「嘘吐きの戦い②」
カナタの体を切り刻んだ鎖が藍沢に迫る。
到底かわしようのないその一撃に対し、彼が取れたのはたった一つだけ。
藍沢は自らの推測と、運に全てを賭け……
──自ら右腕を鎖の群れへと突っ込んだ。
「ぐぅッ!」
ぎちぎちと右腕に絡まる鎖から激痛が脳へと送られる。
だがそれだけ。
さきほどまでカナタに猛威を振るっていた理不尽な斬撃はその鳴りを潜めていた。その瞬間に悟る。自分は賭けに勝ったのだと。
「ははっ……やっぱりそうか。お前と俺は相性が良い!」
激痛の中、それでも藍沢は笑って見せた。
「……お前。まさか気付いて……?」
「ああ、まだ仮定の段階だったけどな。当たって良かったよ」
藍沢が気付いたのはほとんど偶然に近い奇跡だった。
偶然耳にしたカナタとアザミの会話、鎖の形状からして有りえないダメージを食らう体。そして本体はあれほどの裂傷を刻まれながらもなぜか無傷で残る服。
これらの情報を合わせて組み上げた理論の頂点にその仮定はあった。
不可思議なアザミの魔術、その正体。
「今確信した。お前の魔術はスティグマ、要はプラシーボ効果の一種だ。正確に言うなら鎖を通して直接相手の脳内に"痛み"のイメージをぶち込む能力。だろ?」
「…………」
無言のアザミ。
だがその反応が何よりもその答えを雄弁に物語っていた。
「別に驚く必要はないぜ。俺の能力もお前と同じで脳内に直接情報を与える特殊型……つまりは同類だ。その発想を持つのはそれほど不思議なことじゃない」
「……貴方は、つまり。私と同じ?」
「戦い方のスタイルがな。これは俺の単なる予想なんだけどよ、お前結構序列低いんじゃないか? お前の能力は青野みたいな奴には効果覿面だが、俺みたいな箱入りには効果が薄い。はっきり言えば相手によっては雑魚に成り下がる。今のこの状況のようにな」
藍沢の右腕を拘束する鎖は確かに強い。
だが、腕をプレスしたり根元から引っこ抜いたりするだけのパワーはない。アザミの鎖は"痛み"の情報を強制的に引き出す能力に特化しているからだ。
痛みの情報、つまりは過去に受けた傷のこと。
アザミは鎖に触れたものの古傷を再現させることが出来る。
藍沢が鎖に触れながらも大丈夫なのは、彼は右腕に傷を負った記憶がないからだ。イメージがなければ発現はしない。
それとは逆にこの能力に苦しまされたのがカナタだ。
最早その能力の相性は最悪を通り越して悪夢としか言いようがない。
『不死』の天権を持つカナタはその身に傷を受けて始めて効果を発揮する能力者。対してアザミはその傷を利用して戦いを優位に運ぶタイプの能力者。
致死に近い傷を持てば持つほど、凶悪な効果を発揮する『苦痛連鎖』にとって、幾度となく死を乗り越えてきたカナタは絶好のカモなのだ。
「俺はずっと戦いを避けてきた……それは俺が弱いからだ。喧嘩しても勝てる訳がないからずっと逃げ続けてきた。でも……アイツは違う。誰よりも一番前で戦ってきた傷だらけの英雄なんだよ」
藍沢はじわじわと強くなる痛みに耐えながらも笑みを浮かべてみせる。
相手を嘲るように。
自らを罵るように。
「はは……まさか自分の弱さに感謝する日が来るとはな。俺みたいなヘタレじゃなきゃ、お前は倒せねえよ」
「……貴方、一体何を言ってる?」
「お互い運が悪かったなってことだ。俺もお前も、こんな能力なんかでなきゃ劣等感に苛まれる事もなかった。ま、今回はそれが俺にとって良いほうに作用したみたいだけどさ……」
