第5話 治した罪の、正しい名前
処分は、朝一番で言い渡された。
「見習い。お前は神殿の規律を破った」
神官長の声は、いつもと変わらず静かだった。その静けさが、この場に“結論”しか存在しないことを示している。
「祈祷の権限なき者が治療行為を行い、神の奇跡を私物化した罪」
俺は黙って聞いていた。反論は、最初から求められていない。
「さらに、寄進を受け取らずに治療を行った」
別の神官が続ける。周囲の神官たちは、誰一人として患者の話をしない。話しているのは、規律、信用、秩序――つまり“神殿の都合”だけだ。
「神殿の儀礼を歪め、信仰を乱し、寄進の流れを損なった。これは重大な背信行為だ」
理解した。
罪は、治したことじゃない。
金を取らなかったことだ。
「よって、お前を異端として神殿から追放する」
ざわめきが走る。
「なお――」
神官長は一拍置いて、帳簿を指先で叩いた。
「神殿の備品を無断で使用した疑いがある。私物以外の持ち出しは禁止。なお、状況により窃盗の追及もあり得る」
用意周到だった。治療器具も薬草も、俺が触れた時点で“神殿の物”にされる。追放に加えて、逆らえば犯罪者。声を上げる道を塞ぐための、綺麗な罠だ。
「今日中に出ていけ」
それだけだった。
俺は一礼し、踵を返した。
――これでいい。
人を救ったことを、間違いだったと思うくらいなら、最初から手を伸ばさない。
正しさは、守ってくれない。だが、だからといって正しさが間違いになるわけじゃない。
神殿の中に、俺の居場所はなかった。
⸻
門を出た瞬間、世界がやけに広く感じた。
住む場所はない。金もない。身分を示すものもない。背中に残るのは、神殿の白い壁と、あの静かな声だけだ。
外科医だった頃の記憶が、嫌というほど鮮明に蘇る。組織は異物をこうして排除する。手続きと正義の言葉で包んで、綺麗に捨てる。
それでも、胸の奥に後悔はなかった。
――俺は正しいことをした。
街を当てもなく歩いていると、路地の奥で人だかりができていた。
「子どもが倒れた!」
嫌な予感がした。
人々の輪の中心で、痩せた少女がぐったりと横たわっている。服は擦り切れ、靴もない。頬は青白く、唇が乾いていた。貧しい家の子だ。いや、家があるかどうかすら分からない。
「神殿を呼べ!」
「金がないと無理だ!」
誰も動けない。誰も悪くない。そういう世界だからだ。
俺は輪を割って膝をついた。
【対象:急性衰弱】
【致死リスク:中】
【対応:循環改善】
祈らない。もう、神殿はいない。
淡い光が掌に灯り、少女の胸の上下がゆっくりと整っていく。皮膚の冷たさが和らぎ、呼吸が深くなった。
「……生きてる」
安堵が漏れる。
「お兄ちゃん……ありがとう……」
少女はか細く笑い、指先がわずかに俺の袖を掴んだ。すぐに力が抜ける。助かった。今は、助かった。
「下がってください」
凛とした声がした。
振り向くと、仕立ての良い外套を羽織った女性が立っていた。装飾は控えめだが、布地も縫製も平民のものではない。足元は泥を避けられるように作られた靴。手袋の指先は擦れている。室内の飾りではなく、外で動く者の装いだった。
――貴族。
「今の処置、祈りではありませんね」
断定だった。噂話ではなく、見て判断している。
「……そうです」
彼女は少女を一瞥し、次に俺を見た。視線が鋭い。だが敵意はない。値踏みでもない。もっと実務的な、現場の目だ。
「神殿の人間でもない」
短く息を吐く。
「失礼」
彼女は一歩前に出て、簡潔に名乗った。
「エレイン・フォルツァです」
その姓を聞いた瞬間、俺は理解した。
――昨日の下級貴族。
そして思い出す。
神殿の担架の上で、金も権力もなく、体面だけを抱えていた地方の男。祈りは“完遂”と帳簿に書かれ、命は置き去りにされかけた。
彼女は――その姉だ。
そして、その一族から――王国軍の隊長が出ている。
「行く場所は?」
「ありません」
嘘をつく意味がなかった。
エレインは一瞬だけ考え、結論を出す。
「では、来なさい」
「人を救える者を、路地で野垂れ死にさせる趣味はありません」
差し出された手を見つめながら、俺は思った。
神殿は、祈りと金で世界を測る。
だが――それとは違う秤も、確かに存在している。
俺は今、神殿の外で初めて、
“命の価値を帳簿以外で測る人間”に出会った。
【第5話・後書き】
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
主人公は神殿を追放されましたが、
同時に「神殿の外の世界」と繋がりました。
次話では、
フォルツァ家で主人公がすべてを語り、
この世界の医療・魔法・神殿の歪みが少しずつ見えてきます。




