが、こうして俺の奴隷選びは無事終了し、二万コルという大金と引き換えに一人の少女を手に入れた。
しかし、この時の俺はまだ知らなかったのだ。獣人の奴隷という存在がどんな意味を持つのか。その重みを。