いよいよ痛みが限界に近くなってきた。
そうか……そうだよな。
忘れかけてたぜ……これが"痛み"って奴だ。
「本当、裏表なく尊敬するぜ。こんなモン背負いながら歩き続けるなんざ俺には無理だ。到底できっこない……だから、」
藍沢の鋭い視線がアザミを貫く。
彼は今、自分でも予想外の怒りを抱えていた。
「──お前だけは俺が倒す。こんな卑怯な力使う奴に、アイツをやらせてたまるかよ」
それは同属嫌悪と言うに相応しい感情だ。
さきほど自分で言ったように、アザミと藍沢の能力は酷似しているのだから。
「……貴方では私は倒せない」
「かもな。だが、やってみなくちゃわからない」
ニヒルに笑って見せる藍沢は未だ劣勢だ。
アザミの能力を看破した。
鎖の効果の届かない体がある。
だがそれでもなお、圧倒的に劣勢だ。
なぜなら……
「……痛みを知らない人間はいない」
藍沢真もまた、痛みを抱えている。
それは以前、レオに喰らった腹部への一撃。これは彼の生涯でも最も強烈に残っている痛みだ。アザミの能力が記憶にある傷の具現化である以上、絶対に致死に届くような威力は出ない。
例外的にカナタが致死を超えるダメージを受けてはいるが、これはあくまで例外。
どんな相手であろうと、アザミは一撃で殺すことはできないのだ。
だが、もしあの一撃を再現させられれば……死ぬことはなくても戦闘不能になるのは疑いようがない。そういう意味では致死にも等しい一撃となる。
(腹部に鎖を当てられるのだけは駄目。絶対に避けなくちゃな)
方針は決まった。
だが右腕を拘束された状態でどこまで耐えられるか……
「……行く」
話は終わりだと言わんばかりにアザミの鎖が暴れまわる。
必死にかわそうと左へ体を傾けるが……
──ジャラララッ──
すでに右腕はアザミによって捕らわれている。満足に動くことすらできない。
「く、そっ!」
腹部に当たりかけた一撃を短剣で弾き返す。だが、その衝撃でナイフは手元を離れ、宙を舞う。さくっ、と小気味良い音と共に地を這うムカデに刺さった短剣は遥か遠く。
これで藍沢は貴重な武器まで失ったことになる。
いよいよ状況は一方的な蹂躙となりつつある。
「……痛みを知らない人間はいない。貴方の痛みを教えて」
「ふざ、けろっ!」
必死に動き回りながら吐き捨てる。
なんだこれは! スティグマの能力なんかなくても十分チートじゃねえか!
「くそっ!」
このままでは鎖に捕まってしまう。
そう判断した藍沢は息を吸い込み、
「"今だ! 黒木!"」
「…………っ!?」
再び『嘘』をつき、視線の先にあたかも仲間がいるかのように振舞う。
分かってはいても突然言われたら反応せざるを得ない。要は視線誘導。アザミに生まれた一瞬の隙に藍沢は滑り込み、鎖を回避する。
(くそっ……ぎりぎりすぎんだろ!)
すでに嘘は効果を失いつつある。何度も繰り返し嘘をついた相手には当分、嘘が効き難くなる。これも『嘘』の弱点の一つだ。
これからはもっと騙しやすい嘘をつかなければ。
「……粘る」
「ここで死んだらあいつに笑われそうなんでな。死んでも死にきれねえ、よっ!」
跳躍、と同時に鎖の一部を足場に方向転換。だが、
「ぐ、がっ!?」
足の裏に鋭い痛みが走る。
生まれてから一度も画鋲を踏んだことがない者がいるだろうか? 画鋲でなくても小石なら? 小学校の運動会で思いっきり踏みつけたことくらいあるだろう。
それらの痛みが一斉にぶり返せばどうなるか。
(くそっ、そんな傷まで覚えているわけねえだろ!)
