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不死王と七つの誓い  作者: 秋野 錦
第五部 魔城奪還篇

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「狂乱」

 謎の魔族の攻撃が静かにカナタを汚染する。


「がああああアアアアァァァァアッ!?」

「お、お兄さんっ!?」


 クロは突然目の前で絶叫し始めたカナタに咄嗟に駆け寄っていた。

 レオともう一人の魔族。


 そして藍沢、奏の二人とカナタ。

 全体の能力を考えるなら藍沢達のフォローに回るべきだったろうが、その時クロが反射的に選んだのはカナタの安否の確認だった。


「お兄さん、お兄さん!?」

「無駄だよ。その人はもう僕の反響乱(ハーモニクス)を食らった。正気に戻ることはない」


 若い魔族は目の見えぬ瞳のまま、クロに向け真っ直ぐに近寄る。


「ぐっ……来ないで!」


 先ほどのカナタの様子を見ていれば分かる。

 この男に近づきすぎると同じ目に遭うことだろう。

 でも……近づく以外にクロには攻撃手段がないのも事実。


(どうする……どうすればいいの!?)


 答えは出ない。

 カナタの体を担いで、その場を離れようと移動するが……


「ぐ、が、ああああああッ!」

「うあっ……」


 暴れるカナタの爪がクロの皮膚を引き裂いた。

 まさしく狂ったかのように滅茶苦茶に暴れるカナタにクロはどうすることも出来ない。殴って気絶させようにも、カナタは『不死』の天権を持っているためそれさえも難しい。


 そして……

 カナタに手間取っている間に、魔族が目の前に迫っていた。


「くっ……ごめん! お兄さん!」


 クロはひとまずカナタを連れることを諦め、その場を飛びのいた。

 そして……バガァッ、と地面の一部が抉れた。

 魔族の魔術は直接攻撃も出来るようで、深々と刻まれた裂傷はまともに食らえばただではすまない。


(精神汚染系の能力っぽいけど加えて物理干渉も起こってる……駄目、分類が出来ない。一体何の魔術だっていうの?)


 魔族が二つの魔術を用いている可能性もあるが、詠唱がなかったところを見るにあれはオリジナル。魔族が一人につき一つ備えている特化魔術と見て間違いない。


 だとするならば二つの現象の出所は同じ魔術であるはずなのだが……その正体が分からない。


 完璧に決まった魔族の奇襲。

 カナタ達のグループはかつてない危機に瀕していた。




---




 クロとカナタが新たな魔族に手間取っている間、部屋の中では奏と藍沢がレオに相対しているところだった。


「しかし貴様にはしてやられたぞ。まさか『嘘』の天権がこれほど強力な暗示だとは思わなかった。つくづく痛感させられたよ。精神系能力の嵌った時の凶悪さをな」

「……なるほど。それで意趣返しってわけかよ。あんな化け物連れて来やがって」


 藍沢が視線を向けるのは外にいる魔族。

 カナタに謎の精神攻撃を加えた男だった。


「クロウドか? 確かに奴の能力も凶悪ではあるが、本質は違う。あれは言わば奴の趣味だな」


「趣味だと?」


「あやつは生まれながらの盲目でな。生まれながらに奪われた者というのは他者を羨み、嫉妬するものなのだよ。故に奪う。理不尽にも光を奪われた腹いせに他者の正気をな」


「……狂ってやがる」


「それは誰だって似たようなものだろう。笑顔の裏で唾を吐くように、仮面の裏には誰しも怪物を抱えている。奴の能力はそれを少しだけ引き出すものなのだよ。故に半狂乱。いや、奴に言わせれば反響乱と言うべきだったかな? どっちにしろ精神的に脆い者にほど効果が高い。見たところあの小僧は……随分弱っていると見える。よほど複雑な感情を抱いているのだろう。平静を装ってはいても、心の奥底、根底にある感情がグチャグチャだ」


「……青野は弱くなんかねえ」


「見解の相違だな。強い、弱いというのは個人の基準に過ぎん。私にとってあの小僧が弱く、脆く見えるのは事実。誰にも否定は出来ん。数々の価値観が跋扈する中、絶対の価値基準など存在せん。であるならば人は常に自らの価値観で動くべきなのだ。他人に合わせて己を殺す必要などない。そうであろう?」


「…………」


 レオの言葉に、藍沢は確かに頷ける部分があった。

 自分自身、自分の価値観を絶対としてきた藍沢にとってレオはそういう意味での同種。同属だ。単に自分勝手と言ってもいい。

 そんな仲間に対し、藍沢が抱く感情は唯一つ。


「お前の価値観とだけは相容れない。それが良く分かったぜ」


 それは嫌悪感。

 藍沢は藍沢の価値観に従い、レオを悪と断じてみせた。


「ふむ……残念だ。美しき者よ。お前になら私の価値観を理解できるかと思ったが……どうもまたズレているようだ。私にとって美醜こそが絶対の価値基準。その基準にもとるなら……アオノカナタは余りにも"醜い"」


