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不死王と七つの誓い  作者: 秋野 錦
第四部 魔族侵攻篇

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「白昼夢」

「……え?」


 シンには今、目の前で起きていることが信じられなかった。

 つい一瞬前まで目の前にあったイリスの姿が幻のように消え去り、眼前に出現していたのだ。その体は弦の引かれた弓のように、拳を引き締め、今にもシンに向け殴りかかろうとしている。


「──ッ!?」


 シンは紛れもない全力で回避を開始した。だがその速度はすでにシンに止められるようなものではなく……

 バキィンッッッ! と、小気味の良い音ともにシンの体が後方へ向けて吹き飛ぶ。


 イリスがシンを殴り飛ばしたのだ。その小柄な体躯で。

 そして何が起きているのか分からないのはシンだけではない。奏から治療を受けているステラもまたイリスの力に呆然としていた。彼女は今まで自分達の中でも最弱の存在であったはずだ。それなのに、今目の前の難敵を軽々と吹き飛ばしたのは紛れもないイリス。


「一体、何が……」


 見ればイリスの瞳は普段の透き通るような瑠璃色から、真紅の色合いへと変化してしまっている。それはかつてカナタが一度だけ見たことのあるイリスの豹変だった。


「今の感触……シン、貴方何をしたの」


 しかし、当の本人は目の前の敵しか見えていないのか土煙の先のシンへ向け話しかける。ゆらゆらとその姿を現したシンは……


「少しだけ、油断した。それだけだよ」


 全くの無傷だった。

 イリスの攻撃が直撃した腹部には何かきらきらと光る物体が張り付いている。


「それは……氷?」

「ご明察。やっぱり駄目だね。僕の能力はあまりにも分かりやすすぎて面白みがない。折角イリスがやる気になってくれたってのに」


 語るシンはパキパキと空中に剣のような形状の氷を作り出す。


白銀世界(アルゲンティス)。僕はこの能力(ちから)をそう呼んでいる。ただ氷を作るだけの詰まらない能力さ。けど……イリスのはもっと面白そうだね。それ、ただ身体能力を強化する魔術じゃないだろう?」


 それまでほとんど無表情だったシンの口元が……三日月型に歪む。


「ああ……駄目だ。気になる。気になって仕方がない。物理操作? 事象干渉? 分からない。けど……面白そうだ」


 さきほどまでの怠慢な態度はどこへやら、嬉々としてイリスの能力について分析するシンは真っ直ぐにイリスへ向けて手を差し向ける。


「君と戦うことになるなんて思ってもみなかったよ。もしも加減を誤って殺してしまったら……ごめんね?」


 そして、シンの手元にあった氷の剣がイリスに向けて勢い良く射出される。

 空気を裂き飛来する一撃にイリスはただ一度、優雅に微笑んで見せた。

 ただそれだけ。たったそれだけで……シンの氷は粉々に砕け散り、空気中に霧散した。


「……概念型、もしくは特殊型だろうけど……本当に何なんだよ、その魔術」

「敵にわざわざ教えるわけないでしょう」


 イリスはわざと不敵に佇みながら……脳を侵食する激痛に必死に耐えていた。

 さきほど発動した魔術、胡蝶の夢(レヴェリング)はイリスの持つ禁術の中でも特に術者への被害が少ない部類のものだ。だというのにこの身を苛む激痛は今にも屈してしまいたくなる暴力性を有していた。


(この程度でこの様なんて……カナタ、貴方は今までどれだけの"痛み"を抱えてたのよ)


 危険度で言えば胡蝶の夢は灼熱の剣の足元にも及ばない。

 そのことにイリスは今までカナタの背負ってきたものに戦慄する。今まで自分では戦わず、カナタにばかり押し付けていたその痛みを。


(これは……次会ったら謝らないといけないようね。でも、その前に……)


 奥歯をかみ締め、痛みを飲み込んだイリスは眼前の敵を見据える。

 まずはこの敵を何とかしないと、カナタと再会することすら出来ない。

 それだけは……嫌だった。


「はっ!」


 呼気と共にシンに向かってナイフを振りかぶる。イリスは継承した記憶の中から、ナイフの達人の業を引き出していた。それはついさきほど一秒で覚えた60年分の研鑽。たったそれだけでもイリスの脳にはとてつもない負担がかかり、激痛を生み出している。


