「惨劇の舞台」
イリス達がシンと遭遇する少し前のこと。
紅葉を追う拓馬はようやくその背を捉えた。
「赤坂! おい……どうした?」
「…………」
急に立ち止まった紅葉を不審に思い、肩に手をやり振り向かせると紅葉は顔を悲痛に染めていた。
「黒木……」
紅葉の見ていたもの。
それは地面に倒れる人々の姿だった。
「これは……」
拓馬も遅れて気付く。
周囲に倒れ伏す彼らに統一性はない。
男、女、若者、老人、それら全ての区別なく平等に死という現実が降りかかっていた。
「酷い……酷すぎるよ……こんなの……」
顔に手をやり鼻声を漏らす紅葉。
拓馬は周囲に視線をやり、この惨状を作り出した人物がいないかどうかを確認する。微かに香る血の匂いに、眉を潜めながらゆっくりと進んでいく。
「黒木……?」
「まだ誰か助けられる奴がいるかもしれん。探して白峰のところへ連れて行こう。言っておくがこれはお前が言い出したことなんだからな。ぼけっとするな」
強引に紅葉を連れ、負傷者を探して辺りをさまよう。
何か目的があったほうが行動しやすいと思ってのことだ。
「……駄目。こっちの人も」
「オレの方もだ……」
だが、数分探索したところ生存者は皆無だった。
まさしく皆殺し。拓馬もあまりの死体の数にそろそろ参ってしまいそうだった。
「赤坂、そろそろ戻るぞ。いつまでもここにいるのは危ない」
「…………」
拓馬の提案を紅葉は肯定も否定もしなかった。
もしかしたら魔族を探すと言い出すかもしれないと思っていただけに、その反応には少なからずほっとする。きっと紅葉もこの死体の山を前に、戦意が挫けてしまったのだろう。
死体を見て、何の反応も見せない人間なんていやしない。
それは紅葉だろうと拓馬だろうと変わらない。
そして大抵の場合、それは拒絶という形で現れる。
「……そう、だね」
やがてポツリと呟いた紅葉は魔族を探すことを諦めたようだった。
あれだけの大口を叩いた後だが、それも仕方ない。これだけのものを見せられたのだから……
「……いや、少し待て。赤坂」
「え?」
唐突に一点へ向け歩き出す拓馬に、慌ててその背を追う紅葉。
拓馬が見つけたのは見慣れた服装の死体だった。
「こいつは……」
「児島君!?」
それは紅葉も良く知る男子生徒、王国からの依頼を受けてこの街を訪れていた召喚者の一人だった。
拓馬は児島の手を取り脈を確認するが、鼓動は完全に停止してしまっていた。
「こいつがこうなってるってことはどうやら魔族と交戦したみてえだな。結果は残念だったみたいだが……」
言いかけ、近くでドサッと荷物を落としたときのような音に振り向く。するとそこには腰を抜かした紅葉の姿があった。
「なんで……私達なら魔族になんか負けないって、ルーカスさんが……」
「……今は深く考えるな。それより他の奴らがいないか確認するぞ」
拓馬は宗太郎と同じく、王国のやり方に疑問を覚えていた。
だからこそ与えられた情報全てを鵜呑みにはせず、魔族に対しても客観的な評価を心がけていたのだが……どうやら紅葉は違ったらしい。
天権があれば魔族にも勝てると、そう思い込んでいた紅葉はクラスメイトの死を目前にして自分の信じていた力を粉々に打ち砕かれた気分だった。そうなるように王国が情報を与えなかったとはいえ、その姿はあまりにも哀れだ。
「ほら、赤坂。行くぞ」
「う、うん……」
拓馬に言われるがまま、周囲の死体を調べていく。その後更に二人のクラスメイトの死体が見つかり、その度に紅葉と拓馬は顔面を蒼白にした。
「おいおい……なんだよこれ」
その二人の死に方は今までの死体の中でも特に歪なものだった。
体中の骨を粉々に砕いたかのような形で手足が折り曲げられている。凹んだ頭部や捻じ切れた首などは直視に堪えない。
見れば隣で紅葉がえずいていた。拓馬は視線を逸らしつつ、改めて周囲を見渡す。
損壊した家屋はまるで上空から神の手によって押しつぶされたかのようにぺしゃんこにされている。しかもそれが局部的に起こっているのだから作為的なものを感じずにはいられない。
一体どのような魔術を使えばこのような暴虐が行えるのか、拓馬には想像も出来なかった。
