第11話 ほどく者 ― 王都に潜む断絶 ―
「……また、風が止んだ」
朝の王都。
市場を行き交う人々が足を止め、空を見上げていた。
音のない風――それは、〈風の記録庫〉の異常の再来を意味していた。
けれど今度は違う。
空の青が、薄く裂け始めている。
俺はギルドの屋上から、その裂け目を見ていた。
昨日、糸の海で原初竜に会い、“結び手”の名を授かった。
だが同時に、竜はこうも言った。
――“ほどく者”が現れる、と。
「リオ!」
階段を駆け上がってきたカイルが、息を切らせながら叫ぶ。
「議会の封蔵課が……動いた」
「動いた?」
「王都中の封蔵庫を“封鎖”した。市民避難の名目でな。
けど実際は――“お前の糸を追っている”」
背筋が冷たくなる。
「俺を、狙う?」
「いや――“お前とシルを切り離す”つもりだ」
シルが肩の上で小さく震え、「キュル」と鳴いた。
導糸が、恐怖と拒絶を同時に伝えてくる。
「どこでそんな命令を?」
「封蔵課ではない。議会でもない。
上層――王家直属の**特別封印局**だ」
初めて聞く名だ。
「彼らは封印術の最古派。
“織り”を否定し、“糸”は支配されるべきだと考えている。
……そして、そいつらの頂点にいるのが――」
カイルが言葉を止めた。
彼の視線の先、屋上の階段の影。
「――その男だ」
階段の上に、一人の男が立っていた。
黒ではなく、灰色の外套。
その裾から、銀の糸が垂れ、ゆらゆらと揺れている。
目は深い藍。
だが、瞳孔の奥に“虚無”があった。
「……はじめまして、“結び手”。」
男は微笑む。
「私は“ほどく者”。
名は、ルディアス=フェン。――封印局の長だ」
彼の周囲の空気がひとつ、ふたつと切り裂かれていく。
まるで世界の“線”そのものが、ナイフで削がれているようだった。
「リオ=クラフト。
君の“織り”は美しい。だが、美は往々にして“束縛”だ」
「……束縛?」
「結ぶことで、世界は固定され、形を失う。
わたしは“元に戻す”だけだ――“無”の自由へ」
ルディアスが指を鳴らす。
途端、導糸がひと筋、勝手にほどけた。
痛みが胸を突き抜ける。
シルが苦鳴を上げ、「キュルゥッ!」と叫ぶ。
導糸の先端が、無理やり裂かれていく。
「やめろ!」
俺が叫ぶより早く、ルディアスは静かに告げた。
「お前とその竜核体を結ぶ糸は、神話の欠片。
ゆえに切れば、世界が少し“軽くなる”」
カイルが即座に抜刀した。
「動くな、“封印狂い”!」
ルディアスは視線をカイルに向けもせず、笑った。
「査察官。お前はまだ、糸の半分しか見ていない。
――封蔵課の創始者が誰か、知っているか?」
空気が凍る。
「……まさか」
「そう。“織り王”だよ。
我々“ほどく者”は、彼の残した失敗を正すために生まれた」
俺の中で何かが弾けた。
“織り王”――原初竜の友であり、編術の祖。
その理念を否定する存在が、同じ糸から生まれた?
「つまり、あんたたちは“織りの否定者”じゃない。
――“反対の面”だ」
ルディアスは目を細める。
「正解だ。
だからこそ、お前は危険だ。“対”の片翼は、もういらない」
刹那、銀の糸が彼の指先から放たれた。
空気が悲鳴を上げる。
俺は導糸を展開し、即座に防御結びを走らせる。
〈導糸:環結び(リング・ノット)〉
〈反転:位相保護〉
光が弾け、火花が散る。
カイルが飛び出し、斜めに剣を振るう。
「行け、リオ!」
「待て、あんた一人じゃ――!」
「構うな! あいつは封印師だ、俺の剣じゃないと止まらん!」
ルディアスの唇が歪んだ。
「剣で、糸を断てると思うか」
次の瞬間、カイルの周囲の空気が“消えた”。
音も、風も、重力すら。
カイルの体が宙に浮き――そのまま静かに“消える”。
「……っ!」
「安心しろ。消滅ではない。
――“ほどかれた”だけだ」
胸の中が燃えた。
怒りと恐怖と、焦燥。
導糸が勝手に広がり、シルが強く光を放つ。
〈……リオ、戦って。わたしたちは“結び手”〉
「わかってる」
俺は杖を構え、地に突き立てた。
〈導糸:縫合結び(スティッチ・ノット)〉
〈連環:双心律動〉
銀の糸と俺の糸がぶつかり、世界が歪む。
空の裂け目が広がり、王都全域が震えた。
その中心で、ルディアスの声が響く。
「織りとほどき。
どちらかが滅びねば、この世界は閉じぬ」
「なら、俺は“繋ぐ”ほうを選ぶ!」
杖から放たれた光が、銀の糸を貫く。
ルディアスの外套が裂け、白い糸が宙に散る。
だがその笑みは、崩れなかった。
「それでいい。……次に会うとき、選べ、“結び手”。
糸を守るか、人を守るか――」
風が巻き起こり、彼の姿は煙のように消えた。
静寂。
王都の空がわずかに青を取り戻す。
しかし――カイルはいない。
シルが俺の袖を引いた。
〈リオ……〉
「わかってる。
カイルは“ほどかれた”。
――なら、必ず“編み直す”」
その言葉と同時に、導糸が再び震えた。
遠くの空で、見えない糸が千切れる音。
世界の“折り目”が、静かに悲鳴を上げていた。
(つづく)




