表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

せつない話 3

作者: 山中幸盛

 幸盛には四人の息子がいる。産まれた直後の顔立ちは笑いたくなるほど皆そっくりで、アルバムの写真を見ても区別がつかないほどなのだが、よく注意して見ると、次男の目だけが他の三人よりややキツイ目をしている。

 性格も少々キツイ気がする。だがそれは、印象に残っている次の二つのエピソードが、幸盛にそう思わせているだけなのかもしれない。

 一つ目は次男が小学二年生の秋のことだ。


 日曜日、妻が夕食の支度を始めた横で、幸盛は寝ころんでテレビを見ていた。そこへ、長男が血相を変えて帰ってきて大声で叫んだ。

「ノリが小公園のジャングルジムから落ちた。血がいっぱい出とる」

 幸盛は跳ね起きた。しかし、もと看護婦の妻はまったく動じずに「見てくるからお父さんは待ってて」と言い残し、ティッシュペーパーを箱ごと持ってさっさと公園に向かった。

 ものの五分もすると、妻は三男と一緒に戻ってきた。

「どうだった?」

「腕が折れて白い骨が見えてるわ。一階の廊下で、ススムと一緒に待たせてる」

「救急車を呼ぼうか?」

「たかが骨折だから、いちど中央病院へ電話してみる」

 その病院は蟹江町にあって車で十分くらいの距離だった。後で判ったのだがその日の当直医がたまたま整形外科医だったため、連れて来いとの快諾が得られた。

 保険証とお金を持って下に降りると、次男は折れた左腕を右手で抱えるようにして階段の一番下に座っていた。頬に涙の跡はあったが泣いてはいなかった。顔をしかめ、必死で痛みをこらえている。幸盛は車を取りに駐車場まで走った。

 日曜日の夕刻の病院は閑散としていた。ただちに診察室に招き入れられ、妻が付き添って一緒に中に入った。

 三十分ほどで治療が終わった。ドアが開いて、ギプスで固定された左腕を白い包帯で首から吊った次男と妻がいっしょに出て来た。妻は幸盛に報告した。

「ノリ君偉いのよ。麻酔もしないで整復したのに、ちょっと声を出しただけで泣かなかったのよ」

 幸盛は心からわが子を称えた。

「そうか、たいしたもんだ」

「それだけじゃないの、先生が、しばらく学校を休まなきゃならんな、と言ったとたん、この子、嬉しそうにニャッと笑ったのよ」


 二つめのエピソードは次男が小学五年生の時。妻がクモ膜下出血で倒れて入院したために、車で十分ほどしか離れていない幸盛の実家に子ども共々転がり込んだ。それからほぼ一年の間、幸盛は仕事を終え食事をとってから一日も欠かさずに病院に通った。その際に「さあ、行くぞ。どうする?」と毎回子供たちにも声をかけた。

 ところが、次男だけが「行ったってどうしょーもないでやめとくわー」と言って、最初から行こうとはしなかった。父にべったりの二歳の四男は皆勤賞、小六の長男と小一の三男は時々一緒に行ったが、次男はついに一度も行こうとはしなかったのだ。

  

 二度目の手術を受ける前、医師から説明を受けた。

「手術が成功しても、日常生活に支障はないと思いますが、元の奥さんには戻らないと覚悟して下さい」

 ところが、動脈瘤にクリップをとめる手術をするはずがその前に別の動脈が切れてしまった。命だけは取り留めたものの、不測の事態に陥り、妻は近所の人達から慕われ頼られる山中さんの奥さんではなくなってしまったのだった。

 しかし、右半身不随の身体になりながら、妻は懸命にリハビリに励んで右足を引きずりながらも杖を使って自力で歩けるまでに回復した。家族も、住んでいた四階からたまたま空室ができた同じ棟の一階に引っ越して退院を待った。

 妻は団地内の公設市場まで歩いて買い物に行き、まな板の裏からクギを打って、それにニンジン、ジャガイモなどを刺して左手だけで皮をむき、左手だけで調理道具を使い、左手だけで洗濯をし洗濯ばさみを口でくわえて洗濯物を干した。

 記憶を部分的に失い、言語に障害も出て単語を並べるだけになった。少し込み入った話題になると頭が割れるように痛むというので会話らしい会話もできなくなった。

 食器の後片付けだけは幸盛が引き受けたが、妻は不自由な身体で八年間もの間生ききって、ほとんどの家事をこなしてくれた。おかげでその間に子供たちは成長し、幸盛も毎週末に心おきなく魚釣りに行くことができた。

 

 この二つめのエピソードは、四人兄弟のうちでただ一人の「理系人間」であるがゆえに、次男は「変わり果てた母」をどうしても受け入れることができなかったのだろう、と幸盛に結論させている。そしてこのことは、次男が一番幸盛に似ているかもしれないと思わせた悲しい現実でもある。



* 文芸同人誌「北斗」第561号(平成21年10月号)に掲載 

*「妻は宇宙人」/ウェブリブログ  http://12393912.at.webry.info/ 



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