アザミの苦痛連鎖は意識していない記憶まで掘り返し、具現化する。
そもそも痛みの記憶というのは残り難いものだ。体のどこにどんな傷を持っていたのか、その全てを把握するのは不可能に等しい。
足元に受けたダメージにバランスを崩し、転倒する藍沢。
その隙をアザミは見逃さなかった。
「……捕らえた」
しゅるり、と蛇を思わせる挙動で鎖が藍沢の首にまとわりつく。
これで詰み。
藍沢は完全にその動きを封じられてしまった。
「ぐ……」
「……別に驚くことはない。貴方より私の方が強いのは最初から分かってたこと」
さきほど能力を看破された時の仕返しなのか、若干得意げな声でそう言い放つアザミ。もっとも、表情は眉一つ微動だにしなかったが。
「……痛み、少ないね、貴方」
「言ったろ……俺はお坊ちゃんだったんだよ」
「……つまんない」
「べ、別にお前を、喜ばせるためにやってんじゃねえからな」
ぎりぎりと首にかかる負荷が強くなる。
まずい……右腕ならまだしも首はまずい。
このまま締め上げられればいずれ意識を持っていかれる。
「……このまま殺す。そしたら次はさっきの人のところへ行く」
「…………あ?」
「……あの人、面白い。あんな傷始めてみた。だから……もう一度見たい」
アザミの興味はすでにカナタへと移っているのか、辺りを見渡してその姿を探し始めた。
暗に、最早勝負は決したと告げられたようなもの。
事実その通りなのだがその態度には腹が立つ。
また油断を始めたアザミに、藍沢は最後の問いを放つ。
「お、おい……まだお前の序列、聞いてねえ、ぞ」
「……私? 十二位だけど?」
視線を藍沢に戻すことなく答えるアザミ。
そのあまりにも淡白な物言いに、思わず笑いがこみ上げてくる。
「くっ……ふふ、ふははっ……十二、十二かよ……低いだろうとは思ってたがそこまでとはな。くははっ……つまり、お、俺はそんな雑魚にすら、こんだけ苦戦してたって訳かよ」
「……? 何を言ってるの? 貴方は負けた。これ以上なく」
藍沢の言い方が引っかかったアザミはかくっ、とロボットみたいな動きで首をかしげて不思議がる。
「……ぐ、そ、そろそろ……か? いい加減"気付け"」
「…………?」
アザミには藍沢の言っていることの意味が全く分からなかった。
自分が一体何に気付いていないのか。その答えは果てしなく遠い。
なぜならこの勝負は完全なる自分の勝利で幕を引いたのだから。
「わ、分からないなら、教えてやるよ……アレだ」
アザミは藍沢の指差す先に目を向ける。
そこにあるのは何の変哲もない地面……いや、よく見ればさきほど弾き飛ばしたナイフがある。何の偶然かちょうど通りかかった百足に刺さっているようだがそれが何か……
「…………え?」
「はっ、やっと気付いたかよ」
ゆっくりと自分の手を見る。
指先がぴくぴくと痙攣していた。
さきほど地面に縫い付けられた百足と全く同じように。
「……ま、さか……」
違和感に気付けば後は一気だった。
少しずつ刻まれた傷によりダムが一斉に決壊するように、その変化は突然現れた。言うことをきかない体。まるで操り人形の糸が切れたかのように地面に倒れ落ちるアザミ。
そして同時に緩くなる鎖にようやく藍沢は満足に呼吸ができるようになった。
「やれやれ……答えは毒だよ。お前を傷つけたあの短剣にはパラライズビートルの体液を百倍に濃縮したものを塗布していた。掠っただけであの世行きだぜ」
心臓を狙った一撃だったが、別に心臓に当たらずとも良かった。
ちょっとした傷さえ付けれれば、時間はかかっても倒すことが出来る。
あの一撃を入れた時点で藍沢の負けはなくなっていた。
後は逃げ切って勝利を確定できるかの勝負だったのだが……
「…………そ、んな……」
