第8話 静かに広がる違和感
翌日。
治療した私兵は、腕を固定したまま屋敷の中庭に立っていた。
「……本当に」
ゆっくりと、指を開閉する。
「動く」
昨日まで、触れるだけで痛みが走っていた腕だ。
今は、違和感こそあれ、確実に力が入る。
「どうだ?」
別の私兵が、恐る恐る声をかける。
「正直に言うと、驚いている。神殿の祈祷より、はっきり効いている」
言い切ったあと、男は一度こちらを見た。
そして、俺が見ていることに気づき、慌てて姿勢を正す。
「……失礼しました」
その仕草だけで、空気が変わった。
⸻
数刻後。
屋敷の裏手で、一人の若い私兵が待っていた。
「お時間、よろしいでしょうか」
明らかに、声色が違う。
「訓練中に膝を痛めまして、神殿では祈祷を受けましたが、良くならず……」
俺は膝を見る。
腫れ。
可動域の制限。
体重をかけた時の痛み。
「……靭帯ですね」
「じんたい、ですか」
「骨と骨を繋いでいる部分です。完全には切れていませんが、傷んでいます」
私兵は、息を呑んだ。
「そこまで、分かるのですか」
「分かります」
淡々と答える。
「腫れ方と、痛みの出方が違う。骨折なら、もっと動きません」
男は、無意識に背筋を伸ばしていた。
「治療は、可能でしょうか」
「はい」
即答だった。
私兵は、深く頭を下げた。
「……お願いします」
⸻
【対象:膝靭帯損傷】
【致死リスク:低】
【対応:炎症抑制・支持組織修復】
意識を集中する。
構造を思い浮かべ、
必要な部分だけに力を通す。
淡い光が、最小限だけ灯った。
数分後。
「……失礼します」
私兵が、慎重に膝に体重をかける。
「……立てます」
声が、震えていた。
「痛みが……かなり、軽いです」
「今日は無理をしないでください。三日は安静に。訓練は禁止です」
「承知しました」
返事が、はっきりしていた。
⸻
その日の夕方。
屋敷の一角で、私兵たちが小声で話している。
「腕の件、もう剣を振れるらしい」
「膝の方も、歩いていたな」
「……神殿より、確実だ」
誰も、軽口を叩かない。
祈りではなく、
手順で治る。
その事実が、静かに共有されていく。
⸻
少し離れた場所で、その様子を見ていたエレインが、俺に言った。
「噂は、止まりません」
「止めるつもりはありません」
俺は答えた。
「必要な人に、必要なことをしているだけです」
エレインは、しばらく黙って俺を見ていた。
評価するような視線ではない。
確かめるような、静かな目だった。
「……だから、あなたは信頼できるのです」
「自分が特別だと、思っていない、力を誇ろうともしない。ただ、治すべきものを、治しているだけ」
そう言って、はっきりと頷く。
「それができる人間は、少ない」
夜風が、屋敷の中庭を抜けていく。
その中で、私兵の一人が小さく呟いた。
「……神殿の祈りより、こちらのほうが確かだ」
誰も、否定しなかった。
その沈黙が、
この場所に生まれた“新しい常識”を示していた。




