「白銀の少女」
ざっ、ざっ、ざっ、ざっ。
無言の行進。
僕達は誰も何も言わない。
語るべき言葉を持たず、ただ為すべきことを為すために。行進を続ける。
ざっ、ざっ、ざっ、ざっ。
鬱蒼とした森を抜け、綺麗な湖が顔を覗かせた所で、僕達の隊長であるルーカスさんが声を上げた。
「ここで少し休憩する。各自交代で見張りながら休むように」
その声にほっとした空気が流れた。
何時間も連続で動き続けたため、結構な疲労が溜まっていたからだ。そうでなくてもこの森の中、いつ魔物と遭遇するかもしれずに行軍を続ければ精神的にも疲れる。
僕もその例に漏れず、この休憩に少しだけ安堵していた。元々僕はオタクで、体力がなかったから尚更だ。『魔導』の天権を使って覚えた魔術を使えば、ある程度体力を底上げできるだろうが、いざというとき魔力切れになっても困る。節約するに越したことはない。
ルーカスさんの言葉に、それぞれが休息を取ろうとする中、
「待って! まだもう少し行けるはずよ! こんなところで休んでいる暇はないんだから先を急ぐべきだわ!」
ルーカスさんに抗議する、赤坂さんの姿があった。
赤坂紅葉。
僕との接点は余り無いが、カナタの幼馴染ということで少し意識していた相手だ。カナタが連れ去られてから一番動揺していた彼女は、今回の『奪還作戦』に真っ先に名乗りを上げた人物。ここ最近の彼女の焦りようは誰から見ても明らかで、今、彼女がどうして声を荒げているのかも、この場の全員が分かっていることだろう。
「モミジ君、気持ちは分からないでもないが、ここで先を急いでも意味が無い」
「意味が無いわけ無い! カナタは今も私達の助けを待っているのよ!? 急ぐ理由しかないわ!」
「少し落ち着け。このまま休憩を取らないと、辿り着いたころには全員倒れている。そうでなくてもかなりのハイペースで追跡を続けてきたんだ。すでに疲れを感じているものもいるだろう」
「っ…………分かったわ」
一応赤坂さんも休息の必要性は分かっているのか、何か言いたげだったが、それでも頷いて見せた。彼女は確か陸上部所属だったはずだ。だからこそ、スタミナは相当あるのだろう。体力のない連中に合わせて移動するのが彼女には苦痛に感じて仕方ないのだと思う。
体力に自信がない身としては、申し訳ない限りだ。
「……カナタ」
無論、僕にも焦りが無いといえば嘘になる。
すでにカナタが連れ去られて一週間だ。最悪の事態になっていたとしても、なんら不思議ではない。
(カナタの天権を考えれば大丈夫だと思うけど……)
彼の能力ほど生きることに秀でた能力は無い。
だが……それでも、心配してしまう。
彼は僕の友人で、命の恩人なのだから。
絶対に、死なせたりなんかしない。
たとえ、この命を捧げてでも。
(待っていてね……カナタ)
誰にだって、理想の姿というものはある。
それがどんな姿なのかは人によって違うが、理想というものは必ず存在する。なぜなら、人間は慣れる生き物だから。現状に慣れ、飽いたところで必ず上を目指してしまう。
それが人間という社会性動物の振り払えない性であり、特徴だ。だが……そんな中でも青野カナタは異色に写る。前々から思っていた。彼の世界は彼の中で完結してしまっている。
それ故に彼の天権は、ただ死なないという点においてのみ特化しており、展性がないのだ。展性、あるいは転生。死を拒絶するカナタは他の何者にもなれない。生まれ変わることが出来ないのだ。
それほどに、青野カナタの世界は完結している。
いや、終幕していると言った方が正しいだろう。
幕が下りたところで役者は死なない。死ぬことを許されず、延々とこの世の舞台で踊らされる道化。それが青野カナタの本質であり、素質だ。
けれど……だからこそ、僕は……金井宗太郎は思うのだ。
彼が一人舞台で踊るというのなら、僕も隣でそれを支えたい、と。
彼のことを命の恩人だと言うと、彼はいつも決まって「そんなことはない」と謙遜を始める。カナタにとっては何でもない一コマだったのかもしれない。ただの気まぐれ程度の、些事だったのかもしれない。
けれど僕にとってはそれが全てだった。
