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不死王と七つの誓い  作者: 秋野 錦
第一部 王都召喚篇

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21/163

「賭け」

 ぎぃ、と牢屋の門が開く音がして、イリスがリンドウに連れられて戻ってきた。いつものように傷を増やして戻ってきたイリス。リンドウが立ち去るやいなや、俺は声をかけた。


「……大丈夫かよ」

「う……こ、これが大丈夫に見えるなら、貴方の目は節穴ね」


 今日はいつもより数段強く痛めつけられたようで、痛々しい姿のイリスが見るに耐えない。俺の天権で彼女の傷が治せたら、どんなに良かっただろうか。


「……すまない」

「何で貴方が謝るのよ」

「俺はお前に何もしてやることが出来ない」


 俺の天権は俺だけを癒す。

 誰にも何も与えない。

 そんな自分勝手な力が恥ずかしかった。


「変な人ね。別に貴方が私に何かする義務はないでしょう」

「そうだけど……借りた分の恩くらいは返したい」

「……そう」


 イリスは傷が痛むのか、体を引きずるようにして牢の壁に身を寄せた。

 なぜ彼女がこんな仕打ちを受けても、黙っていられるのか俺には分からなかった。だから、俺は今まで一度も聞かなかったその問いを口に乗せた。


「……なあ、何でお前はここに連れてこられたんだ?」

「…………」


 今まで一度も聞いたことがなかった彼女の過去に、案の定イリスは口を閉ざした。

 これは聞く必要のない問いだ。

 けれど、どうしても俺はイリスを放っておくことが出来なかった。


「もしも抱えていることがあるならさ……話してみてくれよ。俺じゃ力になれないかもしれないけど、一緒に悩むくらいのことならしれやれる」


 悩みというのは一人で抱えていると、次第に膨らんでいき突然爆発する爆弾のようなものだ。一度爆発を経験した俺が言うのだから間違いない。


「……貴方はね、似ているのよ」


 しつこく問い詰める俺に、イリスがようやく口を開いた。


「似てる? 俺が?」

「そう。私の父、ヴェンデ・ライブラにね」


 遠い目をして過去を語るイリス。


「貴方も知っている私の魔眼はね、継承されるのよ。私達一族はその能力を継承し続けて、力を貸す『司書』の役目を帯びていた」


 司書。

 イリスはきっとあの図書館のことを言っているのだろう。


移動図書館(ライブラ)。彼らはこの力のことをそう呼んでいたわ。私の脳にはとんでもない量の情報が入っている。それを彼らは狙っているのよ」


 魔眼という特殊能力を持っているが故に、その身を狙われているということか。何となく想像はしていても、実際にイリスの口から聞かされると別だった。


「……大変だったみたいだな」

「安っぽい同情ならいらないわ」


 同情、か。

 確かにイリスの言うとおり、この感情は同情だ。彼女が同情されることを嫌うのは分かる。俺だって自分の境遇を誰かに同情されたくはない。


 だから、この感情を同情で終わらせてはいけない。

 俺は以前、イリスに聞かれたのと同じ問いを彼女に聞いた。


「……お前はさ、これからどうしたいんだ?」

「私が望むのは唯一つよ」


 イリスはそう言って、今まで見たこともない感情をその瞳に滾らせた。


「──復讐。それが私の生きている理由で、何を犠牲にしても為さなければならないことよ」


 深く、深い憎悪。

 俺のものよりももっと熱く、固い激情をイリスの瞳から感じた。


「……そうか」


 復讐。


 その気持ちも、また分かる。分かってしまう。

 きっと俺とイリスは似ている。その在り方や信念は別としても、そこに至るまでの道程が酷似しているのだ。だから、共感するし、本当の意味で同情してしまう。


「私の父は親友だった人に裏切られた。そうして命を落としたの。この借りだけは、絶対に返さなくてはいけない」

「…………」


 怒りを宿し、憤怒に燃えるイリスに、俺は何も言えなくなってしまった。復讐なんてくだらない。後に残るものなんて何も無い。そんな正論では彼女を止めることは出来ないし、何よりもそんなことを口にする権利は今の俺にはありはしない。


