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不死王と七つの誓い  作者: 秋野 錦
第五部 魔城奪還篇

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「真実」

「話、ですって……? それが貴方の狙いなの?」

「ああ、そうだ。私はずっとお前と話をしたいと思っていた。なかなかその機会は与えられなかったがな」


 イリスは目の前の男、魔王の真意を全力で探る。

 そうでなければ、今。次の瞬間にもイリスの命は消し飛ばれるだろう。


 まさに風前の灯。少しでもこの男の機嫌を損ねれば殺される。

 このイリスに絶対優位の精神世界だというのに。


「……何が知りたいの」

「私が知りたいのは唯一つ、『魔法書(グリモア)』についてだ」


 魔法書、それはこの場合単なる魔導書を指さない。

 イリスは知識として知っていた。

 魔法書と呼ばれる"禁術"がこの世に存在することを。


「……残念ながら魔法書(グリモア)についての記述は私の移動図書館にはないわ」

「ふん……白々しい嘘をつくな」

「嘘じゃないわ。私の移動図書館は記憶にあるものしか閲覧できない。どんな禁術であろうとも術式について学ぶ機会がなければ入手なんて出来ない。魔法書(グリモア)なんて国の最高機密とも言うべき禁術じゃない。そうそう蔵書なんて出来ないわ」

「…………」


 魔王の瞳がイリスを深く深く見つめている。

 イリスが魔法書(グリモア)の禁術を持っていないというのは嘘だった。

 国の最高機密だというのに、この禁術はなぜかイリスの図書館に入っていた。紛れ込んでいたといってもいい。


(この魔術が魔王の手に渡るなんて……それだけは駄目)


 恐るべきなのはその禁術の効果。

 数ある禁術の中でも群を抜く危険度を持つその魔術は決して他人に口外できるようなものではない。

 だからこそイリスは魔王に嘘をつき、その存在を隠した。

 これ以上、魔王に力を与えてはならない。そう判断して。


「魔法書はなぜそのような名称を与えられているか分かるか?」

「……?」


 イリスが警戒していると、魔王は突然妙なことを言い始めた。


「それはこの世界の魔術が形態化される以前から存在していたものだからだ。いわば始まりの魔術。術式が解明される以前の魔法と呼ばれていた時代の名残だ」

「……それがどうしたっていうのよ」

「原初の魔術。始まりの魔法。原点はそこにあったのだ。この狂った舞台はその始まり(グリモア)のせいで幕を上げてしまった。ならばその幕を引くのもまた、魔法書でなければならない」

「何を……言ってるの?」


 淡々と語る魔王。

 ただ話しているだけ。

 だというのに、イリスは背筋が寒くなるのを感じていた。


 言葉の節々に混じるのは怒り、悲しみ、苦しみ、嘆き。それら負の感情をこれでもかと詰め込んだ激情だ。

 まるで自分が責められているかのようにすら錯覚するほどの恨みを、魔王の言葉からイリスは感じ取っていた。


「……お前は何も知らなくていい。知る必要などない。そうだろう? "アイリス"」


 魔王の瞳はイリスを見ているようで、イリスを見ていない。

 どこか魂の抜けたような気配すら感じる。


(こいつ……)


 間違いない。

 イリスはようやく理解する。


 この男は"どうしようもなく狂っている"。

 何があったのかは分からない。だが、この男はすでに理性というものを喪ってしまっている。いや、まだ辛うじて残っているのかもしれない。ただ一つの目的を軸に精神の均衡を保っているのだ。


 そして、その様子にイリスは見覚えがあった。

 あのぶっきらぼうで、だけど優しさを根底に持つどうしようもなく甘っちょろい少年の姿と、目の前の魔王が重なって見えた。


(カナタ……カナタなの?)


 ここに来てようやく目の前の男の姿がカナタと重なった。

 雰囲気からもまた、一部ではあるが共通点を見出したのだ。


「貴方……カナタなの?」


 そしてそれに気付いてしまえばどうしても聞かずにはいられない。

 ぐちゃぐちゃの頭で何とか搾り出した問いに、魔王は端的に答える。


「言ったはずだ。私はもう名前を捨てたと。ここにいるのは誰でもない。魔王だ」

「…………」


 ……分からない。

 もう何がなんだか。


 目の前の男はカナタではないの?

