「氷の王」
「お前……一体何をした」
痛む右手を押さえつつ、シンが問いかける。彼の右手は毒を打たれたかのように感覚が鈍化してしまっていた。それは明らかに普通の攻撃ではありえない。加えて新たに参戦してきたアーデルとの距離は10メートル近く離れている。どんな長物の武器だろうと届く距離ではない。
「さあてね、幼女にお願いされるのならともかく中年男性に問われたのでは答える気も失せるというものだ。自分で考えたまえ」
バッ、とマントを翻すアーデルはどこまでも強気な姿勢を崩さない。見れば彼の後ろではシンの蹴りを食らってダウンしていたステラの姿もある。
アーデルは自ら目立ちながら敵の前に出ることでシンの視線を独占していた。そんな大胆というしかないアーデルの立ち振る舞いに、ステラが痛む体を押さえながら声をかける。
「あ、あなたは確か……」
「やあ、久しぶりだね。また会えて嬉しいよ」
「……行き倒れの人?」
「……いや、まあ。確かにそうなんだけどその覚えられ方は少しばかり心外だな。僕の名前はアーデル・ハイト。カナタの親友にして、ライバルさ」
まるで舞台の上にいるかのように大仰な仕草で自ら存在を主張するアーデル。そんな彼にステラは見覚えがあった。だが、以前見たところカナタとは友人どころか知り合い未満の扱いしかされていなかったような気がしたが……ステラはとりあえず細かいことは気にしないことにした。
「味方……と、思っていいんですか?」
「ああ、いいよ。僕はいつでも弱くて可愛い者の味方だからね。君はそこで見ているといい。後のことは全て僕がやっておく。あのような粗暴な者に構ってその柔肌を傷つける必要もないだろう」
ステラの問いにまるで舞台の台詞のような言葉を付け加えるアーデルの元へ……
「アーデルさんっ!」
──数本の氷の槍が飛来する。
「おっと!」
アーデルはその攻撃がステラと奏の元へ行かないよう細心の注意を払いながらやり過ごす。
「全く、話している途中で攻撃とは無粋な奴だな君は」
鋭い視線をシンへと向ける。見れば次々と氷の槍がシンの周囲で生成されつつあり、その全てがアーデルへ向けて放たれようとしていた。
「……口煩い男は嫌いだ」
「同感だね」
シンが呟き、放った氷の槍はかわせるような隙間が存在しなかった。時間をかけて練り上げたシンの攻撃はまさしく殺陣。逃れられぬその攻撃網の中……
「──雷陣」
膝を地面につき、右手の手のひらを地面に押し付けたアーデルが唱える。
すると……
──バチバチバチバチッッ!
耳をつんざくような音と共に一瞬にして周囲を眩い光が覆う。
それは紫苑色に瞬く閃光だった。アーデルを中心に地面から伸びる閃光は飛来する氷の槍を正確無比に打ち抜き、無力化する。
砕け散る氷の煌きと合わせて、そこはまるでイルミネーションで彩られた空間のような華やかさを持って見るものを魅了した。
「──イカヅチ……だと?」
そして、その現象からシンはアーデルの能力に当たりをつけた。
だが、何よりも不思議だったのはそんな高等魔術を一介の冒険者風情が使えるということだ。普通、この規模の魔術を使役できる魔術師は国が雇い入れて囲っているはずだった。
つまり、それが意味するところは……
「貴様……鬼道衆の人間かッ!」
シンが表情を怒りに染めて吐き捨てるのは王国の暗部に存在する殺戮集団の名前であった。それは召喚者が現れるまで魔族と対抗するほとんど唯一と呼べる王国の切り札、懐刀とも言うべき者たちの総称である。
「元、だよ。すでに僕は組を抜けたんだ。今の僕はただの冒険者、そう認識してくれていい」
「貴様の事情など知るか。お前らには昔から手を焼かされているんだ。絶対に逃がさない」
今までにない密度の殺意を撒き散らすシンを中心に空間が氷結を始める。ぐんぐん下がる気温に、アーデルはちらりとシンの足元に倒れるイリスへと視線を向ける。
「死ね……鬼の者」
シンが放つのは氷の槍。だが、その数が尋常ではない。次々に生み出される氷の弾丸はまるで機関銃のようにアーデルの細身を穿つ為、その凶悪な切っ先を煌かせる。
さきほどの雷陣を展開したとしても、数で圧殺してしまおうというシンの思惑が見とれた。事実、迫りくる数多の弾丸にアーデルはさきほどのようには迎撃できないことを悟っていた。だから……
「やるね。だが……雷迅ッ!」
アーデルは別の手で対処することにした。
さきほどと同じ音での詠唱。だが、その意味合いは全く違う。
紫電の閃光を纏ったアーデルはまさしく雷鳴となって空間を翔ける。
到底人間とは思えない速度で動き続けるアーデルは飛来する氷の刃をかわし、かわし、かわし、かわしてシンの元へと駆け抜ける。じぐざぐと本物の雷のように蛇行しながら走るアーデルは一瞬の内に10メートル以上の距離を詰め、シンの懐へと飛び込んだ。
「馬鹿が……っ!」
しかし、シンに近寄るということは自ら彼の攻撃圏内へ赴くということでもある。足元から、指先から、髪先から凍り始めるアーデルは真っ白な息を吐き出しながら、吼える。
「らあああああああああああッ!」
痛みを気合で乗り越え、アーデルは自らの体から雷光を放つ。超至近距離からの攻撃はしかし、シンの生み出した鉄壁の氷の盾により全てを防がれてしまっていた。
シンの白銀世界の最も凶悪なところがソレだ。
