「見えない背中」
月の輝く夜空を見上げ、スザクは散っていった戦友のことを想っていた。
「……まさかリンドウがやられるとはねー。ま、私にとっちゃどうでもいいことだけど」
隣に立つ長身の女……ナキリがせいせいするわ! と言わんばかりに鼻を鳴らしている。リンドウとは折り合いの悪かった彼女のことだ。本気で彼の死を喜んでいるのかもしれない。
「けどこれで四天王が三人になっちゃったわね。どうする? 改名する?」
「……面倒」
ナキリの下らない発言に、付き合いきれないとその身を翻す男、コテツをスザクが呼び止める。
「どこへ行くつもりだ、コテツ」
「……魔王様の所、戻る」
「ま、現状じゃあそうするしかないわよねー。頼まれていた女の子……イリスって言ったっけ? あの子の回収に失敗した以上、何を言われるか分かったもんじゃないけど」
今回スザク達が受けていた任務は二つ。
召還者たちの情報収集に関して言えば、すでにリンドウがその役目を終えている。それとは別に与えられていたもう一つの任務。
それがイリスという少女の持つ、『移動図書館』の確保だった。
「けど今更魔眼の能力なんて何で欲しがるのかねえ?」
「…………」
ナキリが心底疑問だといった様子でスザクに視線を送る。
リーダーである彼ならば、何か知っているかもしれないと思ってのことだ。そしてそれは事実、スザクにしか与えられていない情報というのは存在していた。
だが、
「知らん。無駄口を叩く暇があったら帰郷準備に取り掛かれ」
スザクは頼れる仲間に嘘を付き、その情報を隠した。
知られること事態には問題はなかった。しかし、それによって生じる不確定要素をスザクは嫌ったのだった。
「はいはーい。分かりましたよっと」
両手を頭の後ろで組んで、明らかに不貞腐れた態度を見せるナキリはもしかしたら嘘に気付いてしまったかもしれない。彼女は適当に見えて、割と鋭いところがあるから。
「…………」
スザクはその場から立ち去る寸前に、かつての友の亡骸に視線を送る。リンドウも昔は人一倍仲間思いの好青年だった。それがどこであのような怪物に変貌してしまったのか……その原因に、スザクは心当たりがあった。
人を呪わば穴二つ。
殺意の波動に目覚めてしまった彼に、自分を律するだけの精神力が足りなかった。ただそれだけのことなのだろう。
しかし、スザクという男は思うのだ。
これも自分たちが招いた悲劇だったのではないかと。
歴史は繰り返すというのなら、この悲劇を受け継ぐ継承者たる人物がいるはずだ。そしてそれは恐らくあの少年に渡ったことだろう。リンドウはその重みに潰れてしまった。ならば? あの少年ならばどうだ?
リンドウは心の強さも相当な益荒男だった。その彼ですら耐えられなかった呪いだ。あんな少年に耐えられるわけも無い。
だが、しかし……幸運の上に幸運を重ね、強い心と仲間に恵まれたのならば、或いは……到達できるかもしれない。
──この世界の真実に。
「……とはいえ、今はか細い糸に過ぎん」
魔王に最も近いと言われる男、スザクは記憶にある少年に憐れみと期待を同時に向けていた。サイコロがどう転ぶかは、まだ分からない。ならばその結果を楽しみにしておこう。
振り返る刹那、スザクはリンドウに最後の言葉を送る。
誰よりも仲間の前に出て、戦い続けてくれた親友に向けて。
「今まですまなかったな、リンドウ。お前の魂は俺が持っていく。だから……せめて肉体は、ここで安らかに眠ると良い」
その言葉を告げた瞬間に、一陣の風が周囲を舞った。
ひゅううぅぅっ、と風の音が耳を過ぎ去る。その音が誰かの泣き声のように聞こえたのは、きっと気のせいではないのだろう。
スザクは今度こそと、引かれる後ろ髪を無視して歩き出す。
戦いは終わらない。
まだ、まだ、まだ、まだ。
終わらせない。
こんなところで終わらせない。
いつか見た平穏を取り戻すため。
スザクという男は止まらない。
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「音のした方角はこっちだ! 急げ!」
生い茂る木々を越え、私達は駆け抜けていた。