 俺だって、ここを出ることが出来たらきっとそうする。

 それが分かっているから、彼女の信念を曲げることなんて出来はしないのだ。


「つまらないことを話したわね。忘れて頂戴」


 イリスはそう言って俺に背を向けた。

 何も語らない俺を、彼女は呆れていると思ったのかもしれない。


 けれど……そうじゃない。そうじゃないんだよ、イリス。


 俺はお前に自分の影を重ねてみちまったんだ。どうしても、人事のようには思えない。イリスは俺を救ってくれた。彼女にその気がなかったのだとしても、俺は確かに救われたのだ。

 この借りを、俺はどうしても彼女に返してやりたかった。

 俺はイリスに何が出来るのだろうか。

 そんなことを考えても、答えは出なかった。


 そして、その日の夜。

 その事件は起きた。




---




「起きろ」


 耳に響いた声に、俺は意識を覚醒させる。

 最近ようやく眠りにつけるようになったばかりなのだ。もう少しゆっくりさせて欲しかったが、リンドウがそう言うのだから従うほかにない。

 見ると向かいのイリスもたたき起こされていた。寝起きの悪い彼女は目をしばしばさせながら立ち上がる。

 俺達を起こしたリンドウは、何があったのか少し焦るような口調で指示を出した。


「少し問題が発生してな。ここを離れることになった」

「問題?」

「ああ。忌々しいことにな。お前のお仲間が近くまで来てるらしい」

「え!?」


 リンドウの言葉に、俺は心臓が跳ねるのを感じた。

 お仲間……あいつ等が俺を探しにきてくれたってことか?


