「最後の嘘」
「貴様……一体、何を……」
レオは目の前で起きた現象が信じられなかった。
たった今自分の手で貫いたはずの肉体を再生した藍沢。
すでにそこにはかつての傷は跡形もなくなってしまっている。
まるでタチの悪い夢を見ているかのように。
「……俺はここに来る前にアザミっつー魔族と戦ったんだけどよ。そいつは他人の記憶から傷を蘇らせる特殊型の魔術使いだった。俺と同じ同種のタイプ。それを見て俺は思ったんだ。"俺にも同じことが出来ないか"ってよ」
「アザミと同じ……? ということは、まさか……」
レオの口から漏れる驚愕に、藍沢は再生した腹部をなぞりながら答える。
「ご明察。俺は俺に『嘘』を吐いて暗示をかけた。他の人間なら意識的に弾いちまう『嘘』だろうと自分自身にならその制約も及ばない。俺は自分の認識を好きに弄れるってわけだ」
「だ、だとしてもそれで傷が治るはずがない! お前の『嘘』は虚を実と錯覚させるだけの能力! 実際の体を治すような力なんてどこにもあるはずは……っ!」
ここに来て初めて狼狽してみせるレオに、藍沢は冷笑を送る。
そんな分かりきったことを聞くなよと言わんばかりに。
「今までの俺ならな、だが今は違う。俺は自分の天権に名を与えた。天権とは自らの願望を反映する奇跡……ようやくその意味が分かった気がするぜ。これでようやくお前の"死"が見えてきた」
「……ッ! 粋がるなよ若造が!」
レオは再び拳を藍沢の腹部に当てる。
今度は直接吹き飛ばしはしない。
レオの持つ魔術の最高、最強の攻撃を寸勁に込め……放つッ!
「轟け──獅子の咆哮ッ!」
拳から放たれる衝撃波は藍沢の体を通り抜け、背後に抜ける。
その際に、内臓をミンチにするおまけつきで。
だがしかし……
「無駄だ。お前の魔術ではもう俺を殺せない」
藍沢には通用しない。
破壊された傍から回復するその様はまさしくカナタと全く同じ。
藍沢はすでにレオの魔術の正体を完全に見抜いていた。
触れている物体に『衝撃』を送り込む、物理操作型の魔術。触れれば一撃で勝負を決められる物理攻撃特化の魔術だ。
だがそれも今は相性が悪いとしか言いようが無い。
アザミに対してのカナタのように、レオにとって今の藍沢はまさしく天敵に等しい。
偶然とはいえ、自らの望んだ強者の姿に類似したこの能力に藍沢は薄く微笑み……懐から取り出したナイフを鋭く振るう。
不意打ちの一撃が首元に迫るが、仰け反ったレオにかわされる。
超至近距離からの反応速度は向こうが明らかに上。
だったら……
「ほらよ、受け取れ……"爆弾だ"」
懐から小さな筒を投げつけた藍沢に、咄嗟にレオは大きく後退した。
だがそれはただの水筒。勿論爆発などしない。
レオが嘘だと気付いたときにはすでに、藍沢の術中に嵌っていた。
「ようやく誘導できたな。足元を良く見てみろ」
「……なんだ?」
跳び退った先でピチャリと何かの液体を踏みつけるレオ。
それは藍沢が前回吹き飛ばされたときに撒いておいた大量の液体燃料。
どうしようもなくなった時、最後の手段として残しておいた秘策を藍沢は惜しげもなく披露する。
「覚悟しろ、ちっと……熱いぜ」
藍沢は靴底に仕込んでいた鉄を激しく床へ叩きつける。
火打石の役割を果たし、火花を散らした地面からボウッ! と勢い良く火の手が上がる。それは地面を藍沢が吹き飛ばされた場所そのままに巻き戻りレオの元まで辿り着く。
足元から急速に燃え広がる火に、跳躍し回避しようとするレオに向け、
「"刃には全て毒が塗ってある"、全部防いでみなッ!」
藍沢が追撃の手を叩き込む。
全力で投げつけられた投げナイフは藍沢が持てる限り詰め込んでいた武器だ。実際には毒の調達が間に合わず、ただの投げナイフとしての威力しかないのだが藍沢の『嘘』を使えば同じこと。
ナイフに毒がついているのかどうか判断する術のないレオは全てを空中に叩き落すしかなかった。
再び対応に時間がかかる。
その間に、藍沢は最後の『嘘』を用意していた。
(ぐっ……ちくしょう、痛ぇ……)
燃え上がる体のまま、レオへと肉薄する。
当然のことながら液体燃料を瓶に入れ隠し持っていた藍沢はレオ以上に火の影響を受けている。各所に火傷を量産しながら突き進む藍沢は痛みを飲み込み、最後の仕上げを行った。
「こっちだ! "俺を見ろ"!」
鼓膜にその言葉が届いた瞬間、レオは僅かに逡巡した。
今までとは違う文面故に、強制力の弱い『嘘』。
ここまで散々してやられ続けたレオはまず、藍沢の言葉を疑い周囲へ注意を向けたのだ。
そして……その刹那の隙が致命的となった。
レオの目の前で藍沢が取り出したのは……小さな筒。中にはぎっしりと火薬が詰め込まれた今度こそ本物の爆発物だ。
「これで……詰みだ」
散発的に藍沢が繰り返してきた注意を逸らすための『嘘』。
一度、敢えて爆発物の存在を匂わせ意識から外した『嘘』。
そして、最後の天権を使わず吐いた心理の裏をつく『嘘』。
それら全てはこの最後の局面へ導くための一連の『嘘』だったのだ。
藍沢の手から放り投げられた筒は曲線を描きながら宙を舞い、そして……
──両者の目の前で轟音と共に爆風を周囲へと撒き散らした。
もともと爆発物への知識に疎い藍沢の作ったその爆弾は予想以上の成果は上げなかった。だがそれで十分。
レオと共に爆風を浴びながらも、藍沢は強引に一歩を踏み出していた。
傷だらけになりながらも進むその姿はまさしく冒険小説の主人公だ。
弱者だったからこそ、あらゆる手段を今日この日この男を殺すためだけに準備してきた藍沢の刃が今……ついにレオの心臓部へと到達した。
「がはッ……」
混乱に乗じて突き刺されたナイフ。
それはアザミに与えたものと同じ、パラライズビートルの体液をたっぷりと塗布したナイフだった。深々と突き刺さったナイフはレオの体から即座に自由を奪い、心臓の鼓動を止める。
死ぬゆく寸前、レオが最後に見たのは自らに刃を向ける"勝者"の姿だった。
それはレオにとって間違いなく"弱者"というに相応しい相手だった。
負ける要素など皆無。
前回と同じく一瞬で勝負はつくと思っていた。
だが……
「みご、と……だ……」
結果は予想とは違っていた。
弱者が敗者ではないように。
藍沢は勝者となったのだ。
そのことを今際の際に認めたレオは薄く笑みを浮かべ……絶命した。




