3
「いらっしゃいませ!」
扉の開く音にシズは可愛らしく声をかける。
ここは宿と酒場を兼ね備えた『バイル亭』。フリッツの働いている場所であり、フリッツ自身の家でもあった。
三階建てであり、一階は酒場、二階以上は宿になっているらしい。
あれからシズはバイル亭に来ると、フリッツの両親に二つ返事で働くことが了承された。
フリッツの両親はこの子にしてこの親有り、と判りやすい手本でもあった。わけ有りでも人相が悪くないし、大丈夫との判断のこと。やはりというか、儲けもあると確信したというのが大きいらしいが。
そして現在、夕刻になる。
来る人来る人シズをみるなり驚いていく。
服はゲーム時の装備ではなく、ウェイトレスの格好であった。それ以上に美少女の中でも飛び切り上級なシズは、来る客全員が目を見開く。
そして破顔すると大きく笑う。
新しく来た客に挨拶し、注文を取り、厨房に伝えて料理を運ぶ。
その最中に好意的な声がかかってくる。その一つ一つにできるだけ応えながら、酒場を駆け回る。
「おお、こりゃべっぴんさんや」
「シズちゃんおかわりー」
「譲ちゃん、おかわりするからついでぇや」
酒場は繁盛しているようで、お客さんが途切れることがなかった。
ピークも過ぎ、客足も落ち着いたころ、やっと周りの声に耳を傾ける余裕が出来た。
内容は誰かの噂話や、愚痴が多く入ってくる。
そこに統一性はなく、少し耳を離すとすぐ違う話になっている、なんてことはザラだった。
注文を取りながらテーブルを回っていると、一つのテーブルが今朝の話をしていた。
他の声が大きく、聞こえにくい時もあるが、聞き耳を立てる。
言葉を挟まずに、仕事をしながらだったため全てを聞き取れたわけではないが、情報は少しは入った。
まず広場での出来事は収まったが、大半が牢屋に突っ込まれたそうだ。しかし逃げたものもいるらしい。このとき捕まるさいには、大人しく捕まるものと、激しく暴れるものがいたらしく、こちらは警備兵に怪我をさせたらしい。
かなりの乱闘騒ぎになったらしく、一人暴れるごとに数人掛りでとめたそうだ。
これはステータス補正だろうとシズはあたりをつける。
(だからといってまだそんなの使えるのか解らないが……。逃げたなかにはアイツもいるだろうし、後で詳しく聞くべきだな)
他のテーブルでもいくつか有益そうな情報を聞きながら、シズの仕事は続く。
時折呼ぶ声に返しながら、ひとりひとりと男達が帰っていくのを見送っていく。
夜も深け、人がいなくなったころ、ようやくウェイトレスの格好を緩める。仕事も終わり、縛るものがなくなったため、我知らずに深く息を吐き出す。
まだ皿洗いがあるが、フリッツと両親がやってくれるそうで、シズとしては仕事が終わった形だ。
まかない食を出されて、ひとりテーブルでゆっくりと食べる。食事とは反対に、今日一日あったことと、情報をまとめていく。
最初に浮かぶのはやはり、広場のプレイヤー達だった。しかし、情報と言うほどのこともなく、あれからどうなったのかを予想する。
現代日本人の性として、あまり争いごとは向かない人のほうが多いだろうし、特に怪我がないだろうということしか思いつかなかった。逃げた人はどこにいるのかもわからない。
結局は見ていないためわからないのだ。
(まあ逃げた中にアイツも居るだろうし、アイツに聞けばいいか)
ステータス補正は重要だが、どうすべきかがわからない。やるとすれば地道なデータ取りだろうし、シズには苦手な分野だ。
他にはこの世界で死んだ場合生き返るのか、これは確かめようがない話だった。検証したいから死んでください、なんて言われて誰が死ぬというのか。絶対に生き返る保証などどこにもないのだ。
スキルも使えるかどうかわからないし、情報不足が深刻だった。
眉を寄せて考え込んでいるとき、ふと顔を上げると、フリッツがご飯を持ってテーブルに近づいてきていた。
椅子を引いて、シズの真正面に座る。厨房のほうを見ると両親がまだ洗い物をしているところを見ると、どうやら先に切り上げさせてもらったらしい。
「お疲れ様」
シズも「お疲れ様」と返すと、猛烈な勢いでフリッツは喋りだした。
「いやさあもう、儲かったんだよね。やっぱり私の目に狂いはなかった。特にこのカチューシャがいいと思うの。それにね――」
一言目の労いはなんだったのかと、言いたくなるほど、フリッツからマシンガンのように放たれる言葉は儲かったという話ばかりだった。いつもに比べていくら儲かっただの、やっぱり男なんて単純だの。
半ば呆れたようにシズはフリッツを見やる。男が単純なのは同意するところだが、馬鹿みたいに儲かったと連呼する彼女を見ていると、考えることが馬鹿らしくなる。
適当に相槌をうち、半分耳を素通りさせていた言葉に、シズは口を挟む。
会話を続けていくうちに、お金の単位がおかしいことにシズは気づいた。驚愕、なんてものではない、目が飛び出そうだった。しかし顔には出来るだけ出さないように努める。