「ちっ、折角良い玩具が手に入ったってのによお」


 リンドウは舌打ちをして、イリスの牢の鍵を開けた。


「お前は俺達と来るんだ」


 強引にイリスの手を取って牢屋から出すリンドウ。

 というか……


「おい! 待てよ、俺はどうなるんだ!」

「お前はもう用済みだ。そこで救助でも待つんだな」


 用済み、つまり俺はこいつの呪縛から開放されるということだ。

 けれど……代わりにイリスが連れて行かれてしまう。短い付き合いだったが、ずっと俺を励ましてくれた彼女が……たった一人で。


「……ッ」


 一人の辛さは俺が一番良く知っている。

 イリスがいなかったら俺はもっとどうしようもない奈落の底へ沈んでいただろう。そんなところへ向かう少女を一人、見捨てることが……


「待てよ!」


 どうしても、出来なかった。


「俺も連れて行け!」

「……カナタ?」


 イリスが驚いた表情で俺を見ていた。

 それはそうだろう。ようやくあの地獄から開放されるというのに、その権利を自ら放棄するような愚考。誰が考えてもおかしい。


「俺だってそうしてえよ。けどな、途中でお前に暴れられても面白くねえ。お前は置いていく。これはスザクの決定だ」

「……くっ」


 スザクという男がリンドウの上司に当たる存在であることは知っていた。傍若無人なコイツも、スザクの言うことには粛々と従っていた。だからこの決定は覆らないだろう。

 連れ去られようとするイリスに視線を向けると、


「……カナタ」


 辛そうな、寂しそうな、そんな複雑な感情をイリスは瞳に宿し、


「やめて」


 そう、はっきりと俺を拒絶した。


「貴方が何を思ってそんな酔狂なことを言い出したのかは分からない。けど……私はそんなこと望んでいない」

「イリス……お前、それでいいのかよ」

「良いも悪いもないわ。私は私の為すべきことを為す。ただそれだけよ」


 一瞬視界に写ったイリスの瞳。 

 それはどこまでも冷たく俺の瞳に写った。

 彼女はきっと一人でも目的を遂行するだろう。


 復讐するは我にあり。

 出会って数日程度の俺が彼女の道を閉ざすことなんて出来はしない。きっとイリスは一人茨の道を突き進む。


 ズキリと、心臓が痛む。

 今まで感じたことのない種類の痛みだ。

 その新鮮な痛みは、この数週間ですっかり痛みになれてしまった俺の心を穿った。


 馬鹿な思考だ。

 それは分かっている。

 俺はもう二度と誰も信じないと決めた。

 誰かのためになんて、そんなこと意味がない愚行なのだ。


 けれど……俺は彼女に一度、救われた。

 だったら一度くらい、彼女を救う義務がある。


「リンドウ!」


 俺は大声を上げ──拳を牢へと叩き付けた。

 派手な音がして、血が飛び散る。

 余りの衝撃に皮膚が裂けたのだ。それから俺はお構いなしに無茶苦茶に拳を叩きつける。


「俺と戦え! リンドウ! 今までの借り、全部返してやる!」

「はぁ? 何言ってんだお前。とうとうおかしくなっちまったのか?」


 狭い道だが、彼女を救うにはこれしかない。

 俺がリンドウを倒し、この場からイリスを連れ去る。そんな塵のような可能性に、賭けるしかない。


「どうした! 逃げるのか、リンドウ!」

「カナタ!」


 イリスの静止の声が聞こえる。

 きっと彼女も、俺が何をしようとしているのか気付いている。

 けれど止まれない。ここで止まっては……俺は『また』救えないことになってしまう。それだけは、嫌だったから。


「リンドウ!」

「はいはい、分かった分かった。そこまで言うなら……」


 イリスを手近な牢につなぎ直したリンドウは、


「やってやるよ」


 そう言って、地を蹴った。


「──!?」


 元々放置する予定の建物だったからか、リンドウは強引に牢をぶち破り直接俺に襲い掛かった。

 手足に枷がかかった俺は逃げようにも逃げ切れない。もっとも、たとえ手足が自由だったとしてもこの速度には追いつけなかっただろうが。


「ほら、いくぜぇええ!」


 リンドウの拳が俺の腹に突き刺さる。

 ただのパンチ。それだけで俺は内臓を破裂させながら、壁にめり込む勢いで叩きつけられる。


「ぐ、ぶ……」


 胃から逆流した血や、内臓が口から飛び出る。まるで蛙だ。すでに死んでもおかしくない重症を食らった俺に、リンドウは更に攻撃を叩きつける。


 俺の体を掴み、強引に引っ張ったリンドウ。

 まるで象にでも引っ張られているかのような力で、俺はゴキゴキと間接を鳴らしながら廊下へと投げ出された。


 手足に付いていた錠は外れている。

 いや、正確には付いてはいるが、手足を引き千切られ達磨状態にされた俺は結果的に枷から解放されたのだ。

 ドバドバと地面を濡らす血を踏み越えて、リンドウが俺に近寄り俺の体を踏みつける。


「ぐ、あ、あああぁぁっぁぁぁああああ」


 メキメキと肋骨が悲鳴を上げる。

 すでにグチャグチャになっていた内蔵をさらにかき回される。痛みを通り越した熱だけが俺を苛んでいた。


「カナタ!」


 イリスの声に、閉じていた瞳を開ける。

 そうだ。ここで眠っているわけにはいかない。

 俺の意識に呼応するように、俺の体は復活を遂げる。

 生え変わった手足に力を込めて、リンドウを振り払い立ち上がる。


「はぁ……はぁ……」

「お前の能力は優秀だ。不死の能力。確かに脅威っちゃあ脅威だがよ、それだけじゃあ俺には勝てねえんだなぁ」


 リンドウと俺の身体能力に差があるのは分かりきっていることだ。

 魔族と人間。その時点で差があるのに、その中でもリンドウは異常なほどの身体能力を誇る。スペックに差がありすぎて、勝負にすらなっていない。

 けど……そんなことは関係がない。


「守る……守る……守る」


 うわ言のように俺は言葉を繰り返す。

 俺がもっと強ければ、大切な人を失わないですむから。

 俺が立ち上がり続けている間は、大切な人を守ることが出来るから。


 だから、何度でも蘇る。

 死の淵を幾度と無く越えて、再びこの地に降り立つ。

 もう二度と、失わないために。


「が、はっ」


 リンドウの拳が俺を吹き飛ばす。

 ゴム鞠のように吹っ飛ばされた俺は壁に叩きつけられ、無様に地を這い蹲る。


 俺に力がないなんてことは分かっている。

 それでも……この力を優しい能力だと言ってくれた少女の為に。

 この能力がある限り、俺は何度でも立ち上がってみせる。

 あんな思いはもう二度としたくないから。


「俺はもう……二度と立ち止まったりしない」


 立ち上がり、進む。

 震えているだけでは何も守ることなんて出来ないから。


「俺はもう二度と、失ったりなんかしない!」


 渾身の力を込めて、リンドウに拳をぶつける。

 しかし……現実は想いで乗り越えられるほど、甘くは無い。

 合わされるリンドウの拳に、砕かれる右腕。

 俺は何度目ともしれない敗北を、味あわされたのだ。

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