 見た目はそっくりだ。


 でもよく見れば差異はある。

 まず身長が僅かだが魔王の方が高い気がする。ほとんど誤差のような差だが。

 次に顔つきが違う。くたびれた老人のような気配すら感じる。この少年のような姿の男にだ。


(……少年?)


 そこで更にイリスは一つの疑問にぶち当たった。

 そして……


 ──その事実に気付いたとき、イリスの精神は恐怖により凍りつく。


(ちょ、ちょっと待って……おかしい。ありえない。この魔王の見た目、どう見ても10代後半にしか見えないのに……魔王が確認されたのは16年も前なのよ? 何でコイツ……姿が全く変わってないの!?)


 魔族とて生き物だ。

 生物の宿命である老いからは逃れらない。そのはずなのに……


(まさかコイツ……噂どおりに不老不死だっていうの?)


「……あ、貴方」


 口元が震える。だがそれでも確かめなければならない。


「一体……誰なの?」


 最早それは縋りつくような問いであった。

 この恐怖から開放されるのなら、それが何であってもいい。

 イリスは答えが欲しかった。


 唯一つの真実が。

 だが……


「私は……魔王だ」


 魔王の口から真実が語られることはなかった。

 誰よりも舞台の中心に近い位置にいながら、イリスはまだ何も知らない。


 この世界の真実も、何もかも全て。

 事此処に至り、ようやくその真実の存在を認識できた程度だ。


 自らの無知を知ったイリスは体を震わせ、恐怖に耐える。

 一体自分は何を相手にしているのか、それさえも分からない。


 怖い……とてつもなく怖い。

 圧倒的な知識を保有するイリスにとって、知らないということは恐怖そのものだ。


「貴方は……私を殺すの?」

「魔法書を所有しているお前を殺すことなどしない。本音を言えば、私はお前に対して好意的であろうと思っている。まあ、信じてはもらえないだろうがな」


 魔王はそこで初めて人間らしい表情を作って見せた。

 申し訳なさそうな、そんな顔。

 カナタがよく作る表情だった。


「以前お前を捕らえた時、拷問紛いのことをして聞きだそうとしたのはリンドウの独断だった。私個人としてはお前に危害を加えるつもりなど微塵もない。他のものにとってはそうではないだろうがな。何せお前は"悲願"を成就させるための重要なピースでもある。多少手荒なまねをしたとして咎めることは出来ん」


