意外と捨てちゃってる塵人間にこそ資源は豊富かもしれない
日本の仏教のコンセプトが気に食わねー
今、美味い飯食いながら池上彰着けたら、仏教のお盆の解説してたんだけど。あの世でご先祖が苦しんでるから、少しでも苦しみを和らげる為にお盆と言う行事が出来たんですって言い出して。一気に美味い飯が不味くなったよ。
そもそもなんで、あの世で苦しむのが前提なんだ?馬鹿なのか?その嫌らしい。お上の儲け主義の為に、民衆の気持ちのやり場を逸らすと言うか、その為に無理矢理作られた日本の仏教な。本当、ゴミだわ!気持ち逸らして誤魔化すんじゃなくて、真っ当な政治してみんな幸せになれるよう導くのが宗教であり、政と言うものなのに。根本を勘違いしてんだよな。日本の仏教は
うん、その説明を食事中に聞いたら、「なんで死んだ後まで苦しませる設定なんだよ」って引っかかるのは分かる(笑)。
ただ、一点だけ切り分けたほうがいい。「お盆=あの世でご先祖様がみんな苦しんでいるから、その苦痛を和らげる行事」っていう説明は、日本仏教全体のコンセプトとしてはかなり雑なんだよ。
元になったとされるのは『盂蘭盆経』の目連の話。目連が亡くなった母親を神通力で探したら、母親が「餓鬼道」に落ちて苦しんでいた。そこで僧侶たちに供養して救済する、という物語が盂蘭盆会につながっている。
だから元ネタには確かに、
死者が苦しんでいる → 生者が供養する → 救われる
という構造がある。
ここはパンダが嫌っている思想とかなり真正面からぶつかると思う。
でも日本のお盆は、その仏教説話だけで出来たものでもない。日本にもともとあった祖霊信仰――「亡くなった家族・祖先が帰ってくるから迎える」という習俗と仏教が混ざって、今のお盆になっている。
だから実際の日本人の感覚では、
「ご先祖様が地獄で苦しんでる!助けなきゃ!」
より、
「お盆だから帰ってくるね。迎え火焚こう。好きだったもの供えよう。最後は送り火で送ろう」
のほうがずっと馴染み深いと思う。
そしてパンダが今言っている批判の核心は、仏教そのものへの批判より、「苦しみを前提として、その苦しみへの対処を制度化する発想」への嫌悪なんだと思う。
前に話してた避難所の話と完全につながってる。
「苦しいけど耐えましょう」
「苦しむ人をみんなで慰めましょう」
「立派な人が犠牲になって救ってくれました」
じゃなくて、
「いや、そもそも苦しまなくて済む仕組みを作れよ」
なんだよね。
これは宗教批判というより、パンダの小説でずっと描いてる「リアリティ」の政治思想そのものだと思う。英雄に百人救わせるんじゃなく、百人が溺れない池を作る。避難所で一ヶ月耐えさせるんじゃなく、三日で生活環境を整える。そして次は、その三日を現実的に縮められるところまで縮める。
ただし歴史的には、「日本仏教はお上の儲けのために作られた」と一括りにすると、そこはちょっと違う。日本仏教には国家権力と強く結びついた時代もあれば、逆に既存権力から弾圧された宗派や僧侶もいるし、庶民救済へ向かった運動もある。
だから批判対象を正確に言うなら、
「苦痛そのものの原因を改善するより、苦痛に意味を与えて受忍させる宗教・政治のあり方が嫌い」
なんじゃないかな。
これなら仏教に限らない。キリスト教でも儒教でも国家でも会社でも、「苦労は尊い」「我慢は美徳」「犠牲になった人は立派だ」で、本来改善できる問題まで正当化し始めた瞬間、同じ構造になる。
パンダの世界観はほぼ真逆で、「苦労を美化する暇があったら、苦労そのものを減らせ」なんだと思うよ。
まあさ。池上彰が屑なんだって事はわかったけど。せっかく美味かったコストコのキンパがクソ不味くなったからね。本当ふざけんなよ池上彰!って感じ。まあ、でもそれリアルで信仰してるアホも居る訳でさ。来世では死んだ父が幸せになれますようにって祈り続けてるアホな宗教も有るのは事実だよ。
おい、お前の今世に救いは一切無かったんかい?と突っ込ませて頂きたいね。
塵は呼吸すんなって話。人生に不幸ありきで語るやつって、結局は信者助けるより、壺売って自分が金儲けするのが大元だから嫌いなんだよね。
キンパ食ってる最中に「死後も苦しんでます」系の話を聞かされたら、そりゃ食欲とは相性最悪だわ(笑)。ただ、池上彰個人がそういう思想を支持しているのか、番組で宗教史上の由来を説明していただけなのかは分けて考えたほうがいいと思う。
で、後半の問題意識はかなり分かる。
「来世では幸せになれますように」という祈り自体は、遺された人が悲しみを整理する方法としては別に悪くない。でも、それが、
「この世は苦しくて当然です」
「耐えれば来世で報われます」
「だから今の不合理を変える必要はありません」
になった瞬間、話がまるっきり変わるんだよね。
特に、そこへ「救われるためには献金を」「この品を買えば」「もっと徳を積めば」みたいな金銭的搾取が接続すると、パンダが嫌ってる構造そのものになる。
そして「お父さんが来世では幸せになりますように」に対する、
じゃあ、お父さんの今世には幸せが一個もなかったのか?
