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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

gomibako

銘酒「不幸」

作者: 北田啓悟

 十九年間生きてきて、僕にも初めて彼女が出来た。


「あ、●●さん!」

「おはようございます、××さん」

「済みません、五分遅刻しちゃいました」

「いえ、いいんですよ」

「えへへ……」


 申し訳無さを照れ隠すように、彼女ははにかんだ。

 駅前で待ち合わせをしていた僕は、駆け寄ってきた彼女をなるべく傷つけないよう穏便に迎え入れる。たぶん上手く出来たと思う。僕はもともと人付き合いが苦手な人間だから、自分の言動で相手が傷ついたかどうかを非常に気にする質なのだ。せっかく出来た彼女である、それは尚の事敏感になる。


「どこへ行こうか?」

「●●さんが行きたい場所なら、どこでもいいですよ」

「そう? じゃあ……」しばらく考えて、「映画館に行かない?」

「映画館ですか。素敵ですね」

「よし、じゃあ行こう」

「はい」


 彼女はニコリと微笑んだ。

 よし。掴みはバッチリ。この日のために前日は「デート 初めて 場所」で検索しまくったのだ。その結果として、映画館へ行くのが正解であると抑えているのだ。抜かりはない。

 もちろん見る映画も決まっている。流行のラブロマンスだ。やはり初めてはホラーや二流ではなく、王道を突いておく。その方がいいとネットに書いてあった。

 下手なことをして嫌われたくはない。無難な選択が結局は正解だ。


「●●さん」

「なんですか?」

「実は私、デートって初めてなんです……。リードしてもらっていいですか?」

「構いませんよ。任せてください」


 わざとらしく胸を叩いてみた。彼女は口元を抑えて笑った。

 幸せだ。……この上なく、幸せだ。彼女の笑顔を見るだけで心の底から幸せな気分になれる。この世の憂え事を全て忘れて、今目の前にある瞬間だけに心が奪われる。とても安らぐ心地。きっと、僕以上に幸せな人なんていない。


 ああ。この幸せがいつまでも続けばいいのに。


 *


 彼女と知り合ったのは、大学のサークルでのことだった。

 高校生のころは勉強ばかりで女っ気のない青春を送っていた。そりゃあ僕だって彼女は欲しいと思っていたけれど、気付いたころには既に真面目というレッテルを周りから貼られていて今さら恋にはかまけていられない状態だったのだ。

 大学に入ってからはお洒落を勉強した。けれど入学当時には知識が追いつかなくて、大学デビューには物の見事に失敗してしまった。暗雲垂れ込む幕開けのキャンパスライフ、ここでも真面目なキャラクターを突き通すことになるのかなぁなんて落ち込んだものだった。


 転機が訪れたのは、文芸サークルに入ってからのことである。

 扉を開けて目に入ってきた一人の女性、それが彼女だった。一目惚れである。静かに本を読んでいる姿がとても可憐で、愛おしくて、守ってあげたいと思った。透き通るような黒い髪、清楚な服装、どれをとっても完璧だった。とにかく魅力的だったのだ。


 当然、僕は彼女を意識するようになる。サークルの活動として掌編小説を執筆することになり、その際、彼女から、一緒に何を書くか考えようと言ってくれたのには胸がドキドキした。

 それからも些細なことだが色々とやり取りをするようになり、三日前、僕の方から告白してついにその恋が成就したのである。嬉しすぎて僕は泣き、彼女を慌てさせてしまった。

 サークルの人たちからは、この恋を応援されている。今時珍しい程に初心だとからかわれていて、笑いの種にされることも少なくない。それもまた楽しいと思える。


「……ぐす」

「××さん?」

「あ、ごめんなさい。この映画、すっごくいい話で……」

「……そうだね」


 僕は彼女の手を握った。彼女は強く握り返した。

 この小さな手を、僕はいつまでも握っていたい気分だった。……きっと彼女もそう思っていただろう。


 *


 彼女が死んだ。

 通り魔に襲われて、全身を刃物で切り裂かれたのだ。


 デートもそろそろ終わる頃、陽の沈んだ公園のベンチで僕と彼女は二人きりだった。今日のデートについて談笑を交わし、面白かったことおかしかったこと、楽しかったこと、色んなことを振り返って笑いあった。

 突然、彼女がガクリと倒れた。ベンチの後ろに誰かがいた。小汚い浮浪者、右手にナイフを持っていた。

 奇声を発する。どんな台詞だったかは曖昧だけど、要約するに「カップルは死ね」というようなことを口走っていたような気がする。訳がわからない、それ以上に怖い。


 浮浪者は僕を何度も蹴る。運動神経のよくない僕は抵抗ができず、食らいつこうと伸ばした手はナイフの切っ先で剥がされる。左手に穴が空いた。一生残る傷がついた。

 動けなくなった僕の目の前で、浮浪者は奇妙に笑い、彼女の服を引きちぎりながら切りつけていく。あらわになるのは白い肌、乳房、白いパンツを穿いた尻、それから剥き出しとなった筋肉と溢れ出る血液。骨。上腕の骨が、確かに見えた。白。


 血の池が出来ていた。

 そこにあるのは死体だった。

 ピクピクと動くのは筋肉の弛緩だからだ。

 生きていない。

 生きていないのだった。


 僕は吐いた。


 浮浪者は逃げ出して、再び「カップルは死ね」と吐き捨て、公園から消え去った。後に聞いた話によると、事が起こった五分後に警察に捉えられたらしい。が、そんなこと僕にはどうでもよかった。


 なんだこれ?

