「命を賭けて」
「アハハハハハッ! 凄いな! 満場一致じゃないか! クフフ、ハハハハハハハッ!」
男が腹を抱えて笑い出す。
その耳障りな嘲笑も、今の俺にとってはどうでも良かった。
膝を突き、呆然と視線を彷徨わせる俺に酒井達が指を刺す。それは俺の心臓を抉り、痛みを伝える。まるで現実感がなかった。これは悪い夢なのだと思いたかった。
けれど俺の耳に響く笑い声が、これが現実なのだと俺を離さない。
「ははは……はぁ、良い見世物だったぞ、お前ら。そんじゃあ……」
男が俺に歩み寄り、ぐいっと体を引っ張り上げる。
「行きますかね、アオノ君?」
誰も、何も言わない。
止めるなら今しかないというのに、誰も……何も言わない。
いや──
「待ってください!」
一人だけ、居た。
「……シェリル?」
その少女は全くの無力だった。戦う力も何ももっていない人の身で、男の前に立ちふさがりその細腕を命一杯に広げ、行く手を阻む。
「その手をどけなさい! 人質が必要なら私が行きます!」
いつも柔和な彼女が、鬼神のような表情で怒声を上げる。
「俺が必要なのは人質じゃねえ。召還者だ。その髪、嬢ちゃんはこっちの世界の人間だろう、お呼びじゃねえ」
「だとしても! カナタ様を連れては行かせません!」
男の前から退こうとしないシェリル。良く見ればその足は小刻みに震えていた。それを見た瞬間に……俺の瞳から、涙が零れ落ちた。
シェリルは本気で俺を助けようとしてくれている。命を賭けて、助けようとしてくれているのだ。何の縁もゆかりも無い俺のことを……
「はぁ、もしかしてお前、コイツのことが好きなのか?」
男が値踏みするような視線をシェリルに向ける。
問われたシェリルは、少しだけ頬を赤く染め、
「そうです。だから私は貴方なんかにカナタ様を渡しません」
はっきりと、そう言ったのだ。
「おうおう、焼ける話だなあ。愛する男の為に、女が命を賭けるか。ああ、まるで劇のようじゃねえか、素晴らしいっ!」
ドンッ! と俺を突き飛ばした男はシェリルに迫る。
シェリルに手を伸ばした男に……
「………ッ!」
俺は……一瞬、ホッとしてしまった。
嘘だと思いたかった、けれど自分の心の動きに気付かない振りは出来ない。俺は確かに、シェリルが身代わりになってくれるのではないかと……期待したのだ。
そしてその感情が一歩分、俺の動きを阻害した。
「あ、ああ……」
今までで一番の絶望が、俺の心を侵食していく。
俺は命を賭けて守ろうとしてくれた女の子を、見捨てようとしたのだ。俺を捨てた、クラスメイト共のように。
だからこれは……報い。
ドスッ! と、気持ちの悪い音がして……
──男の手刀が、シェリルの胸元を貫通した。
シェリルの胸元から、ドクドクと真っ赤な血が零れ落ち、地面を濡らしていく。外は薄暗いというのに、その紅だけはやけに鮮明に俺の瞳に写っていた。
「…………し、シェリルぅぅぅぅぅうううううううッ!!」
俺は絶叫を上げて、彼女の元へと駆けていく。
男のことすら眼中から離れ、ただ一人のためだけに俺は走った。
しかし……それは余りにも遅過ぎる行動だった。
「シェリル……シェリルっ!?」
「か、カナタ……さ、ま」
シェリルは口元から血反吐を吐きながら、言葉を紡ぐ。
どう見ても致死量の血液がシェリルの体から流れ出る。俺はその流血を止めることが出来なかった。もしもこれが、俺の体なら……すぐにでも治せたと言うのに。
「あ、ああっ、ああああああっ!」
この時ばかりは天を恨まずにはいられなかった。
なぜ俺の天権は俺の体しか癒してくれないのかと。
「シェリルぅ……」
呼びかけるが、シェリルは苦しげな表情で口をぱくぱくと動かすだけだった。
