「天使と悪魔」
魔族との戦争。
たった四人で戦うにはあまりにも無謀と呼べる戦だった。
だがそれでも退く訳にはいかない。これまで犠牲になった仲間の為に。そして何より元の世界へと帰る為に。彼女たちが待つ……あの、世界へ……?
「……彼女たち?」
すでに何年もの歳月が過ぎた。
その無情なる時の流れの中、空は多くのものを失っていた。
「……はっ、誰だよ、それ」
魔族との命のやり取り。
罪の意識は彼を苛み、精神の均衡を奪っていた。
一言で言うなら、彼はもうすでに狂ってしまっていた。
この地獄のような世界で生き抜くには、まともま神経では耐え切れなかった。
だから彼は……壊れた。自らまだマシな方向へと。
「さあ……殺そう。魔族をもっと、もっともっと、殺し尽くそう」
仲間の制止を振り切り戦場に身を投じる日々。
単身魔族の潜伏場所に乗り込んだこともある。
彼の天権は戦闘向きと呼ぶにはいささか性能に劣る部分があった。だがそんなものは彼の誓いの前には塵にも等しい些事だった。
何が出来るかではなく、何をするのか。
彼の行動原意はたった一つの誓いによって動かされていた。
そして……そんな地獄のような日々の中、彼は出会った。
「だ、大丈夫ですか!? ああ、酷い。こんなに血が……」
それは魔族の戦いでヘマをしてしまい、命からがら逃げ出した時のこと。
体中を血に染めた彼の前に……一人の天使が現れた。
「…………」
美しい銀髪に宝石のような瞳。
肌はまるでシルクのような美しさ。
月から舞い降りた天女。そう勘違いしてしまいそうなほどにその女は美しかった。だが……
「……触るな」
空にとってはどうでも良いことだった。
彼にとって重要なのはいかに魔族を滅ぼすかということ。ただそれだけだった。だから……
「俺に関わるな。殺すぞ」
ドスの効いた声でその女にそう警告した。
自分こそが今にも死んでしまいそうだというのに、彼は精一杯の声量でその女を遠ざけた。なぜなら……彼の周囲には死が集まりすぎていたから。
味方も敵も関係なく。そんな日々の中、彼はこう思うようになっていた。
──自分がいるから皆死んでしまうのだ、と。
彼が同僚と共に行動しなくなり始めたのも、ちょうどそんなことを考え始めていた頃だった。大切だからこそ、遠ざける。そんな矛盾にも似た二律背反を抱える彼に、その天使は言った。
「殺せるものなら殺してください。だけどその前に治療をしなければ貴方を助けることが出来ません。私を殺すのなら、どうかその後でお願いします」
「…………」
自分を殺すと宣言した男を、女は助けるのだと言う。
その後で殺してくれと、意味の分からないことをのたまう女。
それは空にとって出会ったことのないタイプの女だった。だから……つい、魔が刺した。好奇心が彼を刺激した。聞いてはならないことを、聞いてしまった。
「……名前は」
「え?」
「お前の名前は何だと聞いているんだ」
突き放すような口調で名を聞く空。
そんな彼に女はどこまでも優しい表情で言葉を返す。
「──アイリス」
全ての始まりとなる、その逢瀬の最中。
「私の名前は、アイリスです。貴方のお名前は?」
少女は問い返した。決して問い返してはならない問いを。
「俺は……」
どこまでも純粋で、天使のような女。
彼女の光に当てられた空は自分が矮小な人間だと嫌でも理解させられた。
だから……
「……悪魔だ」
彼女の前で、本当の名を明かすことが出来なかった。
心が触れ合えば、彼女を穢れてしまうような気がして。
「俺は悪魔だ……全てを壊す。ただそれだけの存在だ」
それは空にとっては拒絶に等しい宣言だった。
俺に構うな、関わるな。
そういうサインだった。
傷だらけの青年を前に、しかし天使のような彼女は……
「ではよろしくお願いしますね。悪魔さん」
変わらぬ笑顔でそう言うのだった。
「どうか私に、貴方様を助けさせてください」
全てを包み込むかのような、その優しさと共に。




