「生きていたアイツ」
寒空が広がるケルンの街を歩く。
思えばこうして一人で行動するのはかなり久しぶりのような気がする。
いつも俺は誰かと一緒にいた。
日本では紅葉や宗太郎、こっちに来てからは拓馬や奏とも良く話すようになったし、イリスと出会ってからは孤独なんてものを感じる暇もないほど騒がしい日常を送っていた。
だからなのだろう。
こうして一人歩くことを寂しい、と感じる自分がいる。
「……今更どの口が言うんだっての」
かつてクラスメイトに裏切られた俺は一つの誓いを立てた。
──もう誰も信じない。
あの地獄の中で俺はそう誓ったのだ。
信じるということは裏切りのリスクを背負うこと。
ならば始めから信じなければいい。
そうすれば……あんな痛みを味わうことなどもうないのだから。
「────ッ!?」
歩いているとふいに即頭部が強く痛み始めた。
思わず息が詰まり、ふらふらと近くの建物の壁に手をつかなければその場にへたり込んでしまいそうなほどの激痛だった。
「ぐ、あ……ッ!?」
何が起きているのか分からない。
ズキズキと痛む脳髄は俺を苛み、まるで視界の中を光が駆け巡っているかのように感じる。ゆっくりと、ゆっくりと落ち着き始める痛みはやがて完全に消え去り何事もなかったかのように何も残さない。
「はぁ……はぁ……」
荒い呼吸を繰り返し、何とか元の体調に戻す。
あまりにも突然のことで何の対処もできなかった。
こんなふうに頭が痛むことなんて今まで……
(……いや、そういえば前にも確かこんなことが……)
あったような、なかったような。
曖昧な記憶の中、俺は体勢を立て直し目的地に向け改めて歩き始める。
あまり気にしすぎてもいけない。
最近疲れがたまっていたから、きっとそのせいだろう。
「……ここか」
カミラのギルドを出て10分程度。
その宿はすぐに見つかった。被害の多いこの辺の地域の中ではかなり形を保っている宿だ。三階建てのその宿の中を覗いてみるがどうやら一階部分は酒場にもなっているらしい。
昼間っから酒を呑んでいる奴が2、3人いるがそれだけ。
誰かを待っている様子の奴はいない。
「ということは部屋か……」
カミラから貰った紙へ視線を送り、二階へ上がっていく。
指定された部屋の扉をノックすると若い女の声で中から反応があった。
すぐに部屋の鍵が内側から解錠され、開けた扉の先には……
「あ、えっ! カナタ君!?」
俺を見て、驚きの表情を浮かべる白峰奏の姿があった。
「よう。俺を呼んだのは奏なのか?」
「あ、えっと……カナタ君、だよね?」
おずおずと聞き返す奏に、紅葉達の話を思い出した俺はひとまず誤解されないよう手を振って答える。
「ああ、俺は青野カナタだ。何があったかは大体紅葉達から聞いた、それでイリス達のことを聞いたんだが答えてくれなくてな。ここにくれば教えてくれる奴がいるって聞いて来たんだが……」
「あ、ああ。そういうこと……うん、分かった。入って」
奏はそう言って俺を部屋の中へと案内する。
どうやら俺を待っていたのは奏ではないらしい。
もしそうならあれほど驚かないだろうしな。
「こっちだよ」
奏の案内で部屋の奥に通された俺は……その人物と再会した。
「やあ、カナタ。無事そうで何より」
ベッドに横たわり、片手を上げて話しかけてくるのは痛々しい姿を晒すアーデル・ハイトだった。
「お前……その傷どうしたんだよ」
なぜアーデルが奏と一緒にこんなところにいるのか疑問に思ったが、まず俺の口から出てきたのはそんなアーデルを心配する言葉だった。
「ははっ、名誉の負傷って奴さ。本来なら死んでいてもおかしくなかった……というか実際少しだけ死んでいたんだけどね」
アーデルは笑いながら何があったのかを語り始める。
シンという魔族と戦い、イリス達を逃がしたこと。
そして、その後激闘の末相打ちに持ち込んだこと。
そして、停止した自分の心臓を自ら電気ショックで蘇生させたこと。
「どうだい? 僕の隠されていた真の実力に驚いてくれたかい?」
