「幕間」
俺を始めて認めてくれた人は俺を守ろうとして死んでいった。
生きて、と。その言葉だけを残して。
彼女が最後に残したその言葉はまるで呪いのように俺の心に決して解けぬ呪縛を与えた。
肉体的な苦痛と精神的な憔悴は俺から生きる意志を奪うのに十分だった。
だけど彼女が俺に託した命を自らの手で散らすことだけはどうしても出来なかった。それをしてしまえば彼女の死が無駄になってしまう。俺は自分が消えてしまうことよりもそのことの方が恐ろしかった。
だから俺は求めた。
生きる意味を。
生きる理由を。
そうしなければ狂ってしまいそうだったから。
そうしなければ彼女が認めてくれたこの力さえも失ってしまうと分かっていたから。
生と死の狭間で、綱渡りのように正気を保ち続ける。
それは俺にとって拷問にも等しい時間だった。
それでも俺が今日まで生を繋ぎ止めることが出来たのは目的があったから。彼女が繋いでくれた命を無駄にしないために、俺は"何か"をする必要があった。
俺は何かに追い立てられるようにそれを求めた。
痛みと、苦痛と、焦燥の果てに。俺は見つけた。
俺の生きる意味。つまりは……
──『復讐』という名の代替行為を。
理不尽な死には同じく理不尽な死で補填するしかない。
あの時、あの場にいた全ての者に死の可能性があった。だけど運命はシェリルを選んだ。あまりにも理不尽に、あまりにも不平等に、そしてあまりにも無慈悲に。
一人の犠牲で皆が助かるのなら、それは利口な選択といえるだろう。
だけど……俺にはどうしても許せなかったのだ。だってそれは全員で背負うべき運命だったはず。それなのに誰か一人が一方的に押し付けられるのは間違っている。
押し付けられた責務。
押し付けられた運命。
押し付けられた死。
そんなものは認められるはずがなかった。だって……あの場で唯一、誰かの為に動けたのは"彼女"だけだったのだ。他の全員が我が身を惜しむ間に、彼女は俺の為に、俺の為だけにその命を投げうった。
その結果があんな無残な死だなんて、誰が認められる?
そんなことは断じて許容できない。
他の全員が死ぬことになろうとも、彼女は、彼女こそが生き残るべきだったのだ。
だから、俺は代償を求めた。
生の代償として死を。
それを復讐という名の行為に貶めたのは俺自身だが、そのこと自体に後悔はない。後悔することがあるとすれば、彼女の最後の頼みを聞くことが出来なくなったことだけ。
だってそうだろう?
あの場所で俺は奴らと全く同じ事を考えていたのだから。
ならば俺の復讐の対象には"俺自身さえも含まれる"。
そうでなければ平等性を行動原理とする俺の復讐に正当性が生まれなくなってしまう。
生きる理由として、俺は俺の死を求めた。
なんとも歪な精神構造だと我ながら笑ってしまいそうになる。
だが当時の俺はそうでもしなければ生きていられなかった。狂い、正気を失う前に俺は自らまだマシな方向に狂うことにしたのだ。
そうして……俺の復讐が始まった。
全てはこの物語を終わらせるために。
だが、矛盾した行動は徐々に俺の計画を破綻へと向かわせた。それも当然のこと。始まりからして間違っていたのだから。
シェリルの生きてという言葉を守るために俺は自らの死を求めた。
その二律背反とも言うべき目的意識は次第に俺の心の内に葛藤を生み出した。復讐を終えれば、俺は死ぬ。だがそうするとシェリルの言葉を守れなくなってしまう。
気付かない振りをしていても、どうしたって溢れ出す恐怖。
きっとイリスは俺のその心の内に気付いていた。
だからこそ彼女は俺に何度も何度も言い続けていたのだろう。
死なないで、と。
俺は復讐が終われば最後に自ら命を絶つつもりだった。それこそが俺が彼女に捧げる復讐の幕引きに相応しいと、そう思っていた。
だが、あいつらと一緒に過ごしている内に……欲が出た。
これからもこいつらと一緒にいられたらそれはどんなに幸せだろうと思ってしまった。俺の幸せはシェリルの死の上に成り立っているというのに。
復讐をやめることは簡単だ。
俺が俺の生を認めてしまえばいい。
そして、それこそがシェリルの本来の望みに近いということも分かっていた。
だけど……どうしても駄目だった。
その選択肢が浮かんだ頃にはすでに、俺はどうしようもないほどに、最早後戻りが出来ないほどに……狂ってしまっていた。
今更選べない未来を夢想して、過去の誓いと板ばさみに遭うのは辛かった。
だから俺は次に生きる理由ではなく、死ぬための理由を求めた。
そうすれば俺は"復讐"を遂げることが出来る。
俺は俺の誓いを果たすことが出来る。
そう思い始めた頃、丁度お誂え向きの状況が俺の前に舞い降りた。
俺は連れ去られた仲間のため、友人のため、この命を使うことにした。
そうすれば俺の生に、ひいてはシェリルの生に意味が生まれる。何の意味もなく命を散らしたのではないと、あの世で高らかに謳い上げることが出来るのだ。
それはなんとも煌びやかで、甘美な誘惑。
俺は自身を舞台で踊り続ける道化だと称したことがあるが、その舞台を用意したのも、その脚本を作り上げたのもまた俺だった。まさしく他人に見せ付けるための人生ストーリー。ならばその終幕は美しくなければならない。
誰かのために命を賭けるその行いは美しいだろう?
自らの生を投げうって誰かを救う行為は美徳なのだろう?
俺は俺の人生を美しく閉じるための"死に場所"を求めていた。
舞台の終幕を求めていた。
ただ、それだけだったのに……
俺の一番の親友は、俺に優しくも残酷な言葉を残した。
生きてくれ、と。
ようやく俺は俺の舞台を終えることができたそのはずなのに……宗太郎は俺に新たな呪縛を与えた。
それが他の人間の言葉なら一笑に付しただろう。
そんな言葉に従う義理はないと、歯牙にもかけなかったはずだ。
だけど……宗太郎の言葉だけは無視することが出来なかった。彼は俺の親友だから。こんな俺のために、命を賭けてくれた大切な人だから。
だから……
──俺は新たな生きる理由を見つけなければならない。
自らこの薄汚れた心の臓を貫いてしまうその前に。




