「魔導」
金井宗太郎の人生は特筆することのない、平凡な人生だった。
趣味はアニメ鑑賞と読書。本の内容は9割がライトノベルに分類されるものだった。本人はその趣味を特に隠そうともしていなかったため周囲からはたびたび"オタク"と呼ばれからかわれた。
だがそれでも構わなかった。
自分の好きなものを隠して生活するぐらいなら、多少馬鹿にされたって好きに生きたほうがずっと心地良い。そう思っていた。
一言で言うなら金井宗太郎は一途な少年だった。
自分で決めたものを見失わない、そう言う類の強さを持っていた。
だが……そんな強さは時に宗太郎に不利益をもたらした。
高校一年の春。
新しく形成された高校という社会の中で宗太郎は孤立し、藍沢真の所属するグループに虐められることになった。もちろん宗太郎は抵抗しようとした。だが喧嘩なんかしたことのない彼にとって、複数人相手に腕力で適うはずもなく……結局、宗太郎は受け入れるしかなかった。自らの立ち位置、その境遇を。
そう……あの日、自分の為に戦ってくれた少年と出会うまでは。
「つまらねえことしてんじゃねえよ」
そう言って藍沢に立ち向かった少年は他の見て見ぬ振りをするクラスメイトとは明らかに違った。言うなら自分の生き方、その魂の在り方を貫く姿勢は現状を受け入れた宗太郎にとってあまりにも眩しく写った。
──この人のようになりたい。
宗太郎は心の底から強く願った。彼のような"強さ"が欲しいと。
友人となった彼とは趣味も合ったのか、宗太郎のおすすめしたアニメやライトノベルを面白いと言ってくれた。自分の好きな物を褒められて悪い気のする人間なんていない。
仲間を見つけたような気持ちで、宗太郎は本当に嬉しかったのだ。
冗談でもなく自殺することすら考えていた彼にとって少年はまさしく救世主だった。自分の世界を変えてくれた存在。最も尊敬する人物。
だからこそ……
「何をしている」
宗太郎には許せなかった。
その英雄が地面に押さえつけられ、今まさに殺されそうになっている現状は。
「……宗太郎?」
少年……青野カナタは全てを諦めたような目でこちらを見ていた。
大広間には三人の魔族がいる。
スザク、ナキリ、そして……魔王。
その魔王の手がカナタに伸びる寸前、宗太郎はようやくその決戦場に訪れていた。
「良かった……何とか間に合ったみたいだね」
「ばっ、な、何してる! さっさと逃げろ!」
中央へ歩み寄る宗太郎にカナタが叫ぶ。
こちらを見るカナタの視線には必死さが詰まっていた。
だけど……
「カナタを一人、置いてはいけない。安心していいよ、黒木君達のことは白峰さんに任せてあるから」
安心させるつもりで言ったのだが、カナタは逆に焦るような表情を見せた。
それはつまりたった一人でここまでやってきたことの証明だったから。
ただでさえ一対三。
しかも相手は魔王を含める魔王軍最強の三人だ。
宗太郎が勝てる道理などどこにもない。
「宗太郎ッ! 駄目だ、逃げろ! 俺のことは良いから早くッ!」
「ふっ、ははははっ! まさかたった一人で来るとはな! 探す手間が省けたぞ!」
宗太郎の登場に魔王は高らかな哄笑を上げた。
「やっぱりか。どうやら魔族の目的は最初から"僕"だったみたいだね」
「なに……?」
宗太郎は気付いていた。
魔族が連れ去った人間の内、本当に必要だったのは誰かを。
そしてそれは考えるまでもなく分かることだった。
彼らの目的が何かは分からないが、しようとしていることは分かる。
つまりは『魔法書』の起動。それこそが彼らの狙いだったのだ。
術者の願いを叶える禁忌の魔術。それに必要なのは術式の知識と、実行する術者。
術式に関してはイリスの移動図書館に保管されている。
となると肝心になるのが術者……つまり、緻密に積み上げられた術式を完璧に理解し、かつ魔術展開に必要な魔力性質の適応と術式実行に耐えられる適性を持つ者。
