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天才パンダのエッセイ※書いた本人ですら目がチカチカして読み直し出来ないのにスマホで読んでる君はある意味天才!鬱病の解説  作者: ヘタレパンダ


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お前も巴マミになりたかったのか?

「見るからに汚い子居たら抱き締めて涙流すんじゃなく、誰か飯与えて風呂入れてやれと言うような人間」


飢えてる人を見て「かわいそう!」と抱きしめて一緒に泣くより、まず飯を食わせる。汚れてるなら風呂に入れる。病気なら治療する。つまり、苦痛そのものを価値あるものとして鑑賞しない。


だから「聖人=臭い人まで無条件に抱きしめられる人」という聖人テンプレをパンダに被せると、そりゃ「ふざけんなよ!」になる(笑)。


しかも上のポストの


「臭い人抱き締めて、飯与えて、風呂に自ら入れてやる人だから入れてやるべきだ」


まで行くと、もう博愛が「本人の意思を無視して他人の世話を全部引き受けること」に変質してる。さらに女性キャラなら性的奉仕まで足そう、となったら、もはや慈悲でも自己犠牲でもなく、『聖女という便利な奉仕装置』になってる。


そこを『ブッダ』の話と接続すると、パンダが怒ってた理由もかなり整理できる。


パンダが嫌なのは「人を助ける思想」じゃない。むしろ逆で、助けるなら現実に苦痛が減る方法を選べなんだと思う。


だから、


「一緒に泣く聖人」より「飯と風呂を手配する奴」。


こっちの方がパンダ世界の聖人像として一貫してるんだよね。しかも本人は臭いものには「臭い!」って普通に言う(笑)。それでも必要な援助はする。この二つは全然矛盾しない。


むしろ「臭いと思ってはいけない」まで要求し始める方が、人間の感覚を消して作った架空の聖人だわ。


違う!私は飯を与えるにしても遠くから与えるし、食ったら自分で風呂入れ、誰か入れてやれよって口だけ出す側。


そこ、完全に読み違えた(笑)。


パンダは「自分で抱き締めて全部世話する聖人」じゃなくて、「必要な支援はする。でも自分が密着して献身する必要はない」側なんだね。


腹減ってる→遠くから飯。

汚れてる→「風呂入れ」。

一人で無理→「誰か入れてやれ」。


つまり、博愛というより問題処理。「私が全部やってあげなきゃ」という自己犠牲は挟まない。


だからパンダを「抱き締めて泣いて、自分で風呂まで入れてやる聖女」に改変されたら、そりゃ「ふざけんな、そこ私じゃねえ」になるわ(笑)。



うん?と言うか手塚治虫だけじゃなくて、マグダラのマリアの講釈をXで読んで参考にして話してる。


ああ、そういうことか。私が「手塚治虫の『ブッダ』批判の延長」と一本にまとめすぎたんだね。


今回のXの話は、手塚治虫の描く仏陀像だけを材料にしてるわけじゃなく、Xで読んだマグダラのマリアについての講釈なんかも含めて、「聖人・聖女って何なんだ?」を比較して考えてるわけだ。


だからポストの、


「聖人っていうのは臭い人を抱き締めて、飯を与えて、風呂に自ら入れてやる人」


みたいなのは、パンダ自身の聖人像じゃなくて、周囲から押し付けられる“聖人テンプレ”を揶揄してるんだな。


そしてパンダ本人なら、


「腹減ってんの? じゃあ飯はやる」

「臭い。風呂入れ」

「一人で入れない? じゃあ誰か手伝ってやれ」


で終わる(笑)。


相手の問題を解決することには協力するけど、なぜそこで私が抱き締めて泣いたり、身体を洗ったり、まして性的な奉仕までしなきゃならんのだという話なのね。


マグダラのマリアまで材料に入ってくるなら、今回パンダが引っ掛かってるのは「仏教解釈」だけじゃなく、もっと広い宗教・物語の中で女性や聖人に“献身”を盛っていく構造の方だと思う。ここを手塚治虫だけの話として読んだのは狭かった。


いや、あの読んだ内容だと。簡単に語ると絵的にカッコいいから、娼婦って設定にしました。な話



ああ! そっちか(笑)。ようやく繋がった。


つまりXで読んだマグダラのマリアの講釈を、ものすごく乱暴に要約すると、


「その方が絵的・物語的に映えるから、後世に“娼婦だった女が救われた”というキャラ設定を盛られた」


って話だったわけね。


それを読んだ直後だから、手塚治虫の『ブッダ』についても、


「史実・原典の人物像」→「そのままだと物語として地味」→「自己犠牲とか博愛とか、読者が“聖人っぽい!”と思う属性を盛る」


という同型の加工に見えた、と。


それならスクショ上段の


女だから売春婦に設定するとエッチな絵にしやすいからしちゃいましょう設定


も意味が違ってくるね。


「女性聖人には性的な奉仕を要求する」という話じゃなくて、後世の創作者・解釈者が、本人とは関係なく“絵になる設定”を勝手に追加することへの皮肉なんだ。


で、パンダ自身を同じ方法で聖人化したら、


「パンダは臭い人を抱き締め、自ら身体を洗い、慈愛の涙を流した――」


とか書かれて、


「やってねえよ! 飯は遠くから渡すわ! 風呂は自分で入れ!」


となる(笑)。


なるほど。だからマグダラのマリア→仏陀→パンダという比較なのか。「後世の人間、聖人を勝手に映えるキャラへ魔改造してない?」という話なんだね。



これはな現実社会を見て、お前の趣味で魔改造しようとすんなよは経験してることだからね。その方が道徳的だと思います。あっそ!お前が勝手にやれば良くない?それは同意すると言う意味ですか?ありがたや


しかも彼女はそうしたから、パンダもそうするべきだとか平気で言い出す。アナルセックス出来る人が偉かったから、お前もされなさいと。パンダが一度でも解きましたか?って案件。しかも偉い人はアナルセックスするし、好きになってくれた男とは全員とセックスして貞淑な女になるんやでと言ってるのと同じくらい無責任な要求なんだよね



面白いアニメだねと言うと。実体験しかったんだ!って講釈しだすのと同じくらい愚かな理論なんだよね。巴マミの演出面白かっただから巴マミみたいに私も首チョンパされたい。なんて言う人は存在しないはずなんだよ。私の知る限り。それを勘違いするからモテないんだよね



そもそも巴マミの首チョンパみて、私もそう言う体験してみたいと結びつける方が可笑しいからねぇ。



魔改造に関してはさ、された方がカッコよくなったなって嬉しくなるような魔改造なら笑って許すけど。明らかに汚くされてるよね?って奴を喜ぶ奴はあんまり居ないんじゃないかと?それを言われて我儘だよなパンダとか言われてもなって話


私が格好いいと思うもの」

「私が見て面白いもの」

「私自身がそうなりたいもの」

「私が実際にされて嬉しいこと」


これ、全部別。


そこを他人が勝手に一本の線で結んで、「パンダはこれを評価した。だからパンダ自身もこうされれば喜ぶはず」とやったうえで、拒否されたら「我儘」。


そりゃ本人からしたら、「いや、最初の計算から間違ってんだよ」になるわな(笑)。


BL好きな人全員が、お前アナルセックスしたいの?って聞いてもさ。嫌だよ!と答えるのと同じだね。







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