第4話 昇格初任務、偏見と合同、そして“進化”の兆し
昇格の書類は、意外なほど薄かった。
ギルドの窓口で受け取った封筒の中身は、革表紙の仮免状と、砂色の任務札一枚だけ。
札の表には、依頼名――
〈封蔵庫調査・護衛〉。
裏には、簡単な指示と“合同任務”の文字。
「合同?」
思わず口に出る。受付嬢が少し目を逸らした。
「Eランク昇格後の初回は、連携試験の延長で“合同”が慣例なんです。
他パーティと動く経験を……その……」
“あなたにこそ必要でしょう?”と言いかけて呑み込んだ気配がした。
俺は頷く。シルがカウンターの陰からぴょこんと顔を出し、
小さな波紋を浮かべる。「キュル」
「相手は?」
「〈風切り鷹〉。Cランクの三人組です。
剣士のグレン、斥候のユノ、回復役のミーナ」
受付嬢は、最後に少し声を落とした。
「……評判は良くも悪くも、まっすぐ、です。気持ちのいい人たちですから」
つまり――口は悪いが筋は通す、というやつだろう。
任務の概要を読み込む。
“封蔵庫”。王都の地下に点在する古い保管施設で、古代の術式で物を“たたんで”保存しているらしい。
近ごろひとつで“異常な霊気漏れ”が確認された。原因調査と、内部の護衛。
危険度の見積もりは“軽中度”――だが、原本の字は、どこか躊躇して滲んでいる。
「……行くか」
カードをしまい、シルと並んでギルドの裏門から出る。
朝の匂いは湿った鉄。王都の地下へ降りる階段の前に、三人が立っていた。
「やぁ。噂の“スライム連れ”だな」
真っ先に声をかけてきたのは、背中に長い剣を負った男。
短く刈った赤茶の髪、陽に焼けた顔――グレン。
隣で革鎧の小柄な少女が手を上げる。
「ユノです。斥候。よろしく」
最後に、柔らかな髪を三つ編みにした女性が会釈した。
「ミーナ。回復と結界が少し」
彼女の目だけが、わずかに俺の足元へ向かって揺れている。
シルが控えめに「キュ」と鳴いた。
「リオ=クラフト。支援職。パーティ〈編み手と雫〉」
名乗ると、グレンが口角を上げた。
「支援職でEランク昇格は、珍しい。昨日の試験、見物だったぞ。
……だが、現場は試験と違う」
最後の一文に棘がある。ユノが肘でつつき、
「そういう言い方しないの。今日は合同」
グレンは肩を竦めただけだった。
地下へ続く階段は、ランタンの光でも底が見えないほど深い。
石の壁に年代ものの苔がしみ、空気は冷たかった。
入口には王城の紋章が押された封蝋――既に官吏が開封していたのか、割れている。
ユノがしゃがみ込み、手袋の指先で封蝋の縁を撫でた。
「開封は一度。閉め直した形跡は――ある。けど雑。官吏じゃない手だね」
ミーナが小さく眉を寄せる。
「つまり、誰かが勝手に出入りしている?」
グレンが手を挙げる。
「結論を急ぐな。内部で確認だ。
俺が先頭、ユノが前方探り、リオは中、ミーナは後衛」
視線だけがちらりとシルを撫でた。
「……その子はリオの足元から動かすな。勝手は困る」
シルがむうっと膨らむ。
導糸に、ふくらみとしぼみの“抗議”が伝わる。
俺は糸を軽く撫で、「今は合わせよう」と合図した。
封蔵庫は、思っていたより“静か”だった。
棚と棚の間に、空気が畳まれている。
目で見えるわけじゃないが、導糸で触れると、薄い布を指で弾いたような“張り”が返ってくる。
古代術式の“折り目”だ。
ミーナが囁く。
「祈りの匂いがしますね」
ユノが棚の端に指をかけ、身を仄かに乗り出す。
「足跡。二つ。靴底は細かい。……一人は“軽い”」