国内でも限られた人間にしか使えない至高の魔術。
その代行者に宗太郎は選ばれたのだ。
「『魔導』の天権保持者。君達が欲しかったのはつまり、そういう人材なんだろう? 今まで王国に手を出さなかったのは、召喚者を呼ばせ続けるため。いつか現れる人材を確保するために、"あえて"王国を潰すことはしなかった」
自分達で使えないのなら、使える人材をどこかから見つけてくるしかない。
そして最も手っ取り早く確保する術は適性を持つ人間を別の世界から呼び寄せることだ。誰が適性を持つのかも分からない国内の魔術師を探すより、外見的特徴からも判断しやすい召喚者から炙りだした方が早い。
つまりは全てそういうことだった。
圧倒的な力を持ちながらも、王国に致命的な打撃を与えなかった理由。
召喚者を攫い、その情報を聞き出そうとした理由。
当初は誰一人殺さなかった召喚者を、情報を得た瞬間に殺して回るようになった理由。
全てはその一言で説明できる。
「僕に魔法書を起動させるつもりだったんだな……魔王」
「お前……どこでそのことを……」
「日本人なら知っているでしょ。壁に耳あり障子に目あり。僕はここに連れて来られてからずっと盗聴を続けていた。だから全て知っているよ。貴方達がイリスさんと何を話していたのか。そして……カナタに一体、何をしたのか」
ぎゅっ、と強く握りこぶしを作る宗太郎。
その瞳は鋭く、魔王を睨みつけていた。
「ははっ! それならさっさとどこへなりとも逃げれば良かったものを! わざわざ捕まりに来てくれるとはな! スザク!」
「はっ!」
魔王の呼び声に答え、スザクが駆ける。
まるで瞬間移動と見間違うような速度で宗太郎の前に現れたスザクはその細剣の切っ先を宗太郎に向け、突き出す。
魔法書の起動に必要な宗太郎は殺すわけにはいかない。
だからスザクは狙いをずらして、脚部を狙っていた。
だが……
「《其は古の獣が如く──活性ッ!》」
肉体活性の魔術を素早く起動した宗太郎が駆け抜ける。
その急速な肉体活性の速度にスザクは対応できなかった。
「……何っ!?」
空を斬る切っ先を避けながら、立ち位置を変える二人。
振り向きながらスザクが問いかける。
「その魔術は報告にはない……貴様、手の内を隠していたな?」
これまでの戦闘記録にない新しい魔術にスザクが忌々しそうに顔を歪める。
だが……
「違うよ。そうじゃない」
「何?」
「僕はこれまで何度も負けてきた。そして、その敗因は全て瞬発力の不足……つまり身体能力が足りていなかったんだ。だから……"補った"」
「補った、だと? 何を言っている。そんな時間がどこに……」
「50時間。僕がここに連れてこられてから思考に割けた大体の時間だよ」
「…………は?」
スザクの疑問に答える宗太郎。
その端的な答えにスザクは僅かに思考を停止し、そして……
「まさかお前……それだけの時間で"新しい魔術を作った"ということかッ!?」
目の前の敵の能力に、心の底から"戦慄"するのだった。
一つの魔術を覚えるのに数十年。
この世界ではそう言われている。
だが覚えるのに数十年ということであって、全く新しい魔術を作るとなるとそれは最早別次元の話だ。数十年どころか、一生の内に一つの魔術を完成させるだけで伝説になる。これはそのレベルの話なのだ。
それなのに……
「たった50時間で……そんなこと有り得ないだろうっ!」
「それを可能にするのが僕の天権、『魔導』だよ」
呟きながら宗太郎は他にも用意しておいた付加系の魔術を幾つも起動させる。肉体を限界まで強めた活性は術者に本来ない反動を与え始める。
即ち……肉体の崩壊だ。
元々宗太郎は体の強い部類ではない。
無理な魔術行使に肉体が耐え切れなくなり始めていた。
決着は早めにつけなければならない。
宗太郎はそれを実感し始めていた。




