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1.第一種遭遇

その日の放課後、私立北条大学付属高校にある音楽室に桐島真由が片付けのため訪れたとき、教室には規則的な音が響いていた。


テンポ60のメトロノームだと、音楽教諭である真由にはすぐわかった。

そのメトロノームの規則的な音色を聞いていると、昨夜別れを告げてきた婚約者――吾妻達也の顔が思い出され、憂鬱な心持にさせられるのだった。


メトロノームの乗せられた机には見慣れない顔の男、一年の白鷺カンナが眠っていた。

さしもの真由といえど、入学式から数ヶ月の間に全ての生徒を覚えれるほどの記憶力はなかった。


真由がその美貌を観察し、記憶の中の達也と比較していると、唐突にカンナが瞼を開いて言った。


「俺、センセのことずっと前から知ってる」


驚愕する真由に追い討ちをかけるようにカンナは不敵に笑って続けるのだった。


「俺とキスして少しでも感じたら付き合って」


それを聞いた真由は一切の躊躇もなくカンナの頬をひっぱたいていた。

それが出会いだった。




職員室でだらけていた同僚である世界史教諭の黒原知香に真由はカンナのことを聞くことにした。驚くことに偶然、カンナは知香の教え子だった。

カンナは成績も優秀で、顔も良く、非の打ち所がないと知香は笑った。問題大有りだと真由には思えてならなかった。


それからカンナを校内で良く見かけるようになった。そんなときには大抵、女子にまとわりつかれて笑っているので、真由はなんとなく面白くないのだった。


そして放課後、カンナは必ず音楽室に顔を現した。


線対称のキーホルダだらけの鞄を枕にして、テンポ60のメトロノームを眺めながら他愛もない会話をした。

学校のこと、家族のこと、夜更かししていること、線対称のものが好きなこと。


翌週月曜の放課後、カンナは言った。


「トム・ティット・トットって知ってる? これから一週間、俺が何処でセンセのこと知ったのか、一日に三回答えさせてあげる。週末までに当てられなかったら、センセとキスさせてよ」

「私のメリットは?」

「俺があることないこと吹聴するのを禁止することができる」

「それって、例えば、どんな?」

「センセの密かな夜の悩み、とか、かな?」


真由は動揺した。まさか、知っているのか?


次の日から、答え合わせが始まった。

けれどいくら考えても出てこない。闇雲に場所を答えるが、不正解が続いた。


とうとう木曜日になり、真由はカンナにヒントが欲しいと頼んだ。

与えられたヒントは、6年前だという。しかし、それでも思い出すことが出来ないのだった。


真由は焦っていた。このままでは生徒と関係を持ってしまう。記憶を探ることが増えた。


そして最終日の金曜日、解答権を使い果たした真由に、カンナはキスをする。

正解は何処なのか聞いた真由にカンナは苦笑して、その場所まで連れて行くと言った。


カンナに連れられて電車に乗った真由は、カンナに腰周りをまさぐられ、それで思い出した。

6年前、少女が痴漢されていたのを助けたことがあった。けれど犯人は逃走し、次の日、今度は真由がその被害にあった。

そのときの少女が実はカンナだったのだ。


驚愕している真由を電車から引っ張り降ろしたカンナは、あのときのお礼とお詫びと称して、真由をデートに誘った。


「この一週間、いっぱい俺のこと考えてくれた? 嬉しいな、こんなにセンセに想ってもらえる人なんて、他にいないよね」


その言葉に、不意に達也の顔が思い出された。

そういえば、記憶を探ることに必死で、別れを悲しむ暇もなかった。

まさか、そんなことを考えて? 偶然でしょ?


「バカにしないで」


けれど、本当に? 真由には元婚約者との間に悩みがあった。

真由は不感症だったのだ。


真由は彼が「愛している」と言う度に心苦しかった。彼の前で『感じている振り』『イってる振り』をする度に、自分が本当に彼を愛しているのか、不安でたまらなかった。

疲労と倦怠感と異物感が残る身体を抱え、彼の愛に応えられているのか、寄り添う資格があるのか不安で、吐き気を催すような絶望に襲われた。

彼の両親に紹介されたときも、自らが上辺を取り繕っているだけの自分に感じられて、本当は土下座をして謝ってしまいたかった。


彼の愛を感じるたび自分が信じられず、真由は次第に疲弊し、衰弱していった。

そして、彼から別れ話を切り出されたとき、思わず安堵してしまったことに動揺した。


彼の別れの言葉の全てが、彼を愛せない自分に対する断罪のように感じられ、取り乱さず別れることはすなわち贖罪だった。

しかし、けれど、夜、自宅のアパートがやけに広く感じられて、泣いた。どうして彼の愛に応えられないのか、自分を罵った。泣き疲れて眠って、それでも朝を迎え、ひっそりとした部屋を見渡して、悲しみは、また、降って沸いた。


憂鬱な気持ちで一日を過ごし、その日の放課後にカンナと出会ったのだった。

それからは、悲しむ余裕さえなかった。

またひとつ、自分のことがわからなくなった。


カンナは別れ際に真由の唇に口付けを落としていった。

真由はカンナが見えなくなってから、袖で唇を何度も拭った。



トムティッドトットの表記を訂正

トム・ティット・トット

www.pleasuremind.jp/COLUMN/COLUM068.html

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