第11話 動き出す者たち
離宮の部屋は、静かだった。
寝台の上で、王女はまだ眠っている。
呼吸は深く、脈は安定していた。
黒ずんだ斑紋は、完全には消えていない。
だが、確実に薄れている。
「……妹は」
王子が、声を落として言った。
「本当に、助かるのか」
「助かります」
俺は短く答えた。
「ただし、毒の影響は残っています。回復には時間が必要です。」
王子は、小さく息を吐いた。
肩から力が抜けるのが見えた。
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王女の指が、わずかに動いた。
王子が、反射的に寝台へ近づく。
「……大丈夫だ」
囁くような声。
王女は目を開け、ぼんやりと天井を見た。
「……にい、さま……?」
掠れた声だった。
王子の表情が、崩れる。
「起きなくていい」
「今は眠れ」
王女は、視線を動かし、俺の存在に気づいたようだった。
だが、言葉は続かない。
まぶたが落ちる。
その瞬間だけ、
王子の手を握り返した。
「……っ」
王子は、その小さな力を確かめるように握り返し、
静かに頭を下げた。
それは誰に対してでもない。
ただ、生きていることへの安堵だった。
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王子は、俺とエレインを別室へ通した。
机の上には、書類も印章もない。
王族の執務室ではなく、ただの部屋だ。
「改めて礼を言いたいところだが」
王子は、まっすぐこちらを見る。
「礼は後にする。今は、頼みがある」
俺は頷いた。
「言ってください」
「妹の件は、当面“呪いの悪化が止まった”として扱う。神殿にも、王宮にも詳しいことは知らせない」
エレインの眉が、わずかに動く。
「隠す、ということですか」
「隠す」
王子は即答した。
「灰紋草が原因だと知られれば。誰が、どこから入れたかという話になる。」
言外に、王宮の闇が滲む。
「今ここで騒げば、妹が危険になる。だから、静かに動く。」
王子は一拍置いて言った。
「あなたには、しばらく王女の経過を見てほしい。できる限りで構わない。だが、私にはあなたが必要だ」
俺は短く答えた。
「分かりました」
王子は、初めて目を細めた
「ありがとう」
それは王族の言葉ではなかった。
兄の声だった。
⸻
離宮を出る廊下で、エレインが低く言った。
「王族が動くと、国が動きます」
「ええ」
「でも、まだ表には出さない。賢い判断です」
俺は少し考えた。
「なぜ、そこまで隠す必要がある」
「簡単です」
エレインは淡々と答える。
「“祈りが必要ない”と知れた瞬間。神殿の権威が揺らぐから。」
窓の外に、王都の街並みが見える。
「人々は祈りで救われていると思っている」
「正確には、“祈りを買っている”のに」
そう言って、言葉を切った。
「でも、当たり前はそう簡単に変わりません」
「変わるときは、静かに崩れます」
今の状況が、まさにそれだ。
⸻
一方、神殿では。
白い石の回廊を、二人の神官が早足で歩いていた。
「王女殿下の容体が、落ち着いたそうです」
「祈祷は?」
「追加の祈祷は、行われていないとのことです」
上位神官が、足を止める。
「……妙だな」
短い沈黙。
「祈りなしに、回復する病があるというのか」
その言葉は、疑問ではなく、拒絶に近かった。
「確認しろ、王宮の医官の動きも、そして……フォルツァ家の周囲。」
若い神官が、反射的に頷く。
「承知しました」
上位神官は、視線を細めた。
「“偶然”ではない。この違和感は、必ず原因がある」
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離宮から戻る馬車の中で、俺は自分の手を見た。
治した。
ただ、それだけだ。
毒が原因なら、抜く。
壊れたものは、戻す。
いつも通り。
それなのに。
王族が動き、
神殿が違和感を覚え、
世界が少しずつ形を変え始めている。
エレインが静かに言った。
「あなたは、もう街の噂では済みません」
俺は答えなかった。
次に必要になる治療は、
きっともっと重い。
そしてそのとき、
祈りの世界は、さらに揺れる。
――それでも。
命に大小はない。
やることは変わらない。