 ──胡蝶の夢(レヴェリング)


 その禁術の正体は夢の投影にこそ本質がある。想像したものを創造する能力と言ってもいい。イリスは脳内にある技術という夢を現実に現し、シンの攻撃に対してはその逆。現実を夢へと投射することで無力化していたのだ。


 本来は拓馬の天権のように限定的な物質を生成するだけの能力だが、イリスが使用した場合にのみ、この禁術はその真価を発揮する。


 何しろイリスの脳内には常人を遥かに超える情報量が詰め込まれているのだ。顕現できる幅も恐ろしく広い。しかも、夢想眼と組み合わせることによりその状況に最も適した夢を最速で展開することができるのだ。


 イリスの視界にある限り、どんな攻撃も意味を成さない。

 そればかりかイリスは思い描いた現象そのものを具現化することができる。禁術という豊富な知識を元に生み出す夢はイリスの肉体を強化し、擬似的な魔術を作り出し、世界を作り変える。


 だが……そんなイリスの切り札とも言うべき禁術にも一つの欠点がある。


 それは有り得ない現象であればあるほど、術者に負担がかかってしまうということ。


 さきほどシンの攻撃を防いだときもかなりの消耗を強いられてしまった。

 元々イリスは魔力量の多い方ではない。胡蝶の夢を展開するには時間的、能力的制約が付きまとう。だからイリスにできることと言えば、せいぜい継承した記憶から熟練の技を未熟な肉体に投影する程度のことだ。

 だが、たったそれだけでもイリスにとっては限りなく大きなアドバンテージとなる。


「はあああっ!」


 縮地と呼ばれる技法を用いて距離を詰める。

 シンが目測を誤ったその一瞬に煌く白銀の閃光。だが、しかしそれもシンが新たに生み出した氷に阻まれてしまう。


 シンの作り出す氷は高い硬度を誇っており、イリスが持っているナイフ程度ではびくともしない。

 それならばと、手元に夢から引き出した炎を生成。脳内に走る激痛に耐えながら、その火力を目の前の男に向けぶつける。


 ──ジュジュジュジュジュジュジュッ! と、奇妙な音を上げながら氷と炎がせめぎ合いを開始する。イリスの火力が勝るか、シンの氷が防ぎきるか……


「……はぁ、ああっ!」


 その結果は思ったよりも早く訪れた。

 イリスが負担に耐え切れず炎を夢へと還してしまったのだ。

 有り得ない現象であればあるほど負担がかかる。今回は威力を上げるため、灼熱の剣を参考にしたのだが一秒と保つことが出来なかった。


 イリスにとってはほとんど始めての実戦。

 しかも慣れない禁術を使っての戦闘だ。どうしたって能力を持て余す。


「……段々底が見えてきたね」


 そして、それとは逆に己の能力を知り尽くしているのがシンだ。

 高速で作り出す氷の槍は洗練されており、まるで一つの芸術品のようである。


「イリスの魔術は恐らく脳内のビジョンを現実に移す事象具現型の魔術だろう。使いこなせれば最強に近い能力。6つある分類の中でも特に強力な事象具現型の魔術なだけはある。けど……どうやらイリスの作り出せるビジョンにはかなりの制限があるみたいだね」

「……ぐっ」


 頭を抱えふらつくイリスへシンの言葉が降りかかる。

 その手にあるのは氷の槍。白銀に輝く美しきその槍の切っ先は真っ直ぐにイリスへ向けられている。


「まずは動けないように足の腱を断ち切る。次は抵抗できないよう腕だ。なに、心配はいらないよ。魔王様のところへ着いたら治してもらえばいい。彼もこの街に来ているからすぐだよ」

「……え?」


 シンが何気なく放った言葉に、イリスは硬直する。


「待って……魔王がいるというの? 今、この街に!?」

「うん。魔王様だけじゃないよ。スザクさんとナキリさんも護衛として同行してる。まあ、あの方に護衛なんてものが必要になるとは思えないけどね。一応、念のため」

「──ッ!」


 体を苛む痛みを凌駕して、イリスの肉体に活力がともる。

 魔王と呼ばれる存在に対して面識はない。だがその存在だけは知っている。イリスを縛り続けた過去の原因であり、ヴェンデ・ライブラ……最愛の父の命を奪った原因を作った人物。