グレンが顎を引く。
「軽い? 子どもか女か、あるいは――」
彼の言葉が終わる前に、空気の折り目が“軋んだ”。
――キィン。
耳鳴り。氷の針が鼓膜を刺す。
ミーナが反射的に結界詞を紡ぎ、薄い光膜が俺たちを包む。
次の瞬間、棚の合間から影が飛び出した。
布を裂くように、空間の折り目がめくれ、
黒い鴉の群れ――いや、鴉の形をした霊気の塊が、幾条も。
「散るな!」
グレンの号令と同時、俺は導糸を広げる。
〈視界収束〉
〈軽脚〉
〈皮膜守り(ガードヴェイル)〉
空気が研がれ、シルの表層に多層膜が形成される。
鴉が突っ込み、膜が火花を散らして弾く。
ミーナの結界が追いつかない箇所――横から回り込んだ一羽がユノへ。
「ユノ、右膝下!」
導糸で位置を送り、〈抑圧〉を一点に落とす。
ユノがぎりぎりで身を捻り、鴉のくちばしが石床に空振りして砕けた。
グレンの剣が風を裂き、一条、二条、三条――霊の鴉を断ち切る。
斬撃は霊体に通りにくいが、彼の剣には微弱な祝詞が通っているのだろう。
刃の軌跡に、祈りの余韻が残った。
「リオ、後ろ!」
ミーナの声。
振り向くより早く、導糸が背面の殺気を拾う。
「シル!」
呼ぶのと同時、透明の塊が俺の背へ張り付いた。
鴉の嘴が膜に沈み、ぬめりの層で絡め捕られて、もがく。
シルが“飲み込まない”。俺の指示を待っている。
「絞って、吐き出せ。霊気だけだ」
合図。
シルが身体を波打たせ、霊気の塊を搾り取って床に吐き捨てる。
抜け殻になった鴉は灰のように崩れ、消えた。
ひとしきり暴れて、群れは霧散した。
息を整え、床に散った黒い粉を指先で弾く。
粉は霊気の凝固――“ここ”で生まれたものだ。
ユノが棚の奥へ身を滑らせ、低く呼ぶ。
「来て。……見つけた」
彼女が指差した先には、折り目の裂けた“穴”があった。
濃い霊気が滲み、内側は薄暗い別室のように見える。
穴の縁には、薬瓶の欠片、布切れ、そして――小さな皮の靴。
ミーナが膝をつき、靴をそっと持ち上げる。
「子ども……?」
グレンが周囲を素早く見回し、短く息を吐いた。
「入るぞ。ユノが先、俺が続く。リオ、ミーナ、後ろを守れ」
俺は頷き――そして、穴の縁に手を伸ばしかけて止まった。
導糸が、勝手に“震えた”のだ。
シルの中心の光が、いつもより深く脈打っている。
穴の向こうから、波形が来る。
呼応――まるで、同じ“糸”が内側に張り巡らされているかのように。
「待て」
俺は穴の縁に掌を当て、目を閉じて“織り目”の感触を探った。
冷たい、古い、長い。
誰かが最近、無理にこじ開けた上に、
もっと昔から“何か”が内側に封じられている。
“何か”は今、目覚めかけている。
「急ごう。長居は危険だ」
グレンが判断を下し、俺たちは穴を抜けた。
中は、別の封蔵室だった。
ただし、こちらは古代の折り目がほとんど「剝がれて」いる。
剝がれ目から霊気がもれて冬の霧みたいに床を這い、
中央の石台に、奇妙な箱が置かれていた。
蓋は半ば開き、内側から薄青い光が滴っている。
ユノが身を低くして周囲を一周し、囁いた。
「罠は……ない。けど、触りたくない感じ」
ミーナが箱に祈りの手を翳す。
「鎮めの応答が弱い。中のものが“他所”に繋がってる」
他所――異界。
グレンの喉が小さく鳴った。
「王都の封蔵庫が、異界の穴を飼ってるってのか。趣味が悪いな」
そこへ、震えが来た。
箱の奥――薄青の滴りが一瞬濃くなり、
脈のように部屋の空気を押し返してくる。
導糸が勝手に“合奏”を始めた。
