第7話 封蔵庫の子、竜の囁き
子どもを無事に母へ返した翌日、
王都は驚くほど静かだった。
昨日あれほどざわめいていたギルド前の街路も、
朝露の匂いに洗われたように落ち着いている。
――けれど、俺の胸の奥ではまだ何かが“鳴って”いた。
それは祠で聞いた潮騒の余韻。
封じられた約束がひとつ閉じた代わりに、
別の糸が、世界のどこかで目を覚ましたような感覚。
「キュル……」
シルが卓の上で身を丸め、小さく光を揺らす。
導糸の先から伝わる震えは、穏やかで、けれど微かに熱い。
“呼んでる”。
その言葉が、脳裏に直接響いた気がした。
俺は思わず、窓の外へ視線をやった。
王都の東端――白塔群の向こうに、うっすらと青い霞が漂っている。
まるで遠くの空気が“糸”を引くようにたわんで見える。
そこが、竜の声の届く場所なのだと、直感で分かった。
*
昼下がり、ギルドへ行くと、受付嬢が眉を下げた。
「またお呼び出しです。今度は……王城魔術院ではなく、議会のほう」
「議会?」
「竜核に関する報告をまとめたいそうで……あなたと“その子”の同席を求めてます」
彼女の声には明確な不安が滲んでいた。
「私的に言えば……行かないほうが、平穏です」
「でも、行かなきゃ終わらない」
そう返して、微笑んだ。
受付嬢の目が、ほんの少しだけ和らぐ。
「気をつけてくださいね、リオさん。
――あなたは、もう“ただのぼっち”じゃないんですから」
シルが、彼女の言葉に合わせるように“キュル”と鳴く。
俺は頷き、街の坂を登った。
*
議会庁舎は、王都の中心でもっとも古い建物のひとつだ。
封蔵課とは別系統の政治機関――
だが、竜核が絡むと話は別らしい。
今や魔術院も議会も、同じ糸に絡め取られている。
大理石の階段を上り、扉の前で衛兵に名を告げる。
「リオ=クラフト。封蔵監視下冒険者」
衛兵が無言で頷き、扉を開いた。
中は、思っていたよりも静かだった。
半円形の席に並ぶ五人の議員たち。
その中央に――見覚えのある男がいた。
黒外套の査察官、カイル=ロウ。
彼が、俺の名を呼ぶ。
「リオ=クラフト。座れ。
この場は敵ではない」
座席の隣にシルを置くと、
議員のひとりが目を細めた。
「それが、竜核体“シル”か」
「はい」
「昨日、第九室の封を再編した件、報告を受けている。
――お前は封印を“破らずに閉じた”そうだな?」
「はい。編術の理を使いました」
「ふむ。君はどこでそれを学んだ」
質問は続いた。
師はいたか。
なぜ支援職を選んだか。
どんな魔力循環を行うのか。
まるで俺という存在そのものを“測る”ように。
答えながら、俺は気づく。
彼らの視線は俺ではなく、シルに注がれている。
その中心に宿る光を、誰もが見逃していない。
やがて最年長の議員が口を開いた。
「――竜核は本来、人に馴染まぬ。
それを安定化させる“糸”が存在した記録は、過去にただ一例。
古編術師〈織り王〉レグナ=ファルス。
君の術は、まるで彼の再現のようだ」
ざわめきが走る。
俺は首を振った。
「偶然です。俺は本を読んだだけで、王でも師でもない」
「だとしても、“再現”が起きた。
つまり、編術の理が再び世界に蘇りつつあるということだ」
議員の一人が身を乗り出す。
「提案します。“編術”の再発見者として、彼を保護対象に――」
別の議員が遮った。
「保護? 監視の間違いだろう。
竜核と同調した存在を野放しにすれば、王都の秩序が――」
その言葉を、カイルの声が断ち切った。
「黙れ」
低く、冷たい声。
会場の空気が止まる。
彼は椅子を押しのけて立ち上がり、俺の方へ歩み寄った。
「彼は、“奪わずに結んだ”。
それができる者を、監視対象とは呼ばない。
――俺たちは、そんな力をずっと待っていたんじゃないのか?」
沈黙。
そして、最年長の議員がため息をついた。
「……よかろう。
リオ=クラフト、竜核体シル。
両名を特別監視協定下において自由行動を許可する。
ただし、今後“封蔵庫”関連の異常はすべて、
王城直轄の命令として対処せよ」
俺は深く頭を下げた。
「承知しました」
会議が解散になると、カイルが小声で言った。
「お前に、王都の外を見てほしい。
竜核はここだけじゃない。
――世界の“折り目”が、少しずつ歪んでる」
彼の視線は遠い。
まるでその先に、すでに見えている“何か”があるように。
*
その夜。
ギルドの屋上で風に当たっていると、
シルが掌の上で光を淡く震わせた。
導糸が、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
――「世界は、ほどけている」
「……お前も感じてるのか」
「キュ」
俺は笑った。
遠くの空で、竜の影のような雲が流れる。
あの向こうに、まだ見ぬ“折り目”がある。
その糸を編み直すのが、俺たちの役目だ。
ぼっちの冒険者が望んだ“パーティ”は、
たったひとりの相棒から始まった。
けれど今、世界そのものが――俺たちの仲間になろうとしている。
(つづく)




