第8話 外界任務、折れた空と導く糸
夜が明けるより少し前、
王都の東門で、俺は一枚の通行許可証を受け取った。
封蔵課の紋章が押された羊皮紙。
その下には、黒外套の署名――カイル=ロウ。
「正式任務だ」
彼が短く言う。
「〈東境・イストラ峡谷〉。
封蔵庫とは別の“折り目”が、現地の地脈に干渉している。
竜核体との共鳴を確認したのは、君たちが初めてだ」
「……つまり、俺とシルで行けと?」
「そうだ。君らにしか見えない糸がある。
護衛は別途つけるが、指揮は任せる」
風が、彼の外套を揺らした。
黎明の光がまだ浅い。
「注意しろ、リオ。――“竜”はいつも、心の奥から囁く」
*
出発したのは午前の鐘が鳴る少し前。
街を出ると、舗装された石路が土へと変わり、
やがて丘陵地帯を越えて、乾いた風が頬を打つ。
護衛は三名。
槍使いのドラン、弓手のナディア、
そして記録係を兼ねる若い魔術師の少年――リアム。
「竜核体って、ほんとに喋るんですか?」
リアムが俺の隣を歩きながら尋ねる。
「言葉じゃないけど、心で伝わる。
――な、シル」
「キュル」
シルが陽光を受けて淡く光り、少年の手にぴとりと触れる。
「……あったかい」
リアムの顔に驚きと笑みが同時に浮かんだ。
その様子を、前を歩くドランが振り返りもせずに呟く。
「生きた核を抱えて歩くとは、奇妙な時代だな」
「奇妙でも、必要なんだろう」
俺は答えながら、空を見た。
東の地平が、まるで裂けた布のようにゆらめいている。
*
イストラ峡谷は、王都から東へ二日の距離。
昼を過ぎた頃、空気が変わった。
風がねじれ、耳鳴りのような低音が地面から響く。
導糸が勝手に震え、
シルの中心の光が“警告”のリズムを刻む。
「もう近いな」
ドランが槍を構える。
峡谷の入口は狭く、両壁がほとんど垂直に立ち上がっていた。
岩肌には黒い筋が走り、まるで何かが這い出した痕のようだ。
「……聞こえる?」
ナディアが弓を下げ、耳を澄ます。
――「おいで」
風の奥から、誰かの囁き。
それは確かに“声”の形を持っていた。
リアムが青ざめる。
「まさか……これが、竜の声?」
「違う。まだ“人”だ」
俺は答える。
声の質には、痛みと迷いがあった。
竜の囁きはもっと澄んでいる――何も奪おうとしない。
峡谷を進むと、中央にぽっかりと空間が開けていた。
そこに、封の石柱があった。
古い封蔵庫の支柱と同じ素材。
けれど、その上に何かが――“貼り付いて”いた。
女の形をした影。
白髪で、両目を閉じ、胸のあたりに青い光を抱いている。
「……人?」
リアムが小声で言う。
「いや、“封”だ。人の姿を借りた封印体」
導糸が熱く脈打ち、俺の脳裏に直接響く。
〈助けて〉
シルの光が一瞬強く輝き、
俺の胸の奥に“別の糸”が現れた。
その糸の先は、影の女へと繋がっている。
「リオ、無理に触るな」
ドランが低く警告する。
だが俺は首を振った。
「放っておけない。この“折り目”は、泣いてる」
杖を地面に立て、魔力を流す。
〈導糸:和結び(リンク・ノット)〉
〈抑圧:共鳴低減〉
〈皮膜守り:広域展〉
空気が澄み、風が止む。
女の影の周りに青い膜が広がり、
内部に閉じ込められていた光の粒が、ゆっくりと浮かび上がった。
――“記憶”。
視界の端に映る景色が揺れる。
竜たちがまだ空を支配していた時代、
編術師たちがその力を“糸”に封じた過去。
その最後の封術師が、女の姿のまま自らを封にした。
〈彼女〉は竜を鎮める“鍵”であり、同時に“囚人”だった。
リアムが喉を鳴らす。
「まるで……生きてるみたいだ」
「生きてるよ。ずっと、待ってたんだ」
シルが女の胸元へ滑り、
その中心の光と触れ合う。
瞬間、空が割れた。
岩壁が鳴り、風が逆巻き、
空中に青白い環が現れる。
封印が、開くのではなく“呼応”している。
シルの光がそれに答え、俺の導糸が勝手に伸びた。
遠くで雷鳴が轟く。
ドランの声が飛ぶ。
「リオ! 何か来る!」
――空の裂け目から、
黒い竜の爪が現れた。
「こいつが……“封じられていた側”か!」
ナディアが矢を放つ。
矢は光の膜に弾かれ、火花を散らす。
俺は一歩前へ出た。
「シル、まだ俺たちの糸は切れてないな」
「キュル!」
「なら、編もう。――空すら織り直せ!」
〈導糸:展環〉
〈皮膜守り:竜鱗模倣・第二階層(ドラグ・スケイルβ)〉
〈結束:共鳴制御〉
竜の爪が振り下ろされる。
光と風と影が交錯し、空が鳴る。
その衝撃の中で、俺は確かに感じた。
――“誰か”が、俺の糸を引いている。
女の影の中から、声がした。
〈編術師の末裔よ。糸を手放すな。
封は壊すものではない――交わすもの〉
世界が青く弾けた。
竜の爪が霧散し、空の裂け目が閉じていく。
静寂。
風の代わりに、淡い歌声が峡谷を包んだ。
俺の腕の中に、ひとつの光の欠片が落ちる。
小さな竜の鱗のような形をした結晶。
シルがそれを飲み込み、
その身体に新しい模様が浮かぶ――まるで織布の文様のように。
「リオ……」
リアムの震える声。
「今の、いったい……」
「封印の“調律”。
――過去と今をつなぐ、糸の縫い直しだ」
俺の掌に残る導糸の震えは、いつもより穏やかで、
けれど、どこか遠くの誰かへ続いている気がした。
空の裂け目は閉じた。
だが、その向こうで、まだ誰かが待っている。
竜の声か、人の祈りか――
それを確かめるために、俺たちはまた歩く。
「行こう、シル。
世界の“折り目”は、まだ全部編み終わってない」
「キュル」
陽光が峡谷を満たし、
風が再び、正しい方向へ吹き始めた。
(つづく)