俺の魔力と、部屋に残る古代の糸、箱の内側の何か――全部が微細に噛み合う。
シルが俺の足元を離れて石台へと近づき、
自分の中心の光を、箱の“滴り”に合わせる。
「――待て、シル」
声が間に合わない。
シルの表層から、細い糸が一本、すうっと伸びた。
箱の青へ触れ、瞬間、世界が裏返る。
石台の周りに、目に見える“織り”が現れた。
銀と青の糸が空中に広がり、蜘蛛の巣のように部屋を満たす。
俺の導糸が勝手に結び直され、
古代の“編術”式が、反応した。
グレンが剣を構え、ユノが身を低くし、ミーナが祈り詞を走らせる。
俺は――目を離せなかった。
糸の中心に、核がある。
雫みたいな、小さな結晶が、箱の中で脈を打っている。
それが、シルに呼応している。
竜核――幼生体。
「……やっぱり、お前は、ただのスライムじゃない」
喉が乾く。
竜核は、主を求めて糸を投げている。
シルがそれを掴み、俺はシルを導いている。
三重の同調。
あまりに繊細で、あまりに危うい。
箱の蓋が、がたりと震えた。
中から、手が伸びた。
手――の形をした霊気の凝固。
次の瞬間には三つ、五つ、十。
青白い手は床を這い、壁を叩き、俺たちへ伸びる。
ミーナの光膜が打ち鳴らされ、ユノの短剣が霊手を切り裂く。
「リオ!」「わかってる!」
俺は杖を握り直し、シルの背後から糸を編み足す。
〈導糸:三重結び(トリプル・ノット)〉
〈抑圧:位相固定〉
〈皮膜守り:竜鱗模倣〉
シルの表層に、見たことのない鱗状のパターンが浮かぶ。
霊手が触れるたび、鱗が音を立てて弾き返す。
音は祈りに似ているが、もっと古い。
“竜の秩序”が、霊の雑音を押し流す。
グレンが息を呑み、思わず笑った。
「面白ぇ!」
彼が一歩踏み出し、剣に俺の糸を絡める。
〈導糸:援護〉
刃が一瞬、銀に光り、霊手の根を断つ。
ユノが床を滑るように動き、残りを切り払い、ミーナが鎮魂の詞を重ねる。
俺たち四人――いや、五人(一匹を含む)が、同じ“編み目”に並んだ。
箱の中心の竜核が、ひときわ強く脈打った。
選ぶ、という圧が来る。
この場の糸――誰かに結び直されることを望んでいる。
主。
俺の背中に汗が伝う。
ここで結べば、シルは進化する。
だが、それはもう後戻りのきかない誓約だ。
竜は、持ち主を選ぶ。
持ち主は、生涯の糸を捧げる。
導糸の向こうで、シルが俺を見た。
言葉じゃない。“意思”が震える。
一拍、二拍――三拍。
“いっしょに”。
俺は息を吸い、糸を――結んだ。
〈誓結〉
音が消え、色が満ちた。
聴覚の代わりに、糸の震えが世界を満たす。
竜核の青がシルの中心へ流れ込む。
シルの表層に“鱗”が定着し、体積がわずかに増す。
透明ではなく、微かな銀青を帯びた。
霊手は、一斉に退いた。
竜の秩序が、部屋の位相を整えたのだ。
時間が戻ってきた。
ミーナが肩で息をし、ユノが額の汗を拭う。
グレンは剣を納め、にやりと笑った。
「……今のを“支援”って呼ぶのか?」
「支援だ」
胸の奥が、熱かった。
シルが俺の足元へ戻り、そこから跳んだ。
俺の胸に抱きつく――ように、たぷん、と乗る。
抱きとめると、表層は少しだけ硬く、温かく、
中心の光は、力強い。
ユノが箱の中を覗き、首を傾げた。
「コアは、空っぽ。……じゃなくて、移った」
ミーナが頷く。
「封じられていたものは“主”を得て、こちらに落ち着いた。
封蔵庫の霊気漏れは――収まるはず」
グレンが短く舌打ちをした。
「つまり、王都の地下に“勝手に”竜核を保管して、