 自ら精神の均衡を崩し、修羅へと墜ちたカナタをレオはそう断言した。

 だが……


「……美しいことが尊いってんなら確かにそうなんだろうさ。だがよ、美しいことがイコールで正しさの証明にはならない」


 世界を善悪という価値基準で見る藍沢にとって、それは問題にはならない醜さだ。

 真実と嘘。

 本音と建前。

 白と黒。

 藍沢にとってはそれら分かりやすい二面性こそが絶対の価値基準だった。


「ふん。正しさなど状況やタイミング、見方を変えれば変わってしまう脆い価値観だ。標準するには及ばない」

「……かもな」


 確かに。嘘だって誰かの為を思って吐いたのならそれは優しい嘘になる。

 一方から見ただけでは判断できない正しさ。それが存在することを藍沢も認めていた。


 だが、それでも……あの日、何の躊躇いもなく藍沢の前に立ち塞がった少年の姿を"正しい"と感じた自分に嘘は吐きたくなかった。


「結局俺はただの我侭なガキなんだろうさ。自分の思い通りにならなければ気がすまない。子供の癇癪だ。だけどよ……それでいい。それで構わない。自分に嘘を吐くくらいなら俺はこの場で喉を掻っ切って死んでやる」


 人を人たらしめるものがあるとするならば、それは意志。

 自分で自分はこうだと、定める意思の強さに他ならない。


「くっ、くくっ……相変わらず惚れ惚れするほどの美しさだ。恐らくお前にはクロウドの反響乱もさほど効果を与えられないだろう。それほどに貴様は自我が強い。いいだろう……来い。小さき勇者よ。貴様の望みはこうして暢気に私とお話することなどではないのだろう?」


「当たり前だ」


 懐から取り出したナイフを逆手に構える。

 藍沢の誓い。

 こうして魔王城までやってきた唯一の目的。


「てめえの首、ダチの墓標に捧げて貰うぜ」


 それは復讐。

 目の前の男を殺すためだけに藍沢は生きてきた。

 あの日唯一生き残った身として、仲間の無念を晴らさねばならない。


 出来るか出来ないかではない。

 やらなければならないからやる。


 勝算を度外視したその挑戦はまさしく勇気の賜物だ。

 だが……たとえ、美しかろうと正しかろうと"勝敗"には何の関係もない。


 俺はきっとこの戦いで死ぬだろう。


 藍沢はそんなことをぼんやりと考えていた。

 そして、そんな藍沢の覚悟を感じ取ったのか、今まで後ろで成り行きを任せていた奏も思わず声をかけずにはいられなかった。


「藍沢君……」

「……白峰。俺のことは良いから、お前は青野達のところへ行け」

「でもそれじゃあ、藍沢君が一人に……」


 心配そうな顔を浮かべる奏に、藍沢はふっと短く笑みを浮かべた。

 それはまさしく自嘲の笑み。


「今更俺なんか気にしても仕方ねえだろうが。俺がお前にしたこと、忘れた訳じゃないだろうに」

「…………」

「だから……気にするな。たとえ俺がここでくたばったとしてもそれは自業自得。俺が自分で選んだ道だ。俺のことは無視してお前はお前の道を進めば良い」


 かつての"幼馴染"に遺言にも似た言葉を残した藍沢は最後に一言。

 これが生涯最後になるかもしれない"嘘"を吐いた。


「"俺は大丈夫だ"。だから何の心配もせず、青野のところへ行けばいい。王子様がピンチなんだぜ。ヒロイン目指してんなら駆けつけてみせろ」

「……っ」


 まるでからかう様なその口ぶりに色々と言いたい事が口からでかかったが、そんな場合でもない。愚痴は"後回し"にして奏は藍沢の言葉に従いカナタの元へ向かうことにした。


「……頑張ってね」

「ああ……」


 振り返ることなく去っていく奏に、藍沢は再び自嘲を浮かべる。

 自分はなんという道化なのかと、笑わずにはいられない。


 でもまあ……自分には相応しい結末だ。

 因果応報。


 死なないで、でも。勝ってね、でもない。


 ──"頑張ってね"。


 その言葉がどこまでも奏の心情を的確に現していた。


「……そう言われたなら、頑張るしかねえよな」


 ぽつりと独り言を漏らし、藍沢は駆ける。

 恐怖に押し殺されそうな足を必死に動かして。


 それはひとえに誓いの為に。

 藍沢真の勝算なき戦いが今、幕を上げた。

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