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不死王と七つの誓い  作者: 秋野 錦
第六部 天権戦争篇

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「始まりの二人」

 アイリスと名乗った女は空の元を離れなかった。

 それどころか一週間もの間、空の食事の世話や傷の手当を行ったのだ。その行為を空は甘んじて受けた。受けざるを得なかったというべきかもしれない。

 長い長い魔族との戦いで空の心は磨耗していた。体だけでなく、精神面でも限界が訪れようとしていたのだ。


「……なあ、アイリス。お前はどうして俺にここまでしてくれる? こんなことをしてもお前には何の得もないというのに」


 見返りを求めないアイリスの行為に、空は問わずにはいられなかった。

 そんな空の当然の問いに、アイリスは困ったような笑顔を浮かべて言った。


「悪魔さんは強い人なのですね」


「どういう意味だ?」


「私は別に聖人でも天使でもない、ということです」


 空の問いからは少し外れた答え。

 空にはその言葉の真意は分からなかったが……


「……君は良い人だ」


「え?」



「善人は幸せにならなければならない。そうでないなら、それは世界の方が間違っている。最近、良くそう思うようになった。だから……アイリス、君はもっと幸せそうに笑うべきだ」


 ぎこちない笑顔を浮かべる少女に、空はそう告げた。


「……はは。そんな状態で説教なんて、様になってないですよ」


「良いんだよ。俺は元々様になるような人間じゃない」


 吐き捨てるように呟き、空はアイリスの用意した寝床から身を起こす。


「ああ、いけません! まだ傷が……」


「俺にはやるべきことがある。いつまでもこんなところで寝ているわけにはいかない。世話になったな。アイリス」


 包帯だらけの体で人里離れた一軒の小屋を後にする空。そこは魔族と人族の生存圏の狭間。穏やかな川辺にぽつんと佇む小さな空き家だった。


(彼女はここに住んでいるのだろうか。たった一人で……いや)


 一瞬だけ脳裏を過ぎった感傷に頭を振る。


「俺には何の関係もないことだ」


 たった一言で一週間の思い出を切り捨てた空は歩き出す。

 たった独りで、再び修羅の道へと。しかし……


「まっ、待ってくださいっ……!」


 迷うことなく歩き出した空の背に、アイリスの声が降りかかる。


「私も……私も連れて行ってください! 悪魔さん!」


 この一週間、いつも穏やかな笑みを浮かべていたアイリスの悲鳴にも似た声に空は思わず振り返っていた。振り返らずにはいられなかった。

 そして、彼は視た。


「私は……きゃっ」


 小石だらけで足場の悪い地面を走るアイリスの体が傾くその瞬間を。

 ぐらりと前のめりに倒れる光景。それを視た瞬間に空の体は動いていた。


「え……?」


 アイリスが転倒する前に、その華奢な体を抱きしめる空。


「せっかちな女だ。慌てなくても呼ばれれば止まる。恩人の呼び止めを無視するほど俺は恥知らずではない」


「す、すみません」


 真っ赤な顔で頭を下げるアイリス。それに対し、空は溜息にも似た吐息をこぼしていた。


「それで? 連れて行けというのはどこにだ? 最寄の村ぐらいならすぐにでも連れて行ってやるが……」


「ああ、えっと。連れて行って欲しいというのはそういう意味ではなくて、ですね」


 空の問いに、困ったような笑みを浮かべるアイリスは真っ直ぐに空の顔を見つめなおし、言う。その表情にはある種の決意のようなものが宿っていた。


「私は貴方の進む道を共に歩きたいのです」


「俺の……?」


 空の反芻にこくりと頷くアイリス。


「悪魔さん。その傷は魔族との戦いで出来たものですよね」


「……気付いていたのか」


「私の村は魔族に襲われ壊滅しました。その時に同じような怪我をした人を大勢見てきたんです。炎を操る魔族アカバネ、風を操る魔族カザミ。この周辺を荒らしている魔族の二人です。悪魔さんには心当たりがあるでしょう?」


「……仮にそうだったとしても、君を連れて行くことはできない」


「な、なぜですかっ」


「さっきも言った。君は幸せになるべき人間だ。こんな血に濡れた道を歩むべきではない」


 それは空にとっての精一杯の拒絶だった。恩人であるアイリスを修羅の道に引き込むことを彼の心が良しとしなかったのだ。しかし……


「私の幸せはこんな場所には存在しませんっ! 彼らを……魔族を滅ぼすまでは」


 アイリスにも引く様子がまったくなかった。

 空としてはその提案を呑むには些か以上の抵抗があった。

 だが……


「……分かった」


 空は最終的にその申し出を受け入れた。

 恩人の頼みを無下にすることが出来なかったのだ。


「本当ですかっ!」


「ああ。だが、俺と行動を共にするなら一つだけ頼みたいことがある」


「なんでも言ってください! 私に出来ることなら何でもします!」


「俺の名前は空だ。今後はその名で呼んでくれ。仲間の前で悪魔なんて呼ばれた日には赤っ恥だからな」


 空の頼みにアイリスはきょとんとした表情を浮かべ、そして……


「はいっ! 分かりました、ソラ様っ!」


 すぐに満面の笑みを浮かべ、空の名前を呼ぶのだった。

 こうして、二人は共に同じ道を歩むことになる。

 数年後、二人の前に現れる「悲劇」へと続く道を。

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