制御できなくなったってわけか。まったくお偉方のやることは」
その言い草に、思わず笑いそうになる。
ミーナが咳払いした。
「依頼の範囲は“原因解消と報告”。私怨は後で」
帰路。
封蝋を仮に閉じ、地上へ出る。
陽は傾きかけ、石畳に長い影が伸びる。
“合同”のぎこちなさは、行きよりも薄れていた。
ユノが歩きながらシルを覗き込む。
「色、変わったね」
「進化……みたいなものだ。竜の“核”と糸を結んだ」
グレンが鼻を鳴らす。
「竜だろうが何だろうが、現場で役に立つなら歓迎だ。
――悪かったな、最初の言い方。
俺は“口が先に動く”ってよく言われる」
彼の不器用な謝罪に、ミーナが横目で笑う。
俺は頷いた。
「謝るほどのことじゃない。俺も、現場で証明するしかない立場だ」
ギルドに戻ると、報告書の提出と簡単な聞き取りがあった。
「封蔵庫の霊気漏れは収束。内部で竜核の反応、処置済み」
俺が事実だけを述べると、職員は妙な顔をして紙に書き留めた。
「竜核は本来、王家の許可なしに触れてはならない禁制品ですが……
処置の正当性は、追って上から」
歯切れの悪い返答。
グレンが苛立ったように舌打ちし――言いかけを飲み込んだ。
ミーナが代わりに微笑む。
「正式な書式、こちらでも添えます。合同任務の責任は共有ですから」
手続きが終わると、グレンが手を差し出した。
「次に“現場”があれば、また組むか?」
「状況次第で」
俺が笑うと、彼も短く笑って手を握った。
ユノがシルと指先で“こんにちは”をして、ミーナが小声で、
「進化、おめでとうございます。……“誓結”、無理はしないで」
誓結――ヴォウ・ノット。
俺は小さく頷いた。
無理はしない。だが、糸はもう結んでしまった。
俺とシルは、一対だ。
夜。
家の小さな灯の下で、俺はシルを掌に乗せ、
導糸を一本一本“撚り直す”。
進化で増えた回線は、扱いを誤れば絡まる。
シルが目を細め――いや、目はないが――気持ちよさそうに身を任せる。
「キュル……」
眠たげな振動。
糸の向こうで、竜の夢の片鱗が流れてきた。
広い空。青い光。複層の記憶の断片。
そのどれにも、孤独の影が差している。
俺はシルの表層を指で撫でた。
「俺も、孤独だった」
導糸が、静かに同意を返す。
「でも――もう違う」
二人で眠る夜は、驚くほど早く、更けた。
翌朝。
ギルドの掲示板に、新しい札が貼られた。
〈編み手と雫〉推奨任務:連携支援型依頼
ざわめきとともに、人垣ができる。
「昨日の合同、見たか」「竜の鱗みたいだった」「支援職のくせに、いやだからこそ?」
肯定も、否定も、好奇も――全部、糸の上。
受付窓口の向こうで、例の嬢が目で合図を送ってきた。
封書が一通、俺宛に置かれている。
王家の紋章。赤い封蝋。
差出人は――王城魔術院・封蔵課。
封を切る前から、喉が渇いた。
紙の匂いが鋭い。
ミーナの「無理はしないで」という言葉が、遠くで反響する。
手紙には、短く、こうあった。
> 至急来庁されたし。竜核に関する“聴聞”および“供与の可否”を決する。
> ――王城魔術院・封蔵課
“供与の可否”。
つまり、シルと結んだこの糸を、許すか否か。
シルが、ポストの影から顔を出す。
「キュル?」
導糸が、心拍のように一定に脈を打っている。
俺はそのリズムをひとつ、ふたつ、なぞった。
笑みが、自分でも驚くほど落ち着いていた。
「行こう、シル。
――俺たちが“正しい結び目”だって、証明してやる」
(つづく)