一番先頭を走るのは紅葉ちゃん。足の速い彼女が羨ましい。私ももっと運動しておけば良かったと思っても、もう遅い。簡単に息切れを起こす体に鞭を入れ、私は足の回転を速める。
(……カナタ君っ)
想うのは一人の少年のこと。
人に頼るということが極端に苦手な私の、二人目の理解者にして一人目の男友達。誰も彼もが打算で私に近づく中、彼にだけは優しい光を見た。私はその光を追って、彼のようになりたくて、自分を磨いてきたつもりだった。
けれど……その結果がこれだというのなら、それはあまりにも下らない結末だ。こんなことなら、彼が防衛組に回ったときに私も一緒に行けばよかった。
『治癒』の天権は防衛向きだからと、主張すればよかった。けれどそれらは全て過去のこと。後になって喚いても仕方が無い。
だから、失ったものを取り戻すため、私は少年の元に駆ける。
過去を清算し、やり直すために。
勿論、全てが元に戻るわけではない。
死んでしまったシェリルちゃんのことを思うと胸が苦しくなる。枕を涙で濡らしたのも一度、二度ではない。彼女とは、もっと仲良くなれる。そんな気がしていたのに。
思えば私の好きな人は不幸になる運命にあるのかもしれない。
父も母も、早くに亡くしてしまったし、私にはそういう類の神が憑いているかもしれなかった。もしそうなら、これは全て私の責任だ。
だからこそ、救済は私の手で行わなければならない。
死んでしまったものは取り戻せなくても、生きている人なら救うことが出来る。どんな傷でもこの手で治して見せよう。もうあんな思いは、二度としたくないから。
「全員、止まれ! 周囲を警戒し、探索に移る!」
森を抜け、視界が開けたところでルーカスさんが私達にそう指示を出した。眼前に広がるのは完全に倒壊した建物の残骸。元が何の施設だったかも分からないほどに原型を崩した亡骸に、私達は近寄って調査を始める。
彼を連れ去った魔族の襲撃が予想される以上、探索は慎重に行わなければならなかった。一瞬も気が抜けない緊張感が辺りを漂い、やがて……
「ルーカスさん!」
何かを発見したらしい森君が声を上げた。
彼の元に集まるクラスメイト達。そうして、そこにあったのは……
「……死体? 一体誰だ?」
見たこともない人物の、死体だった。
かなりの大男で、胸元はぱっくりと裂かれて死んでいる。まるで剣で切り裂かれたかのような死に方だった。
「あ……あ……あああああ……」
その男を視界に収めた瞬間、上原さんが悲鳴のような声を漏らした。
カナタ君が連れ去られた一件以来、病的といって良いほどに精神の均衡を崩していた彼女。今では少し落ち着いたが、この男を見てまたぶり返したようだった。
震える上原さんの肩をルーカスさんが抱き、尋ねる。
「この男のことを知っているのか?」
ルーカスさんの問いに、こくりと頷いた上原さんは、
「こ、この人が……青野君を連れて行った男です……」
「っ、本当か!?」
ルーカスさんが珍しく興奮している様子だった。
そして、それは私や紅葉ちゃんにとっても同じこと。カナタ君を連れ去った男がここにいるということは、カナタ君も近くにいる可能性が近いということなのだから。
「カナタぁ! 返事してぇ!」
溜まらず大声で呼びかける紅葉ちゃんをルーカスさんが止めに入る。敵がどこにいるかも分からない以上、大声を出すのは危険だ。けれど、紅葉ちゃんの気持ちも分かる。ルーカスさんが止めに入るのを見ていなかったら、私も大声を上げていただろうから。
「…………っ」
焦る気持ちを必死で宥める。
まずは周囲の探索が最優先だ。
それから私達は再びカナタ君を探すため行動を開始する。俄然やる気を出した私達は敵なんてまるで眼中にないかのような勢いでカナタ君を探す。
その途中のことだ、崩壊を免れたのか比較的原型を留めた部屋が一つあった。少し気になった私はその部屋の残骸に近づき……
「うっ!?」
その地面に散らばるものを見て、絶句してしまった。
それは人間の指。
おびただしい数の人間の指が当たり一面に散乱していたのだ。
私の様子を不自然に思ったらしい只野という男子生徒が近寄って、同じようにこの現場を目撃した。