「いや……驚いてるっちゃ驚いてるけど……それ、どこから突っ込めばいいんだよ」
まず魔族を殺したってのが信じがたいし、自分で自分に電撃を食らわしたってのもなんとまあ無茶をするものだと呆れてしまう。
「というか電気ショックって何だよ、お前……魔術師だったのか?」
「いや、僕は普通の人間さ。特に魔術的素養のないただの一般人」
「だったら何で……」
「まあ、その話は後にしよう。君もそれより先に知りたいことがあるだろうしね」
俺の問いをかわしたアーデルの言葉にここに来た理由を思い出す。
「そうだ、イリス達は一体どこにいる? お前なら知っているんだろ?」
「うん。僕は彼女達がどうなったのかをそこのお嬢さんから聞いて理解している。だからこそ、これは僕が伝えなくてはならないことなんだ」
アーデルはちらりと、奏へと視線を送ってから俺の求めていた答えを口にする。
「イリスちゃん達は……魔族に連れて行かれたよ」
「…………」
「あれ? あんまり驚いていないんだね」
「……別に。そうなんじゃねえかとは予想していただけだ」
リリィの反応から嫌な予感はあった。
魔族はイリスの移動図書館を狙っていたし、そういう可能性を最初から視野に入れていたのだ。
「一応確認しておくが、"達”ってことはステラもそうなのか?」
「ああ。加えてカネイ・ソウタロウとウエハラ・マナの拉致も確認されている。どうやら今回の魔族襲撃は最初から誘拐が狙いだったみたいだね」
「…………ちっ」
宗太郎と上原も、だと?
それは俺にとって最悪に近い組み合わせじゃねえか。
「……なんでそんなことになってんだよ」
思わず漏れた俺の愚痴に、アーデルは何を思ったのか勢い良く頭を下げ謝罪してきた。
「すまない……カナタ。僕がついていながらみすみす連れて行かせるなんて」
「アーデル……?」
痛む体を無理やりに動かしてまで、アーデルは俺に謝罪してきたのだ。
何がこいつをそうさせるのか俺にはさっぱり分からなかった。
「やめろ、お前怪我人だろうが。じっとしてろよ」
「だが僕はこんなことでしか君に償うことが出来ないんだ……許してくれ。僕は……僕の誓いを果たすことが出来なかった」
アーデルの肩を掴み、ベッドに寝かせようとしたその時。俺は気付いた。
ぽたぽたと白いスーツを濡らす涙がアーデルの瞳から流れ落ちていることを。
ぎゅっ、とアーデルの手につかまれた部分は深い皺を刻んでいる。
アーデルは心の底から後悔しているのだ。今回の結末を。
「……今回のことは別にお前のせいじゃないだろう」
「僕のせいじゃないから責任はないと? それは違うだろう。責任とは与えられるものではなく背負うものだ。そうでなくては誓いになど何の意味もないっ……」
未だ頭を下げ続けるアーデルの言った言葉の意味。
今の俺には良く分かる。
クロを怪我させてしまったときもクロはお兄さんのせいじゃないと言ってくれた。だが、そうじゃない。そうじゃないんだ。
この胸を苛む後悔は、そんな言葉なんかでは消えてはくれない。
自ら決めたことにだけは逆らえない。
それを破ってしまえばそれは自分自身の否定に繋がるからだ。
「……分かった、アーデル。お前がそう言うのならその謝罪確かに受け取った。だから話せ、何があったのかを。お前がそこまでして果たしたかった誓いってのが何なのかを」
「……ああ、そうだね。その為にこそ君を呼んだんだ。本当は知らないままでいて欲しかった。君にも、イリスちゃんにも。これは僕の罪そのものに関わる話だから」
アーデルはゆっくりと体を起こし、真っ赤になった目で俺を見据えて語り始める。イリスも知らない、彼女自身の過去について。
「僕が誓いを抱いたのは数年前。僕が彼女の父──ヴェンデ・ライブラを殺害した時のことだよ」
それはもしかしたら俺の知るべきことではなかったのかもしれない。
だが運命の時を刻む針は残酷にも俺に猶予の時を与えてはくれなかった。
知ってしまったからには戻れない。
俺はこの瞬間を契機に、本格的な魔族との争いに巻き込まれていくことになる……。




