うさ耳銭湯♨
魔王城15Fには、温泉が併設されているらしい。
「お食事の前にちゃちゃっと入って来て下さい!」
ミミカはそう言って、一同にお風呂セットなるものを渡して来た。
温泉までの道中、樹脂でできた、けれどやはりそこに簡略された兎の絵の描かれた容器を物珍しそうに眺めるアレックスたちとは違い、シェルは勝手知ったる様子で進んでいく。
暫く廊下を歩いていると、突き当りに白抜きの異国の文字ででかでかと何やら書かれた、『暖簾』と言うらしい垂れ幕が現れた。
その文字を見て、リリアーナは首を傾げる。
「何と書かれていますの?」
「『湯』と言う意味らしいわ。ちなみにここのお湯自体は近くの温泉のものなのだけれど、浴場の様式的には『ジパング』で『銭湯』と呼ばれているものに分類されるわ」
「何が違うんだ?」
「認識としては、温泉は街から離れた所にあって早々に入ることはできないけれど、銭湯は町中にあって気軽に利用できるものというところかしら」
暖簾を潜ると、のっとりとした表情の子どもが座っていた。頭の上にはやはりうさ耳がある。
レンとリリアーナは物珍しそうにきょろきょろと『番台』と呼ばれる受付を見渡す。
「おひとり20ネルネル~。5歳以下はむりょ~。男湯は向かって左で~、女湯は右~」
計80ネルネルを払うと、ごゆっくり~と間延びした声が返って来た。
「いちお~入り方は~、脱衣所に貼ってあるから~、ちゃんと読んでね~」
「わかった」
「では、また後で会いましょう」
赤い暖簾を潜るシェルとアウラの後を、リリアーナは慌てて追いかけた。銭湯はおろか、温泉にすら入った経験のないリリアーナは、期待半分不安半分な面持ちだ。
脱衣所には誰もいなかった。魔王の言った通り、うさ耳は脱衣所に入った時点で外れた。シェルはそれを籐で編まれた籠に投げ入れると、躊躇なく身に纏っていた衣装を脱ぎ、丁寧に畳む。
女性らしい曲線を描きながらもすらりとした痩躯に、リリアーナはむぅっと自身の身体を見下ろした。服の上から自分の腹を押さえてみる。
そうこうしている間にもシェルはすっかりと入る準備ができたようだ。浴室へと向かう背中に、リリアーナは慌てて彼女に倣うと、籐でできた籠の中に脱いだ服を入れる。手早く髪を纏め、渡されていた石鹸と桶、そしてタオルを手に浴室への扉を開けた。
「わあ……!」
床一面に広がる薄紅のタイル。ずらりと整然として並ぶ金の蛇口とノズル。壁際には桶と同じく樹脂でできた椅子が積み上げられている。
そしてその向こう。この浴室の半分を占める、広い湯船が広がっていた。
民家が丸々1件建ってしまいそうな広さを持つ女湯を見渡し、リリアーナははしゃぐ。
「『銭湯』とは広いのですね!」
「ここのものは特に広いわね。流石と言うべきかしら」
高い天井を見上げ、シェルは苦笑を漏らす。
浴室の四方の壁には、可愛らしい兎の絵が一面に描かれていた。よく見るとタイルのひとつひとつにもそれぞれ表情の違う兎の模様になっていて、金の蛇口も兎の形だ。
ここまで来ると呆れるよりも達観してしまう。
「凄いですわねぇ……」
「ちなみにお手洗いや寝台も兎柄よ」
「流石にそれは落ち着きませんわ……」
手早く掛け湯を済ませ、彼女たちは早速湯船に浸かった。四肢の末端からじんわりと温まってくる。
アウラ用に桶に湯を汲んでいたシェルは、ふと動きを停めた。横で肩や腕に湯をかけていたリリアーナは、きょとんと首を傾げる。
「どうかなさいまして?」
「…………彼の気配がする」
「彼? 何方のことですの?」
不思議に思ってリリアーナが尋ねるが、シェルは応えない。碧い瞳を剣呑に細め、何処かを睨みつけている。
暫くそうしていたシェルだが、気が済んだのか、何でもないと頭を振った。
* * * * *
「いい湯だなぁ」
壁面に描かれた妙に凛々しい兎の姿さえなければ、本当に最高だと思う。アレックスは魔王討伐に来ていることを暫し忘れることにした。でなくば夢にまで兎が出てきそうで怖い。
ふーっと一息吐き、主に精神的な疲労を癒す。
「本当にいい湯だよねぇ~」
「――――うおっ!?」
突如としてすぐ横から聴こえてきたレンのものではない声に、アレックスは吃驚した。すぐ近くに誰かいるというのに、全く気配を感じなかった。