ただ一つ、分かることは……
──これをやった犯人に、自分達では決して適わないであろうということだけだ。
「…………」
拓馬は自分の額を冷や汗が流れていることに気付く。
この季節、寒いくらいの気温だというのに。
「おい、赤坂。何だかヤバイ雰囲気だ。さっさとここから逃げようぜ」
言って、拓馬は自分の口から出た逃げるという言葉に驚いた。
まさか自分からそんな弱気な言葉が出てくるとは。
「……でもまだ、もう一人見つかってないよ」
「もう一人? ……ああ、そうか」
紅葉の言葉に思い出す。
召喚者のグループは基本的に四人一組で行動しているのだ。今まで見つかった死体は全部で三つ。それならばあと一人、どこかにいるはずなのだが……
「この辺りはほとんど探索しつくしたぞ。それでもいないってことは……」
「まだどこかで生きてるってこと!」
突然元気に言い放った紅葉は今まで見たものを忘れてしまったかのように明るい表情を作った。
「あと一人……そうか。そうだ、まだ上原の姿を見てねえ。生き残ってるならきっとアイツだ。上原の天権は『障壁』、防御特化の天権だからな。逃げ切ったんだろう」
「それなら探してあげないと!」
そう言って今にも駆け出そうとする紅葉を慌てて止める拓馬。
「待て待て、どこにいるかも分からない上原をこの広い街から探し出すなんて無理だ。まずは金井達のところへ戻って……」
言いかけ、拓馬は言い表しようのない寒気に襲われた。
まるで山中熊や猪などに遭遇してしまったかのような緊張感が体を包む。
その原因は分かっていた。
それは視界に写った三人分の人影。
彼らは建物の屋上に立っていた。
悠々と世界を見下ろす彼らはいつからそこにいたのか、自分達を観察していたのだ。
「…………っ」
余りの衝撃に口から言葉が出てこない。
全身に立つ鳥肌が、脳内で鳴り止まぬ警鐘が拓馬へと告げる。
──全力で逃げろ、と。
「……確かめてこい。スザク」
屋上に聳え立つ三人の人影、逆光のせいで姿は見えなかったがその内の一人が若い男の声でそう言ったのは分かった。
「御意に」
そして、その言葉に答えた一人の男……スザクは燃えるような赤髪を揺らしながら拓馬達の眼前へと宙を舞い、降り立った。
「……赤坂ッ!」
一拍遅れながらも拓馬は何とか普段の調子を取り戻し、注意を飛ばす。
スザクの視界に入った、ただそれだけなのにまるで体が石になってしまったかのような重圧を覚えている。動き出さなければ今にも硬直してしまいそうだった。
「────ッ!?」
拓馬の声に紅葉も背後に現れた人物へ気付いたようだ。
それから拓馬は右へ、紅葉は左へそれぞれ分かれてスザクを挟み込む。
なぜそうしたのかは分からない。本来なら背中を見せて脱兎の如く逃げるべきだったはずなのに。
(……なんつープレッシャーだよ。こいつ)
尋常ではない存在感を目の前の男から感じる。
細身で、何の武器も持っていないこの男から。
裏町でナイフを持った不良に絡まれた時もこれほどの緊張感は味わわなかった。
「……さて、黙ったまま見つめられたのでは俺も居心地が悪い。まずは名乗らせてもらおう。俺は魔王軍第二席、スザクだ。とっくに気付いているとは思うがこの街の惨状を作り出した魔族とは……俺のことだ」
ゆっくりと、言い聞かせるように名乗りを上げるスザク。
だが、それに対して二人は何のリアクションも取ることができなかった。
「ふむ。俺が名乗ったのだからそちらも名乗り返すのが流儀というものではないのか? まあ、いい……先に一つだけ教えておくと俺は面倒が嫌いなタチでな」
すっ、と片手を鉤爪のように開いてみせるスザク。
「語らぬと言うのなら……その身に問うまでだ」
そして、その細い体からは想像も出来ないような速度で飛び出してきた。
まるで弾丸のように、スザクは一直線に拓馬へと狙いを定める。
「……っ!」
その余りの速度に面食らいながらも、拓馬は何とか武器の生成に成功していた。両手に持つのは軽く、小回りのきく短剣の類だ。
反射的に選んだのは速度を重視した武器。スザクの速度に対抗できるのはこれしかないと思ったのだろう。だが……
──ブシュッ!