まさに世界に匹敵するほどの出来事だった。
なぜなら、あの頃の僕は冗談でもなく自殺することを考えていたのだから。両親も、古い友人も、教師までもが僕を見捨てたこの世界で、ただカナタだけが僕を支えてくれた。
彼が何と言おうと、青野カナタは金井宗太郎の命の恩人なのだ。
彼の為ならば、死ぬことなんて怖くない。
むしろ光栄ですらある。
こんな感情、気持ち悪いと言われて当然だけれど、僕はそれくらいカナタに感謝しているのだ。
だから……
「絶対に、見つけてみせる」
そして、必ずもう一度。
あの日常を。
それが僕の僕自身に立てる誓いだった。
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俺が牢獄に閉じ込められて、一週間近くの時間が経過していた。
リンドウは毎日毎日、来る日も来る日も俺をあの部屋へと連れて、いたぶり続けた。最初こそ抵抗していたが、今となってはもう抵抗する気力すらわかない。
もしももっと楽に死ねる体だったなら、俺は救われていただろう。
けれど、不死の天権は俺をこの地獄から逃しはしなかった。
次の日も、次の日も、リンドウは飽きもせず俺を連れまわした。
何日も殺され続けた結果分かった事なのだが、俺の天権にも限界はあるらしい。ある日、突然体の傷が治らなくなったのだ。体を覆う倦怠感から、どうやら魔力が切れたことで傷が治らなくなったようだった。このままでは死んでしまう。そう言われた時、俺の心中を満たしていたのは安堵だった。
これでようやく死ねる。
俺は本気でそう思っていた。
けれど、リンドウは俺の体質が酷く気に入っていたのか、傷が治らなくなるやいなやお楽しみを中断して、俺を部屋に戻して体力の回復に努めさせた。
それが三日前の話。
「…………」
薄暗い部屋の中で、俺は空を見上げていた。実際には天井のタイルしか目に映っていないが、記憶の中にある空と重ねて見上げていた。
見えない夜空に煌く星空を夢想する。
眠れなくなってどれくらいの時間が経っただろう。
あの地獄を経験するたびに、目が冴えてしまってどうしても眠りに付くことが出来ないのだ。
じゃらり、と手持ち無沙汰を慰めるため俺は鎖を引っ張ってみる。最近はこうして暇を潰すのが趣味になっていた。強く引っ張れば引っ張るほど、鎖が皮膚に食い込んで面白い。
あまりやり過ぎると奴らの仲間の女が飛んできて、うるさい! と怒鳴るもんだから気をつけなければいけないが。
ああ、それにしても暇だ。
今頃みんなは何をしているのだろう。
時間の感覚すらも曖昧になってきたある日、一人の少女が俺の目の前の牢獄へとぶち込まれた。誰だろうと思ってみてみるが、知らない女の子だった。小柄な体型に、長い銀髪を揺らす少女。明らかに日本人の容姿ではない。これで俺が忘れてしまっているクラスメイトという可能性もなくなった。
最近、物忘れが酷い。自分の名前すらうっかり忘れそうになるくらいだ。
俺の対面に引っ越してきた少女は、連れてきたスザクにわんわんと吼えていた。やがて手錠を繋げられ、牢獄に閉じ込められた少女は何が気に入らなかったのか、俺を見るや、
「何みてんのよ」
と、ガラの悪い不良みたいな絡み方をしてきた。
ガラの悪くない不良がいるのかよって思う所だが、中には可愛らしい不良もいるものだ。例えば……そう、あの目立つパンダナを付けた男のような奴が。
──ああ、アイツは何て名前だったっけ。
「無視すんな!」
耳にキンキンと響く高い声に、俺は面倒な隣人が越してきたものだと嘆息しながら一応の挨拶をすることにした。
「俺はカナタって名前だ」
「誰もそんなこと聞いてないわよ」
「ああそう。それならいいんだ。それで」
だったら最初から話しかけるなよ、と思ったが口には出さない。こういうタイプの女は怒らせると面倒だからな。
「……貴方、ここがどこだか知ってる?」
「さてね、元は学校か何かって言ってなかったかな」
「誰が?」
「リンドウ」
「……貴方、リンドウを知っているの?」
女の子は俺の答えに、眉を潜めて聞いて来た。
リンドウを知っているかって? それはいくらなんでも愚問に過ぎる。