思わず立ち上がりかけた彼だが、飛沫が散ると相手から窘められて大人しく湯に浸かる。
湯気で相手の顔はよく見えない。だが黒い髪の上に白いタオルが乗っているのがわかる。
「……どちら様?」
「さぁ~? どちら様だろうねぇ~?」
妙に間延びした声に、からかわれているような錯覚を抱いた。だが初対面の人物に限ってそのようなことがあるだろうかと、アレックスは深く考えなかった。
「ここは一般にも開放しているからねぇ~。偶に住民たちが来たりするよ~」
「……そうなんですか?」
「そうなんですよ~」
ぴちょん……っ。髪から滴り落ちた雫から、同心円が広がる。隣の人物が身を深く沈めたのか、波が伝わってきた。
「まあ――――吾輩の許まで精々頑張るがいいぞ」
「っ!?」
低く低く威を孕んで響く声。声は違うが今日1日ですっかりと聞き慣れた口調に、アレックスは咄嗟に身構える。対し、男は喉の奥でくくっと笑い声を漏らすのみだ。
「――――アレックス、どうかしたのか?」
アレックスは弾かれたように振り返った。レンは心底不思議そうに背中を流している。
「レン! 魔王だ!」
「は?」
「ここに魔王がいる!」
「ここって……誰もいないぞ?」
「…………あれ?」
レンの指摘する通り、誰かがいた筈の所には、影も形もなくなっていた。アレックスは辺りを見渡すが、レン以外の人物を認めることはできない。
「誰かが入ってくるような音も聞こえなかったし、気のせいじゃないか?」
「……確かに、いたんだが……」
どうしても釈然としないアレックスは、もしかして沈んでるんじゃないかと浴槽の中を窺ってみる。だが本当に誰もいないようだった。
もやもやした気持ちを抱きつつ、アレックスは番台でフルーツ牛乳の飲み方をリリアーナに指導していたシェルに、このことを言ってみた。
浴衣と言うらしい簡素な異国の衣装を纏ったシェルは、左手を腰に添えたまま言った。
「アレックスの気のせいなどではなく、確かに魔王は銭湯に来ていたわ」
「本当か!」
「だけれど気配はすぐに消えたわ。今頃自分専用の露天風呂でゆっくりしているのではないの?」
「ここには露天風呂もあるのですね!」
「妙に拘りを持っているひとだから。絶景らしいから、討伐が終わった後にでも借りに行きましょう」
「はい!」
「その後でウサブタ料理の宴会でも開きましょう。最高に違いないわ」
「――――ちょっと待て。魔王の話は何処に行ったんだ?」
シェルは無言で牛乳瓶を傾けた。ぐびっと実にいい飲みっぷりを真似して、リリアーナも風呂上りのフルーツ牛乳に挑戦する。アウラも皿に入れて貰ったものを飲んでいた。
アレックスとレンも、1本10ネルネルと言われて差し出された兎印の牛乳を受け取り、とりあえず1本。
『ぷは~っ!』
「きゅは~っ!」
「やはり銭湯の後のフルーツ牛乳は格別ね。この時ばかりは彼を称賛するわ」
「魔王の奴、何処まで兎に拘ってるんだろう……」
「気にしない方がいいわよ。気紛れなひとなのだから」
呆れたように言うシェルも、十分気紛れなのだが。内心で呟いたアレックスは、改めてみた彼女の姿に固まった。
湯上りのためか、いつもよりも艶めいている銀の髪。無造作に纏めて結い上げらていて、普段は見ることのできない細いうなじが露わになっている。白い肌は火照って仄かに染まり、しっとりと珠の汗が浮かんでいた。
日頃の清楚な姿とは異なり、色香の漂うシェルの姿に、アレックスは気まずそうに視線を逸らした。『月の音色』に行くと偶に湯上りの彼女と遭遇することもあるが、見慣れない異国の衣装ためか妙に意識してしまう。
シェルは彼の視線などものともせず、こくこくとフルーツ牛乳を飲み乾しているが……
「…………アレックス様がシェル様に好意を寄せられていることは、誰が見ても明らかだと申しますのに」
「異性として見られているのかすら怪しい時もあるよな」
こそこそと話をするリリアーナとレンを見て、番台の子どものうさ耳がピコピコと揺れる。
「全部~、まお~さまのゆ~とおりだぁ~」
湯上りの乳製品は
牛乳フルーツ牛乳コーヒー牛乳等々各種取り揃えております.
1本に付き10ネルネルです.