 イリスが語らずにいた……いや、語ることの出来なかった復讐の相手……



 ──魔王。



 その居場所を知った今、イリスには立ち上がる以外の選択肢はありえなかった。


「私は……過去を、超える……そして、父の弔いを……!」


 震える体に渇を入れる。

 だが……


「無駄だよ」


 すでに決着はついていた。


「……あ、れ?」


 イリスはそこでようやく気付く。どんなに力を入れても体が動かないのだ。それもそのはず。イリスの体はすでに足元から凍りつき、その表皮には霜が降りている。

 痛みを感じる暇もなく、イリスの体は氷結を始めていたのだ。


「──白銀世界(アルゲンティス)。それはその名の通り世界を凍りつかせる力だ。目の前の分かりやすい現象にばかり気が向いていたようだね。まさか僕の言ったまま、これが氷を作るだけの単純な能力だと思っていたかい?」


 イリスの体が震えていたのは痛みや怒りによるものではなかった。シンを中心に展開する白銀世界は生物に限らず近寄るものを凍りつかせる。シンの最も近くで戦い続けたイリスは動きを止めたその瞬間、一気に凍り付いてしまったのだ。


「これで君はもう動けない。これなら……外すこともない」


 シンが振り下ろすのは鋭利な氷の槍。それは寸分違わずイリスの右ふくらはぎへと突き刺さり、肉を抉る。


「…………っ」


 だがイリスはすでに感覚すら麻痺しつつある。出血する傍から凍りつく傷口に痛みはない。それどころか吐く息すら凍り始めており、意識を保つことすら困難だった。


「これはせめてもの慈悲だよ。痛み苦しむ姿は見たくないから」


 優しげに呟くシンはイリスの動きを止め、次は腕だと再び氷の槍を振りかぶる。その、瞬間のことだった……。



 ──バチィッッッッ!!



 まるで一斉に針でも突き刺したかのような痛みが右腕に走り、シンは溜まらず氷の槍を取り落とす。


「ぐッ! ……誰だっ!」


 叫び、シンは周囲へと視線を向ける。さきほどの攻撃は間違いなく襲撃者を意味している。自分の右腕に血が流れていないことに違和感を覚えながら、探索を続けるシンの視界に……その男はいた。


「全く、駄目じゃないか。そんな小さな女の子に手を上げるなんて、紳士のすることではないよ。例え敵意を持たれているのだとしても、ビンタを貰って『有難う御座います』と言ってのけるのが男としての流儀(マナー)ではないかね?」


 その男はシンに向け、まるで窘めるかのような口調でそう言った。

 事実、その男はシンを諌めていたのだろう。だがあまりにもこの場にそぐわないその物言いにシンは眉を潜めざるをえなかった。


「なんだいその目は。もしかして君は嗜虐趣味の持ち主なのかい? それは駄目だよ。いくら相手が求めていたとしても暴力はいけない。それが幼い少女となれば尚更だ。彼女たちは人類の宝なのだからね。老いという逃れられぬ宿命を背負っているのだとしても。いや、だからこそ何にも勝る若さというその瞬間を僕らは尊ばねばならない。崇拝しなければならない。つまり……君、被虐趣味に転向するべきだ」


「……お前、何を言ってる」


 不審の目を向けるシンに、男はようやくそこで名乗り遅れていたことに気付く。


「ああ、失礼。名乗り遅れるとは紳士としてあるまじき失態だった。謝罪するよ。では……改めて名乗らせてもらおう。僕の名は……」


 その男は颯爽と肩で風を切り、漆黒のマントと金髪の髪を揺らしながら朗々と己の名を告げる。




「──アーデル・ハイト。愛の奴隷にして、正義の味方。そして……君を殺す者の名前だよ。冥途の土産に覚えておくと良い」




 そう言ってどこまでも不敵に笑みを浮かべるのはカナタの友人を自称する一人の冒険者であった。

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