彼に攻撃を加えようと近づけば、氷結という未来が訪れる。
それでも何とか相打ちに持ち込もうと狙ったところで、待ち受けるのは鉄壁の要塞。シンの生み出す氷は攻撃よりも防御の面で優れているのだ。
近距離攻撃で決着をつけようとすれば、皆今のアーデルと同じ目に遭うことだろう。攻撃は通らず、一方的に凍らされてしまうその光景は暴虐というに相応しい。
「ぐっ……!」
「諦めろ、お前では僕には勝てない」
雷撃は通らない。だが、それでもその位置から離れようとしないアーデルをシンは思い切り蹴り付ける。激しい衝突音と共にアーデルの体が吹き飛ぶが、別に彼はアーデルをこの領域から逃がすためにそうしたわけではない。
シンはアーデルに絶対勝てないという絶望感を与えた上で殺そうと考えていた。要は嬲り殺し。彼にはそうするだけの理由があった。
魔族と鬼道衆の怨恨は深い。
お互い殺しあってきたのだからそれも当然である。
「立て、鬼の者。お前には痛みの中死んでもらう」
毅然として立ちふさがるシンを前に……
「……やはりお前は紳士ではないな」
口元から一筋の血を流すアーデルは不敵に笑って見せる。
そして、その腕にはいつの間に抱え込んでいたのか、イリスの体が抱きしめられていた。
「彼女を巻き込んだまま魔術を使うとは……貴様に慈悲というものはないのか」
「……お前、まさかその為にわざと?」
「無論だ。お前と僕では戦う理由が違う。お前は殺すため、僕は守るため……」
ゆっくりとアーデルはイリスの体を地面へと下ろす。
イリスのことはステラ達に任せて、アーデルはようやく正面からシンと向き合うことが出来た。
「つまりは覚悟の差だ。自分一人の為に戦っているお前なんぞに僕は絶対に負けん」
バチバチと、アーデルの右手が発光し始める。
「──雷刃ッ!」
そして、一瞬の後にアーデルの手元から延びるのは雷の刃。一直線にシンへと向かって奔る雷光は10メートルという距離を一気に詰めて、シンの喉元へと襲い掛かる。
それは最初にシンの右手を穿ったものと同種の攻撃であった。だが、あれよりも更に魔力を込めた一撃は鋭利な刃物を超えた切断力を内包している。触れればたちまち剃刀のように対象を斬り飛ばすだろう。
「……ッ!」
予想以上の速度を持って迫る刃に、シンは自慢の防御氷壁を展開する。だが……バチィンッ、と軽い音と共にその表面にヒビが入り始めていた。
「なっ!?」
これにはシンもその表情を驚愕に染める。ここにきて初めてシンが恐怖を感じた瞬間だった。それはこの戦闘で命を落とすかもしれないという緊張。あってはならないはずの感情であった。
「くそ、こんなところで死んでたまるかっ! 俺は、俺は……生きて帰らないとならないんだよッ!」
死を目前にして人は変わる。
それはどんな人間であろうと同じこと。そして、大多数の人間と同じようにシンはそれを拒絶しようと全霊を賭した。
「染め上げろ──白銀世界ッ!」
音もなくシンの能力が最高潮にその猛威を加速する。
地面から、近くの馬小屋から、どんどんと世界は白銀へと姿を変えていく。そしてそれは本来物理現象として有り得ないはずの"雷の氷結"という現象すら生み出していた。
「な、何だとっ!?」
手元の雷刃が切っ先からどんどん白銀に染まっていく。
紫苑は白銀に侵されつつあった。
「僕の白銀世界に例外はない! 全て凍りつくがいいっ!」
すでにシンを中心とした5メートル圏内は魔界と化している。生物の生存できる環境ではなくなってしまっているのだ。加えて、凍っている物体の延長線上にあるものも全て白銀へと時間をかけて染め上がりつつある。
「魔族とやるのは初めてだったがここまで出鱈目な連中とは……仕方がない」
手元の雷刃を霧散させ、くるりとマントを翻すアーデル。
格好をつけながら完全に逃げる気満々であった。
だが……
「逃がさんっ!」
シンは体を低くして、弾丸のように飛び出した。
魔族の身体能力は一般人のそれを軽く凌駕している。そんな彼が白銀世界を展開しながら移動するとどうなるか……その答えは簡単だった。
パキパキとシンの移動した空間が死んでいく。全ての動植物が、建造物が、まるで有象無象と言わんばかりにシンの手によって蹂躙されていく。
「──雷迅ッ!」
シンの攻撃圏内に引き込まれる寸前、アーデルは高速移動の雷迅を纏ってその場を離脱する。だが、それでも僅かに遅かった。
「ぐっ……!?」
見れば彼の左手が凍り付いている。ほんの一瞬程度の間合いだったが骨まで凍りつき、動かすことは不可能になってしまっていた。幸い、シンの攻撃半径から逃れたおかげが侵食はそれ以上進んでいないようだったがこれでアーデルの左手は死んだも同然。
だが、左腕を犠牲に雷迅を展開できたという見方もできる。
自身を雷化して高速移動を可能とする彼の能力がある以上、追撃はそれ以上の速度を持たなければ不可能。そして、それだけの速力はシンには持ち得ないものであった。
このままいけばアーデルは無事、シンから逃げおおせるだろう。
これが仮に一対一の戦いであれば、だが。
アーデルを追わず、行き先を変えたシンにアーデルははっ、とその狙いに気付く。
「っ! 魔族ッ! 貴様、まさか……ッ!」
シンの方向転換したその先には……
──イリス達。アーデルにとって何よりも優先すべき守るべき者たちがいたのだった。