「ふん。お前の敗因は二度の油断だよ。最初の油断で手傷を負い、次の油断で俺を殺す機会を失った。能力以上にその隙だらけの性格が弱すぎる。俺に言わせればな」
藍沢の価値観からすればアザミもまた弱者だ。
そして、弱者とは常に周囲を警戒し隙を窺わなければならない。
それを怠ったことがアザミの一番の失態だ。
「要は俺の方が弱者として勝っていたってこと。これを教訓にして来世は頑張るんだな」
「……ま、待って……」
「あん?」
「……ふ、普通、毒は解毒薬と合わせて運用するもの……持ってりゅでしょ、解毒、やく……」
毒のせいか呂律が怪しいアザミ。
「ふむ。なかなか良い目の付け所だな。確かに俺は解毒薬を持っている」
「……ちょ、ちょうだい……私、まだ……死にたく、ない……」
ぽろぽろと涙を零し始めるアザミはそこで初めて感情らしい感情を見せた。
子供らしい、真っ直ぐな感情を。
「欲しいのか? でもなあ、俺殺されかけたわけだし。タダではやれないなあ?」
ニヤニヤ。
ニヤニヤニヤニヤ。
今日一番の笑みを浮かべる藍沢はこの時一番輝いていた。
まるで水を得た魚のように、獲物を見つけたチーターのように生き生きとした表情。この時の藍沢を誰かが見たなら思わず呟いていたことだろう。「うわっ、なんつーゲス顔……」と。
「……お、お願い。何でもする、から……」
「えっ? 何でも? 今何でもするって言ったの? うっはー! これは夢が広がるなー、一体何をしてもらおうかなー、ロリ奴隷とかもいいなー、別にいらねえけど!」
最早人格すら変わったのではないかというほどテンションの高い藍沢。
殺し合い初めての勝利にアドレナリンが過剰分泌されていた。そうでなくても元々人を苛めるのが大好きな藍沢君。今、かつてない勢いで調子に乗っていた。
「んっんー、何にしようかなー」
「……何でもいい、から、早く……意識、が……」
「んー、そうだな……よし。それならさ」
藍沢は腰を折り、視線をアザミに合わせる。
真っ直ぐに見つめ、ふざけた態度を収めて正面から向き合う。
「お前魔族やめろよ。人殺し禁止、他人に迷惑かけるのも禁止。意地悪した人にちゃんとごめんなさいして、清く正しく生まれ変わる。分かった?」
「……分かった……分かった、から……は、や……く……」
「うん。ならよし。さてそれじゃあ解毒薬を……」
試験管に入った液体をアザミの前でチラつかせた藍沢はアザミに飲ませてやろうとして、
「やっぱ、やーめた。魔族の言葉なんて信用ならねえし。また襲われても嫌だからな」
くいっ、と試験管を持ち上げ懐に締まってしまう。
「……そ、そんな……嘘、つき……」
「嘘吐き? 心外だな。さっき俺はちゃんと言ったぜ、清く正しく生まれ変わるようにって。だからさ、来世、頑張ってな」
最後に思いっきり良い笑顔で見送る藍沢。
「……うそ、つき……」
アザミは最後の力を振り絞り、怨嗟の声を絞り出すと、それっきり動かなくなった。藍沢の"毒"が全身に回ったのだろう。
「……嘘吐き、ね」
倒れるアザミを跨ぎ越し、吹き飛ばされた短剣を拾い上げる。
「そうだよ。俺は嘘吐きなんだ。でもさ、お前だって悪いんだぜ? 今まで散々好き勝手しておいて、自分の番になったら御免なさいって、そりゃないだろ?」
アザミに殺された人間は沢山いるだろう。
あれほど無慈悲な戦い方ができるのだから間違いない。
「子供だからって許されるもんじゃない。罪には罰が必要だ。だから……そうだな。運よく来世を見つけられたなら今よりもっと強い生き方をしろよ。あいつがしてるみたいな生き方をな」
自分には出来なかったことだから……そう付け加えそうになった言葉を飲み込み、藍沢はアザミに背を向け歩き始める。
まだだ。まだ諦めるには早い。
今からでも、まだ間に合うかもしれない。
そうひたすらに信じて。