「……何だよ、これは」
自分の目が信じられないのか、黒縁の眼鏡を押し上げて確認する只野君。
しかし、そこに移る光景に変化はない。只野君は嫌そうな顔をしつつも、その指を手にとって確かめる。
「……足の指、みたいだね」
「と、とにかくルーカスさんを呼んでみましょう」
「そうだね。ちょっと呼んでくるよ」
そう言って只野君はルーカスさんを呼びに行ってしまった。一人残された私はどうしてこんなものがこんなところに散乱しているのか、その原因を想像し……その有り得ない仮定を思いついた。
彼の能力は何だったのか、それさえ分かっていればその想像は難くない。
しかし、それはいくらなんでも……
「カナタ君……」
胸が痛いほどに、私は彼の安否を心配していた。
これほどに誰か一人の人間に想いを寄せたことがあっただろうか。狂おしいほど、今の私は彼に会いたかった。今まで願ったどんな物事よりも、強く、深く、彼の安全を願った。
会いたい……カナタ君に会いたい。
天に捧げた祈りは夜空に消えて、叶うことはなかった。
それから一時間後のことだ。
いつまで経っても見つからないカナタ君の姿に、ルーカスさんは彼が『死亡』したとして扱うことにした。
無論、私も紅葉ちゃんも反論した。
けれど、これ以上危険な場所にい続けることでクラスメイトに何かがあったら取り返しがつかないと、私達は撤退を強制された。
……一体、カナタ君はどこへ行ってしまったというのだろう。
もしかして、あの瓦礫の下に埋もれてしまったのだろうか? もしそうなら……彼は死ぬことも出来ず、一生地の中でもがき苦しむことになる。そんな背筋が凍る想像を必死に頭から振り払う。
そんなことはないと、信じることしか出来なかった。
彼は今もどこかで無事に生きている。
そう、祈ることしか出来なかったのだ。
不気味なほどに静まり返った帰り道、私は紅葉ちゃんの傍にいた。
「……死んでなんかない。カナタは……死んでなんかないもん……」
必死に涙を堪える紅葉ちゃん。
気丈に振舞う彼女の手を、私は握る。
その確かな温かさを感じていると、勇気が湧いてくる様だった。
……嗚呼、そうだ。私は……白峰奏は誰かのためなら立ち上がれる。そんな人間だった。
そのことを思い出した私は、
「大丈夫だよ」
「……奏ちゃん?」
内心押しつぶされそうなほど重苦しい不安を、笑って吹き飛ばす。
「カナタ君は死んでなんかないよ。きっと今頃迷子になって困ってるんだ。だから……私達で見つけてあげよう? 見つかるまで、いつまでだって」
「……奏ちゃん……うん、そうだね! そんで見つけたらぶん殴ってやるんだ! よくも心配させやがってって!」
「あはは、そうだね。それがいい。そのときは私も張り切っちゃおうかな」
「やってやんなさい。いっつもあの馬鹿一人で抱え込むんだから」
紅葉ちゃん言葉に、カナタ君の言葉を思い出す。
『俺には……奏が無理しているようにしか見えない』
あんなことを言われるのは初めてだった。初めて……私の本質を見抜かれたのだ。紅葉ちゃんにだって、そんなことを言われたことはなかった。正真正銘、彼が始めて私の本質を悟った人だった。
無理をしている自覚はあった。
けれど、それが私だから。
誰かの代替品、オリジナルになれない私にはそんなことしか出来ないのだから。私はずっと、誰かの代わりであり続けた。もしも、そのことが見破られたのだとしたら、偽者は偽者としての価値を失う。私という存在が、真に偽者なのだと証明されることになってしまう。
そのことをずっと恐れていたのに……彼に告げられたとき、心中を満たしていたのは焦りではなく、幸福感だった。思いもしない感情、私はきっと嬉しかったのだ。偽者だとしても、彼に本当の私を見つけてもらえた気がして。
だから……彼のいない今だけは、仮面を被り続けよう。
誰も泣かないように、道化を演じきるのだ。
それが、それこそが白峰奏の願いで、本質なのだから。
そして、もしも叶うならば、もしもあの人に再会できたなら……
──この胸に灯る想いを伝えよう。
私はそう心に誓うのだった。




