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不死王と七つの誓い  作者: 秋野 錦
第五部 魔城奪還篇

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「イリスの答え」

「ごめんなさい」


 精神世界でイリスから告げられたその言葉は俺にとって受け入れがたいものだった。

 イリスからの拒絶の言葉。彼女がそういう独りを好む性格であることは知っていた。だけど……実際に言葉にされるとその重みに押しつぶされそうになる。

 俺の一世一代の告白は……失敗したのだ。


「……い、イリス。何で……」


 何で俺じゃ駄目なのか。

 そんな情けない言葉が口から漏れそうになる。

 イリスは俺を選ばなかった。それが全てのはずなのに、どうしても縋り付きたくなる衝動を抑え切れなかった。

 だが……


「……私はお父様と共に行くことにしたの」


 イリスの意思は変わらない。

 すでに覚悟を固めたのか、イリスの瞳から先ほどまで見え隠れしていた迷いが完全に消えていた。

 それに……


「お父様だって? 何を言っている。お前の父親はもう……」

「ええ。ヴェンデは死んだわ。でも、私にはまだ本当の父親が残されていたのよ」

「本当の父親って……一体、誰のことを……」


 困惑する俺に、イリスはその名前を告げる。


「『魔王』。カナタも見たでしょう。あの人が私の父親。私を……導いてくれる人」

「魔王がお前の本当の父親だと……? そ、そんな訳か。あいつの顔は見た。どう見てもまだ20代、下手したら10代の顔つきだった! お前の父親のわけがあるかよ!」

「お父様は肉体的な老いから解放された存在よ。見た目の年齢と本当の年齢はイコールじゃないの」

「……そ、そんな……だって」


 それはつまり……イリスは俺と魔王を天秤にかけ、魔王を取ったということなのか?

 ぐるぐると頭の中で思考が交錯する。

 信じられない。あのイリスが……誰かをそんな風に言うなんて。

 自分を導いてくれる存在だと? そんな、そんな台詞……お前には似合わないだろうが。


「……洗脳でもされたのか? お前、そんなこと言うような奴じゃなかっただろう」

「失礼ね。お父様についていくことを決めたのは私の意思よ。貴方には分からないかもしれないけれど、私にとって『家族』というのは言葉以上に重い意味を持つの」


 家族。

 イリスの口から漏れた単語は俺にとって、少なからず動揺を誘うものだった。

 俺はイリスやステラのことを家族のようだと思っていた。だけど……やっぱり本物にはなれないから。


 日本に残してきた母親。

 考えなかった訳じゃない。

 突然一人になってしまった母さんは今、一体どんな想いで過ごしているのだろうか。想像するだけで、背筋に寒いものが走る。


 でも、どうしようもないことだから。

 元の世界に帰る方法なんてどこにもない。

 だから……その事実を忘れようとしていた。

 ルーカスに真実を告げられてからはより強く。

 ──俺は一度、『家族』を捨てているというその事実を。


「…………」


 その事実があったからこそ、俺はイリスの言葉に何の反論を見つけ出すことが出来なかった。誰だって偽者より本物が良いに決まっている。だからイリスが俺ではなく、魔王を選ぶのはある意味必然というべきことなのかもしれない。


「……カナタ。貴方は逃げなさい。命までは奪わないよう、お父様たちは私が説得するから」

「馬鹿言うなよ。それじゃあ、何のためにここまで来たのか……」

「だったらここで死ぬ? 言っておくけど、カナタが生き残る道はもう一つしか残されていないの。私に……従いなさい」


 普段とは違う、強い口調でイリスが命令する。

 それは最早懇願のように。


「俺は……」


 イリスの頼みと、俺の答え。

 その二つの事実に押しつぶされそうな中……


「え……?」


 唐突に、世界が崩壊を始めた。

 イリスが精神世界を閉じたのだ。

 元の大広間の景色が視界に広がる。

 イリスはすっ、と体を横にずらして道を開けた。

 即ち……外へと続く道を。


「行きなさい、カナタ」

「…………っ」


 そこで痛烈に理解する。

 俺はイリスに……振られたのだと。

 後ろを振り返れば、こちらの様子を伺う魔族の姿が見えた。

 ここで無様に敗走すれば確かに命は助かるのだろう。


 もともと魔族と戦うのなんて、俺が望んだことじゃない。

 平穏に生きられればそれで良かった。

 王都を離れた時に決めたはずだった。俺は俺の為だけに生きていくと。

 だけど……


「……カナタッ!」


 俺の足は自然と大広間へと向かっていた。

 なぜ、そんな愚かな真似をしてしまったのかは分からない。

 どう考えてもここは逃げるべきだったのだ。

 愛する女を置き去りにして……


「……違う」


 自然と口から漏れたのは否定の言葉だった。


「イリスを幸せにするのは……俺だ。断じてお前なんかじゃない」


 それは足りない頭で見つけ出した小さな違和感。

 睨み付けるように魔王に視線をやると、彼は肩を竦めてため息をついて見せた。


「負け犬が何を吠えている。お前は選ばれなかったのだ。拾った命に満足して、去るが良いだろうに」

「お前がイリスを幸せにしてくれるってんならそれでも良かったさ。だけど……そうじゃねえだろ」

「何を言っている? 私は娘の幸せを望んでいる」

「だったらなんで……イリスを傷つけた!」


 俺の言葉に魔王は僅かに、しかし確かに眉を潜めて見せた。


「……何のことだ?」

「リンドウ達に捕まっていたときのことだよ。イリスは俺と同じように尋問を受けていた。俺は覚えている。本当に娘が大切ならなんであんなことをさせた!?」

「……あれはリンドウの独断だ。その件に関してはすでに娘と話し合い、謝罪を済ませている」

「謝罪は済ませている、だと……?」


 魔王のどこまでも端的な回答に、俺はいい加減我慢の限界だった。

 イリスの言葉と魔王の言葉。

 感じていた違和感。

 この二人はどこかズレている。

 そのことがはっきりと感じ取れてしまった。


「お前はイリスのことを家族だなんて思っちゃいない。いや、事実としては認識しているのかもしれないが、そこに家族の『愛』はない」


 断言する俺に、魔王はそこで初めて表情をはっきりと歪め、


「……これは私たち家族の問題だ。部外者が口を挟むな」


 吐き捨てるようにそう言った。

 そして、その瞬間……


「本当に愛があると言うのなら……」


 ──俺は衝動のまま駆け出していた。


「イリスのことを……ちゃんと名前で呼んでやれよッ!!」


 まるで記号のようにイリスを娘と呼ぶ魔王に、俺は炎舞を展開して襲い掛かる。


「よしなさいっ、カナタッ!」


 後ろでイリスの悲鳴のような声が上がる。

 だが俺はもう止まれなかった。


「お前なんかに……イリスは渡さないッ!」


 俺の拳と魔王の拳が激突する。

 それは魔族と幾度となく戦ってきた俺にとって初めてとなる……


 ──宣戦布告だった。

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