ゲームでの通過と違うのだ。ゲーム内通貨はギル。今フリッツが言葉にしている単位はリル。
なんとか平静を保ち、混乱を知られないようにと、フリッツに返事をしていく。
すると違う単位としてエルと言うのが出てきた。
自分で顔が固まったのがシズはわかった。必死に笑顔をキープしようとふんばる。
シズ自身、まさかお金の単位が違うとは思わなかったのだ。
お金と言うのは万能薬と一緒だ。物を買うのにも、食糧を買うのにもお金がいる。袖の下や賄賂だって金次第だ。
地獄の沙汰は金次第、お金はかくも万能なのだ。
カンストしているシズにとってお金は潤沢にあり、装備も整っている。伊達に数年もやっていないのだ。
実際フリッツに誘われなくても、静は生きていけると思っていた。お金があればほぼ何でも出来るのだから。自信があったのだ。生きていけると。その自信の源が消え去った。
お金の単位がわからないというのは、特に変だ。誰だって知っていることなのだから。だからこそシズは知られるわけには行かなかった。怪しい自分がこれ以上怪しくならないように。
しかし衝撃は大きい。必死に仮面を被ろうとしても、メッキが剥がれる様にぼろぼろと崩れてくる。
動揺が目に見えるようになるまで、時間はかからなかった。
必死に隠そうとしても目が泳ぐシズに、フリッツは言葉を止め首をかしげる。
「どうしたの?」
問いに答える術をシズは持たない。
正確には持っている。だが答えられないのだ。
なんでもない、そう答えれればどれだけ楽だろうか。出来ないことはシズ自身わかっている。自分の動揺はよくわかるのだ。現実世界でよく体験した感覚なのだから。
だからこそ、これ以上は隠せないとわかる。
「い、いや、そういや、ここで寝させてもらえないかな~、なんて」
だったら強引に思考を変えればいい。問題を放置するわけにもいかないが、現状でシズが思いつくなかでは、これ以上をだせなかったのだ。
半分以上苦し紛れに搾り出した言葉だったが、お金がない以上寝る場所の確保もままならないため、本音でもあった。
「んー、さすがに私の一存じゃ決められないかな。お母さんに聞いてくるから、少し待っててよ」
フリッツが離れていくのを確認して目を瞑り、シズは特大の溜息を吐くと同時に、頭の中を片付けていく。混乱する頭を無理やり均し、精神を統一させていく。
厨房で母親と話す声が聞こえる。それもだんだんと小さくなり、聴こえるのは自分の鼓動の音と、呼吸音のみになる。そして何も聞こえなくなる。
時計が逆戻りするように、ゆっくりと音が戻る。
始めは耳鳴りが、そして会話が聞こえてくる。
「――たよ。別に構わないが、掃除はするんだよ」
「そのぐらいまけてもいいじゃない。今日稼いだでしょう」
「けじめだよ、けじめ。線引きを忘れるんじゃないよ」
「はいはい、わかりました。じゃあ私も一緒に寝るからね」
コツコツと、床を靴が叩く音が近付いてくる。足音からシズのテーブルで停まったことを知った。
シズは閉じていた瞼を上げる。その瞳には、もう先程の動揺は映っていなかった。
目を開いた先には、ムスッとした顔でフリッツが立っていた。
椅子を引いて思い切り腰を下ろす。それは顔と同じように、不機嫌を表していた。
落ち着くために、話を全て聴いていたわけではないシズは、フリッツから話しかてくるまで待つしかなかった。しかしフリッツはなかなか話しかけず、居心地の悪い時間が過ぎていった。
数分もしたころ、唐突にフリッツは話し出す。
「べつにさ、私はいいと思うんだよね。けじめが必要なことだって理解はしてる。だけどさ、それって寂しいでしょ? 私だってわかってる。私たちはここが家で、帰る場所で、ここに泊まりに来る人たちとは違うんだって」
しかしそれはシズに話しかけてはいなかった。その証拠に顔はシズには向けておらず、目は遠くを見ていた。そしてフリッツの独白は続く。
「泊まりに来る人たちにとって、ここは数あるうちの一つの宿にしかならない。だから親しくなったっていつかは別れる。そのとき寂しかったり、悲しかったりするんだよ。でもさ、それって同じだと思うのよ。これは自論なんだけどね。誰かが死んだら寂しいし、悲しいし、落ち込むからたぶん同じなんだよ。その感情が大きいか小さいかなだけ。だからさ、私はけじめは要らないと思ってるんだ。お母さんたちはそうは思ってないみたいだけど。…………あ、ごめん忘れて。どうしてかしらね。こんなこと、初対面の人に言うことじゃないんだけど」
フリッツは手を振って微苦笑する。そしてシズを改めて見る。
「もしかしたらシズは、何か人とは違うのかもね。じゃあさっきのことはなかったということで。部屋に案内するね」
そう言って何事もなかったように、フリッツは椅子をたった。手で招いてシズの部屋に歩いていく。
それにつられるようにシズも立ち上り、フリッツの後を追っていった。