3.元婚約者の呼び出し
アパートに帰った真由は、キャラメルの包装紙を前に、携帯片手に正座していた。
電話をかけるべきか、かけざるべきか、随分悩んでいたのだ。
教師が生徒に、電話するだけだ。
それ以上も以下もない、と真由は自分を戒めて携帯を手に取った。
緊張の面持ちでゆっくりと番号をプッシュしようとすると、突如真由の携帯が音を吐き出した。真由はバイブレーションと同じように震え上がりながら驚嘆した。
ディスプレイには達也の名前が表示されていたのだ。
「…………もしもし?」
恐る恐る、電話を取って話しかける。
無言の受話器越しに、車が行き交う音が聞こえてくる。
ややあって、彼が硬い声で告げた。
話がある、駅前のデイジーカフェで待っている、と。
真由は困惑して、通話の途絶えた携帯のディスプレイを眺めた。
今頃、何の話なのか。
不安になって、真由は鞄を掴み取ると一もニもなく部屋を飛び出した。
デイジーカフェの陰鬱な、良く言えば大人な雰囲気の店内に、とってつけたような安っぽいメロディが流れている。
彼は奥のテーブル席で項垂れていた。テーブルにはコーヒーカップが一つ。
硬質な不安が背筋を刺した。緊張を覚えながら、彼のテーブルに向かう。
彼は足音に気づいて、顔を上げた。
ふわりと香るオードトワレに懐かしさを覚え、目を細める。
久しぶりに見た彼の目の下には、薄らと隈があった。
仕事が忙しいのかもしれない。
不意に心配になって、けれどすぐ、もう自分には彼の心配をする資格がないことに自嘲した。
注文を受けに来たウェイトレスにコーヒーを二つ、注文する。
彼のカップは空になっているのがわかったから。
ウェイトレスが離れていくのを待って、真由は口火を切った。
「話って?」
彼は言うべきか迷っているように、視線を右往左往させて、けれど、意を決したように姿勢を正した。
「真由、最近おかしな男と付き合ってるらしいね」
ドキリとした。
それがカンナのことを言っていることは、すぐにわかった。
「それで?」
彼を前にして、付き合っていたときには言えなかった不満が込み上げてきた。
彼は何かと、こうだ! と決めてかかる人だった。
そのことを、少し、真由は不愉快に思っていた。
ムッとしてしまって、わざと肯定も否定もしなかった。
「悪いことは言わない。そいつとは縁を切れ」
彼の言いように、真由は愕然とした。
何を言っているのか、まるでわからなかった。
「お前は騙されてる」
「勝手なこと言わないで!」
何処にそんな証拠があるのか。
何処にそんなこという権利があるのか。
「どうしようと私の勝手でしょ! あなたにはもう、関係ない!」
彼はムッと眉を寄せて
「俺は真由のことを思って――」
「“――思って言ってやってるのに”? 今だから言うけど、私、あなたのそういうところが嫌い」
真由が立ち上がると、コーヒー二つをステンレストレーに乗せたウェイトレスがうろたえているのが見えた。
いつもならそこで意気消沈するのに、今日は何故かそうはならなかった。
むしろウェイトレスのその態度にもムカムカきてしまい、真由はコーヒーを掴み取ると、それを一息に飲み干した。
飲み干したカップを突き返すと、「あの……お客様……」などと言っておろおろするウェイトレスを放置して、真由はデイジーカフェを出た。
途端に、何故か涙が溢れ出して止まらなくなり、真由は涙を拭いながら家に帰った。
彼は結局追いかけてこなかった。
自分の部屋に入ると、キャラメルの包装紙が目に入った。
頭の隅が麻痺しているみたいにボーっとしているまま、真由は包装紙を手に取ると、携帯を取り出してナンバーをプッシュする。
通話ボタンを押してから、自分が泣いていたことに気がついた。
慌ててティッシュを取ろうと荷物をひっくり返していると、カンナは実にあっさり電話口に出た。
真由は硬直した。
しどろもどろになりながら無難なやり取りをしてすぐ切ろうと考えるのだが、自分で声が震えている事に気づいた。
泣いて電話したことがモロばれだった。
半ばパニック状態で何とか会話を終わらせて一息ついたところで、気づいているだろうに、カンナがそのことに触れ、心配したりからかったりしなかったことを不思議に思った。
これも彼の優しさ? それとも、何か考えてるの?
一瞬、達也のセリフが頭をよぎり、打ち払うようにベッドにダイブした。
自分が自分じゃないようで、落ち着かない。
眠りに落ちていきながら、誰かが真由を呼んでいるような気がした。