音はない。けれど俺にはシェリルが何を俺に伝えようとしたのかがはっきりと分かった。
たった三文字。今際の際でシェリルが俺に伝えた言葉は、
『イ・キ・テ』
ただ、それだけだった。
それだけの言葉に、俺は涙が止まらなかった。
この少女は、こんなときでさえ、俺のことを思ってくれていたのだ。最後の最後で、俺の身を慮ってくれたのだ。
この地獄のような現場で、ただ一人。俺の味方であり続けてくれた少女は……
──俺の腕の中で、絶命した。
「あぁ、死んでしまうとは何と言うことだろう! 愛する二人を分かつ死という現実! ふふ……ははははははははっ! 楽しい! 実に楽しいなあッ! 俺は劇の中でも悲劇が大好きなんだ! 最ッ高に笑えるからなぁ! アハハハ、アハハハハハハ!」
「…………」
男は俺に嘲笑を浴びせかける。
さっきまで何とも思っていなかったその笑みが、その声が、今の俺には酷く不快で堪らない。
「──殺す」
気付けば俺は男に殴りかかっていた。
男は笑ったまま俺の腕を取り、膝を突き上げて骨を砕く。余りの威力に肉が飛び散り、折れた骨が覗いたが俺は止まらなかった。
「死ねぇぇぇぇぇぇぇぇええええ!」
折れた右腕を放置して、左手で殴りかかるが、こちらも止められて関節を外された。肩からゴキャッ、と嫌な音がして激痛が走るが、俺は止まれなかった。
「死ね! 死ね! 死ね! 死ねぇぇぇぇぇえええ!」
涙と血を撒き散らしながら、俺は男に迫る。
腕を砕かれた、足を潰された。手も足も封じられた俺は、飛びつくように男へと歯を立てる。
「ちっ!」
俺の最後の悪あがきは、男の腕に一筋の血を滴らせた。噛み付いた箇所から出血しているのだ。しかし、すぐに振り払われた俺は男から殴る、蹴るの暴行を受け続ける。
幾度と無く走る激痛。
いつからかそれすらも感じなくなっていた。
ただ我武者羅に腕を振るう。まるで駄々をこねる子供のような醜態を晒そうとも、俺は……俺は……
目の前に男の拳が迫る。
脳髄を焼くような痛みが走ったかと思うと、次の瞬間。
俺は意識を失った。
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「…………」
リンドウは目の前に倒れるカナタと呼ばれた少年をじっと見ていた。
最後の最後、カナタの牙はリンドウの腕に傷を負わせていた。それは紛れも無い事実。圧倒的な力の差があって、これなのだ。もしも……もしもカナタに有効な攻撃手段があったとしたら……ぞっとしない話だった。
すでに勝利の余韻もどこへやら。
リンドウはカナタの体を担ぎ、体を変形させる。
リンドウは自らの体を自由に変身させることが出来る能力の持ち主だった。この城内に侵入するときも、身軽で警戒されにくい猫の姿を選び、進入した。
その能力を使い、リンドウは自身の背中に大きな翼を出現させていた。普通ならカナタを抱えた状態で合計二百キロ近い体重を浮かせることなど到底出来ないが、魔力を使えばある程度の不可能は可能になる。
ぎりぎりだが、何とか運べないことも無い。
リンドウは飛び立つ寸前に、残した四人の召還者へと視線を送る。別に殺しても良かった。敵の戦力が減るのならそれはそれでいいと思っていたのだが……もしかしたら、面白いことになるかもしれない。
そう思ってリンドウは、最後に笑みを浮かべて告げてやる。
「またな」
こうして城内へと侵入したリンドウは、見事その任務をやりおおせた。
腰の抜けた四人の召還者を残し、一人の召還者を連れて。
宙を舞うリンドウの姿を見た三人の魔族はすぐさま陽動任務を完了し、帰還の為に身を翻した。突然の撤退に、召還者の部隊は喜んだ。
勿論、紅葉達も。
そんな彼女たちに、悲報が訪れるのはそれから一時間後のことだった。