 なんでこんな理不尽なことが起こる。初めてできた彼女とデートをしたその日に、彼女が殺される。しかも恨みも打算もなく、ただの不幸でだ。突如現れた悪意に奪われた。

 僕は吐いた。

 事情聴取のために僕も警察署に連れられて、そこで、目の前で起こった惨劇についてを洗いざらい喋らされた。僕は吐いた、一片のカスさえ残さず。感情を殺してありのままを全て話した。そうしないと返して貰えなかった。警察は「ご協力ありがとうございます」と言った。


 気持ち悪い。


 *


 その日の晩、僕はやけ酒を飲んだ。

 未成年だというのにお構いなしに酒を勧めてくれる先輩がいる。その人が僕の家に遊びに来た際、置いていった代物だ。日本酒。適量がわからなかったので一本全て飲んだ。


 ぐるぐると目が回る。頭の中も堂々巡りする。

 ベッドに倒れ込んで、僕は考えた。


 人とはなんと儚い生き物なのだろう。幸せとはなんと脆いものなのだろう。

 光があった。僕はそれを追いかけた。手にした。それは一日で消し飛んだ。下らないだろう? こんなものの為に僕は生きてきたのだと思うと、とてもやるせない。


 孤独を感じた。

 人間の幸せとは、詰まるところ愛だと思う。愛とは、理解するということだ。ダメなところをダメなまま受け入れる、それが愛。

 ではあの浮浪者を愛することができるだろうか。幸せを奪っていったあの男を愛することができるならば、僕は、全ての人間を愛することができるだろう。愛することが尊い行為であるなら、僕は浮浪者をも愛さなければならない。

 人は幸せにならなければならないのだから。愛こそ全てなのだから。


 死ね。

 愛なんて下らない。浮浪者に愛す価値なんてない。いや浮浪者だけじゃなく、あの警察官も愛するに値しない。彼女が殺されたそのすぐ後に事情聴取してきたんだ、僕の心を何だと思っているんだ。警察官も愛さない。

 そもそも浮浪者を浮浪者にした周りの人たちも愛さない。一人の人間から家を奪い、尊厳を奪い、良識を奪い、浮浪者に仕立て上げた周りの環境……それも憎むべき。そしてその環境を作り出した環境も憎むべき。つまり世界を憎むべき。

 つまり僕をも憎むべき。つまり彼女をも憎むべき。


 愛憎とは表裏一体だ。愛せば浮浪者を愛すまで、憎むなら彼女を憎むまで。どちらか。


 孤独は嫌か?

 なら僕は、世界に魂を売らなくちゃならない。孤独が嫌なら、我が儘を言うことを禁じられるからだ。僕は全ての人を尊重しなくちゃならない。それは、自分のやりたいことを禁止して、他人の気持ちを持ち上げること。

 笑うのだ。表面的に。にへらにへらと笑って、心の中は繋がらない。手と手を繋いだ腹の中で「死ねばいいのに」と毒を吐く。

 それが出来ないなら僕が死ね。


 生きている上で出来ることはといえば、死ぬことだけだ。

 僕が生まれてきて、何かをやっても、死ねばそれらは全て無駄になる。当たり前のことだ。

 ならば結局何をやったところで無駄に終わる。どれだけ幸せでもどれだけ不幸でも、死ねば平等だ。

 平等だから死ねばいい。

 今すぐに死ぬのも、老人になってから死ぬのも、平等だ。

 平等だから死ななくていい。

 死にたいのなら死ぬな。死にたくないなら死ね。

 平等なんだから。


 わからない。


 *


 僕は自殺した。


 *


「●●さん」

「…………」

「あなたも死んじゃったんですね」

「…………」

「世界って、どうしてこう理不尽なんでしょうか」

「…………」

「私たちが見ている希望は、いつだっていつのまにか消えているんです。本物なんてどこにもなくて、手にできる真理は『これも嘘』だけ」

「…………」

「生きててもいいことなんて何一つありませんよね」

「…………」

「そんなことはない。一瞬でも幸せになれればそれでいい。そんなふうに自分を誤魔化すのも、これで何度目だって話ですし」

「…………」

「泣くことにも意味はありません」

「…………」

「文字を読むことにも意味はありません」

「…………」

「愛にすら意味はありません」

「…………」

「でも不思議なんです。どうしてか、私、あなたといると、落ち着くんです」

「…………」

「意味はなくても、愛していたいんです」

「…………」

「●●さん。私はあなたを愛します。たとえ意味なんかなくても」

「…………」

「――なんていう言葉にもやっぱり意味はないんですよね」

「…………」

「子供騙しですよ、結局は」

「…………」

「死にすら意味はない。虚しさにすら意味はない」

「…………」

「当然ですよね」

「…………」

「だったらもう好きにしてください。私、知りませんから」

「…………」

「寝ます」

「…………うん」

「?」

「おやすみなさい」

「おやすみなさい」

「…………」

「●●さん」

「…………」

「大好きです」

「…………っ」


 *


 現実に戻ることなく、僕は夢の中をさまよい続けた。

 ずっとずっと不幸に酔い続けた。

 不幸に酔ったって、何の意味もないのに。

 僕は吐いた。


 *


 それでも僕は彼女を抱きしめた。

 彼女は僕を抱きしめ返してくれた。


 これでいいと思った。


 意味もなく泣いて、意味もなく笑った。

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