「勿論、俺のご主人様だからね」
「…………」
「冗談だよ?」
本気にされたら困る。いくらなんでもあんなブサイクのメイドになんてなりたくない。あれ? 男だったら執事とかって扱いだっけ? まあ、ご主人様といえばメイドだから、メイドでいいだろう。
やっぱり、一流のメイドは最高だ。
「あのさ、あんまりこういうこと言いたくないんだけど……」
「何?」
「貴方、頭おかしいの?」
何て失礼な女の子だろう。人を捕まえて頭がおかしいなんて。
「俺は正常だよ。この世界が狂ってるだけ」
それは俺の偽らざる本心だった。いい加減、そろそろ空が降ってきても良い頃だと思う。
「貴方はどこから来たの?」
女の子は矢継ぎ早に聞いて来た。
そんなにまで俺と会話がしたいのだろうか。こんな可愛い子と会話できるなら俺も本望なのだが……ああ、そうか。もしかしたらこの子も不安を感じているのかもしれない。
俺もその感情には覚えがある。初めてこの部屋に来たときは、もうどうしようもないくらいに絶望していたからな。
ここはこの世界の先輩として、お喋りに付き合ってあげるべきだろう。
「意外に思うかもしれないけどさ、こう見えても俺は異世界から来たんだぜ」
「何が意外なのかさっぱり分からないのだけれど……異世界からって、貴方は召還者なの?」
「うん」
「…………仲間割れでもしたの?」
少女の質問の意図が、俺にはよく分からなかった。
なぜそのタイミングでこんなことを聞いてくるのか、とはいえ寛大な俺は野暮なことは聞かず、答えてやる。
「仲間割れ、っていうか裏切られたんだよ」
「貴方が?」
「そう、俺が」
あの時のことだけは忘れようにも忘れられない。
あいつ等が……あいつらさえいなければ、俺はこんな所に来ずにすんだのだ。俺を指差す奴らの顔を覚えている。酒井竜太郎、熊谷若菜、福地朱莉、上原麻奈、俺を売った四人だ。
「……貴方も、そうなのね」
その可愛らしい顔に影を落とした女の子。彼女にも同じような経験があるのかもしれない。だとしたら俺は裏切りにおいても先輩ということになる。
「辛いことがあったのか?」
「辛い……ってほどでもないかな。これは私が選んだ道でもあるから。こうなったこと自体に後悔はない……けど、理解は出来ても納得は出来ないことって、どうしてもあるから」
「まあ、ね。その気持ちは分かるよ」
仕方の無いことだとしても、そうしなければいけない事情があったとしても、裏切られた側からしたらたまったものではない。
「俺はさ、採算が取れないって思うんだよ」
「採算?」
「そう、採算。俺が苦しんでいる間にもあいつ等が美味しい飯を食って、温かいベッドで寝てるのかと思うとさ、気が狂いそうになるんだ」
この一週間で幾度と無く思ったこの感情。もしかしたら、この感情があったから俺はかろうじて理性が保てているのかもしれないというほどだ。
「おかしいと思わないか? 裏切った側が楽をして、その分の清算を裏切られた側がするなんてさ。いくらなんでも帳尻が合わない」
「……貴方は、貴方を裏切った人を恨んでいるの?」
「さあな、恨むってのがどんな気持ちなのかはよく分からない。けど……このままにはしておけないとは思ってる」
罪には罰が必要だ。
もしもそれすらも叶わないというのなら……この世界は余りにも救いがなさすぎる。そんなこと、俺には到底許せそうにはなかった。
「……貴方は変わった人ね」
「そうかな……まあ、そうかも」
「貴方と話せて良かった」
少女はそう言うと、部屋の奥へと引っ込んでいった。
俺は……久々の会話を、楽しんでいたのかもしれない。姿を消す少女に、少しだけ惜しいと、思ってしまったから。だから……
「なあ!」
気付けば俺は、女の子を呼び止めていた。
「……何?」
言葉なんて、考えていなかった。
詰まる声を、舌の上で転がして、俺はその問いを乗せた。
「名前、教えてもらってもいいか?」
俺の問いに、女の子は少しだけ意外そうな顔をして、
「イリス。私の名前は、イリス」
そう、告げたのだった。
それが俺とイリスの出会い。
運命の、邂逅だった。




