三冊目 少女の名前を決めましょう
「それでだ。これからどうしようか?」
京介は記憶喪失の話を聞いた後に淹れた紅茶を少女と自分の前に置く。
先ほどまでのことでのどがカラカラになっていたのだろう。
彼女はさっそく紅茶に口をつけた。
「……おいしい」
その途端にこわばっていた彼女の表情がほっこりと和らいだ。
やはり、カモミールにして、正解だったようだ。
「どうも……一応、もう一度確認するけれど君は記憶がなくて、自分が誰かもわからないんだよね?」
「はい」
「……どうしたものかな……」
真っ先に思いついたのは、自分が引き取るというものだ。
しかし、年頃の男女が一つ屋根のしたというのは何かの間違いが起こらないとも限らない。
続いて、知り合いに引き取ってもらうという方法だ。
ただ、思いついたところまではよかったが、店の常連さん以外連絡が取れる知り合いがいないという事実にたどり着いてしまう。
この世界に来て五年目だというのにこれはこれでいかがなものだろうか?
こればかりは、本を読んでばかりであまり家から出たがらない自分を恨むしかないだろう。
当然ながら、こちらの世界に親戚などいないから消去法的にどこかの施設にでも引き取ってもらうしかないかもしれない。
「どうしました?」
ずっと、考え込んでいたせいか少女は心配そうな表情で京介の顔を覗き込んでいた。
「いや、大丈夫だ……えっと……」
やはり、彼女にはどこぞの施設で暮らしてもらいほかないだろう。
とりあえず、彼女の意志を聞こうと思ったとき少女が口を開いた。
「……ここに住まわせてもらってもいいですか?」
彼女は恐る恐ると言った雰囲気だ。
記憶喪失で右も左もわからずに頼れるのは目の前にいる京介だけだと言いたげな視線をこちらに投げかけている。
「わかったよ。ただ、本当にそれでいいのか?」
「はい」
彼女はまっすぐとこちらを見据える。
それを見て、その考えを否定する気にはなれなかった。
「わかったよ……まぁここに住むならいくつか決めてほしいことがあるんだけど、中でも一番大事なものを決めようか」
「大事なものですか?」
「そう。大事なもの……ちょっと待ってて」
京介はそう言って立ち上がる。
数分後、戻ってきた彼の手には、本屋で売っている名前辞典があった。
「名前辞典?」
「そう。ちゃんと、名前を決めないと……ずっと、君って言い続けるのもあれでしょ?」
そこまで来て、少女は納得したような表情を浮かべる。
こうやって見ていると、本当にコロコロと表情が変わる子だ。
「さて……どんなのがいいかな……」
これは、あくまで参考書程度に使うつもりだが、この中から彼女が気に入る名前があればそれにしてもいいだろう。
この名前辞典は京介が知る中でも比較的ユニークな方でこの国での一般的な名前はもちろん、異世界人(日本含む)の名前や変わった名前も多々載っている。
それらはジャンルごとに分けられていて、その名前に込められた意味も軽く書かれている。
「へーいっぱいあるんですね」
彼女は興味津々といった様子でページをめくる。
「だろ? 面白いから時々眺めているんだよ。まぁ売り物だからいつかはなくなるかもしれないけれど……」
確か、この本の在庫はこれ一冊だけだったはずだ。
値が張るということもあって正直なところ誰も買わずに書棚にずっと残っている本なのだから、いっそのこと自分の物にしていい気もしているが、誰かが買ってくれるかもしれないという淡い期待がそれを邪魔しているし、そもそも子供がいない京介には必要がないものだ。
「……これなんかどうでしょうか?」
彼女が本を読みだしてから一時間。
彼女が指差していたのは、異世界人のジャンルに載っている“京香”という名前だった。