「……魔法書についてなら知らないわよ」


「いい。今は語らなくても。いずれ自分から言いたくなる。私とこうして再会した以上、他の者には手出しさせないと誓おう。安心していい」


 まるでイリスを保護しようしているかのような物言いに加え、イリスにはどうしても無視できない単語が魔王の台詞には混ざっていた。


「再会? ……私と貴方は初対面でしょう」

「…………何?」


 魔王の眼光が鋭くなる。

 思わずイリスはびくっ、と体が硬直するのを感じた。


「……お前、何も知らないのか?」

「え、ええ。何? 何なの? 私は何を知らないっていうのよ?」


 尽きない疑問にイリスはそろそろ決着を付けたかった。

 一部でもいい。真実が知りたい。

 そうすればこの気持ちの悪い違和感の理由も分かる。


「……そうか。ヴェンデめ。そういうことか。それならいきなり襲い掛かってきたことにも得心がいく。つまり……なるほど。しかしまた、これは随分と複雑な状況だな」


「何よ、一人で勝手に納得しないで」


「悪い。あまりにも予想外だったのでな。先に確認しておきたい。お前、ヴェンデの身の上を知っているか?」


「父の?」


 思わず聞き返したイリスの父という単語に、魔王は盛大に吹き出した。


「くははっ! ヴェンデの奴、自分のことを父として扱わせていたのか! 案外奴も加減というものを知らんようだな!」


「……貴方、父を知っているの?」


「ああ、知っているとも。奴のことなら良く知っている。お前はどうなんだ? ヴェンデのことをどれほど知っている?」


「父は私に世界を教えてくれた人よ。誰よりも勇敢で、真っ直ぐな人柄だった。だから父のことを笑うような真似をしないで」


 言いながらも、イリスは内心動揺していた。

 ヴェンデから魔王に関して何か聞いた事はない。

 だというのに、向こうはヴェンデについてまるで旧知の間柄のように語るのだ。それで違和感を覚えるなという方が無理だ。


「勇敢……確かに奴は勇敢な奴だったな。この私に反逆してみせたのだから」


「え、ええ。父は立派な人だったわ。王国の尖兵として貴方達を倒すため、それこそ人生を賭けていた。私の最も尊敬する人よ」


「……なるほど。"そこ"か」


 イリスの台詞に、魔王は納得がいったと頷いてみせる。

 その様子に、イリスはどうしようもない不安を覚えた。

 そして……その不安は現実のものとなる。


「どうやら誤解しているようだから教えておいてやる。ヴェンデは確かに我々と敵対していた。だがそれは王国に属する人間だったからではない。むしろその逆、奴は王国とは決して相容れぬ存在だ」

「……え?」


 魔王の淡々とした口調から告げられる真実に、イリスは耳を塞ぎたい気持ちであった。先ほどまであんなに知りたがっていた真実だというのに、今度は逆にそれを知ることが怖かった。

 まるで自分が薄氷の上にいるかのような感覚に晒されながら……イリスはその真実を知る。


「ヴェンデは"こちら側"の人間だ。序列十三位。魔王軍の第十三席を担っていた男だ」

「……ッ、嘘よ! そんな……父が私に嘘なんてつくわけないっ!」

「嘘ではない。お前とて違和感はあったのではないか? 例えば……王国内にありながらまるで誰かから隠れるように暮らしていたとか。なぜヴェンデのような普通の人間がお前を魔族領から連れ出すことが出来たのか、だとかな」

「…………っ!」


 魔王の語る真実に反射的に反論してみたものの、呆気なく論破されてしまう。魔王の言うとおり、違和感は始めからあった。魔族領からピンポイントでイリスを連れ出すなんて、それこそ奇跡のような確率だ。


 狙ったものではないのなら、自分はなんて運が良いのだろうとそう納得しようとしていた。でも……もし、そうでないのなら……


「……なんで、父は私を魔族領から引っ張り出したの?」


 思わず漏れた疑問。

 それはイリスの物語の根幹を揺るがすものだった。


 始めから間違っていた認識。

 この復讐心すら、あやふやな物になってしまう。そんな自分の核とも言うべき誓いを揺るがす真実だった。

 そして、そんな呆然とするイリスに魔王は更なる追撃をしかける。


「ヴェンデが私に反目した理由までは分からん。だが、奴がお前を連れ出した理由なら分かる。恐らくお前のことが哀れだったのだろう。実の両親から引き離され、孤独に過ごすお前のことをな」

「……実の両親? 貴方、もしかして……」

「ああ、お前の両親のことは良く知っている。"だからこそ"こうして私が直々にお前を迎えに来たのだ」


 魔王にとってはそれこそが最も伝えたかった事実なのだろう。

 だが、今のイリスにはそれを受け入れるだけの準備が出来ていなかった。

 急速に繋がる疑問の答え。


 なぜ魔王は私に好意的な姿勢を見せる?

 なぜ魔王は私を殺さず、保護するようなことを言いだす?

 なぜ魔王は私にヴェンデの真実を告げた? そんな必要、どこにもないというのに……


 イリスの脳内に生まれるのは一つの仮説。

 そしてそれは決して簡単に信じられるようなものではなかった。


 だが……そのイリスの最悪とも言うべき予想は命中してしまう。

 魔王の口から告げられるのは真実。

 イリスが求めてやまなかった真実である。




「改めて言おう。久しぶりだな──我が"娘"よ。私は魔王。お前の父だ」

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