鮮血が宙を舞う。
防ぎきれなかったスザクの手が獣の爪のように深々と拓馬の肩に突き刺さる。
「ぐッ、があああああァァァァァッ!?」
肩口に高温の鉄板を当てられたかのような激痛が走り、拓馬はたまらず絶叫を上げた。
「黒木っ!」
その有様を見せられた紅葉はスザクの背後から上段蹴りを放つ。
まるで鞭の様にしなやかに伸びたその一撃はスザクの肘によって打ち払われ、威力を殺される。だが、紅葉の『硬化』により攻撃力を増した一撃はスザクの膝を砕き、確かなダメージを残していた。
「……なるほどな」
痺れる左腕を僅かに押さえながらも表情には一切のダメージを滲ませぬままスザクが独り言を漏らす。
「お前たちの能力はだいたい分かった。残念ながら……お前たちは不要だ」
そして……
──刹那にスザクの姿が虚空に消える。
「なっ!?」
目の前で突然人が消えたことに、拓馬が驚きの声を上げる。
今、完全に視界に収めていたはずだった。どんなに速く動こうとも見失うなんてことがあるはずがない。だというのに……
「が、はッ……」
揺れる視界。突然背中に与えられた衝撃に、蹴られたのだと拓馬が気付くのには僅かな時間が必要だった。肋骨に伝わる衝撃に内臓が滅茶苦茶にシェイクされるのを感じながら拓馬は地面を転がり痛みに耐える。
「今、何を……」
「次はお前だ」
拓馬を蹴り飛ばしたスザクはくるり、と反転して紅葉へと視線を差し向ける。
そして……再びスザクの姿が消える。
「…………っ!」
紅葉がその一撃をかわせたのはまさしく奇跡というに相応しいものだった。
拓馬が吹き飛ばされた瞬間を見ていた紅葉は咄嗟に前方へその身を投げて、背後からの手刀をやり過ごす。虚空を貫いたスザクの手は、本人へ困惑を与えるのに十分なものだった。
「……かわした、だと?」
紅葉の身体能力を甘くみたわけではない。
だが実際にこうして回避されては言い訳のしようもなかった。
「……何やってんのよ、スザク。力貸してあげようか?」
「無用だ。ナキリはそこで黙って見ていろ」
頭上から降ってくる仲間の声に、スザクは内心憤りを感じていた。
"あの方"の前で無様を晒してしまったと、今の一幕をそう解釈しているのだ。
「はあ、はあ……」
そして、そんな敵の様子に気付く暇もないのが紅葉だった。
まさしく今、自分は死にかけたのだと本能で悟る。
もしコンマ一秒でも飛び出すのが遅かったら、そう思うと背筋に寒いものが走る。だが……
(こんなところで……止まってなんかいられない)
紅葉は臆病者ではあっても、根性なしではない。
土壇場で、いきなり命を賭けたやり取りに発展してもそのパフォーマンスを落とすことなく動き回ることが出来たのだ。それだけで一級の戦士たる資質の証明足りえるだろう。
「偶然ではないのだろうな。恐らくその天権、『硬化』だとは思うのだが……本質は別にあるというのか?」
「何、訳の分からないことを言ってんのよ……」
そして紅葉は目の前の危機に恐怖を感じながらも……同時に怒ってもいた。
これだけの惨状を見せ付けられて怒らないはずがない。
それが赤坂紅葉という少女の本質なのだから。
「あんた達のせいで何人死んだと思ってるのよ……カナタだって、あんた達さえいなければあんなことにはならなかった」
沸々と心の底から湧き上るのは闘争心にも似た激情だ。
紅葉はその感情に導かれるまま、目の前の"敵"に向かって吠え立てる。
「これ以上……あたしの平穏を奪うな、"魔族"!」
それは失われた日常に対する未練とも言うべき感情の発露。
今、この瞬間に赤坂紅葉は自らの信念に従い、戦うことを選択した。
それはこの異世界を生き抜く為に最も必要な誓い……
自らの願いの為に全てを捨て去る覚悟に他ならないのであった。