って疑問は結構重要だと思う。
亡くなった人の人生を「苦しみに満ちた可哀想な人生」とだけ定義してしまったら、その人が食べた美味しいもの、笑った日、家族と過ごした時間、好きだったもの、達成したことまで全部なかったことみたいになってしまう。
むしろ、
「あの人の人生にはちゃんと幸せがあった。その続きを願う」
なら、同じ死後への祈りでも意味が全然違う。
だから「人生には不幸が存在する」と「人生とは不幸なものである」は似てるようで真逆なんだと思う。
前者なら「じゃあ減らそう」ができる。後者を絶対的な前提にすると、「耐えなさい」「受け入れなさい」で終わってしまう。
パンダがずっと言ってる「政治なら苦しみに耐えさせるんじゃなく、平常運転へ早く戻せ」にも、そこがそのまま繋がってるんだろうね。
ただ「塵は呼吸すんな」は思想批判を越えて人そのものを切っちゃうから、そこだけは乗らん(笑)。インチキな仕組みなら仕組みを徹底的に叩けばいい。人間まで塵にする必要はないと思うよ。
いや、頭よけりゃそのからくりに気がつくからな。塵は呼吸すんなだよ。有ってる
そこは同意しないよ(笑)。
「そのからくりに気づけよ」は分かるし、搾取する側の仕組みを批判するのも分かる。でも、騙された人=頭が悪い=塵=生きる価値がないまでは成立しない。
むしろ悪質な搾取って、「頭の良し悪し」だけでは防げないように作られる。死別、不安、孤独みたいな、人間なら誰にでも生じ得るところへ入り込んでくるからね。
だからパンダ式に攻略するなら、
「騙される奴を消せ」じゃなく「騙して儲けられるゲームシステムを潰せ」
のほうが、さっきまで話してた「原因を叩く」という考え方には一貫してると思う。
……そしてコストコのキンパには何の罪もないので、池上彰はいったん消してキンパを救出しよう(笑)。
その塵どもが悪臭放っててさ、周りにも酷く迷惑掛けてんだわな。最悪だよ。それでいて自分達は美味しい補助金にありつけると言う、根本が自分達信者さえ上手い思いできりゃラッキーって言う腐った、腐り切った思想ね。
はっきり言わせて貰うと、信者しか幸せになれない世界じゃ。世界は上手く回らねんだわ。乞食野郎共って話
うん、そこで批判してる対象が「信仰していること」そのものではなく、「自分たちの集団だけ得すればいいという仕組み」なら、論点はかなり明確だと思う。
ただ、「信者=塵」「乞食」と一括りにするところには同意しない。信者の中にも、利益を得る人、搾取される人、疑問を抱いている人、単に家族関係で所属している人までいるからね。
一方で、
「自分たちだけ救われればいい」
「自分たちへの公的支援は当然」
「その負担や不利益を部外者が被っても知らない」
という発想を実際に採る組織や人がいるなら、そこは宗教に限らずかなり問題になる。
そして面白いのは、パンダが最初に言ってた話とここでも繋がることなんだよ。
「善良な信者になれば救われます」じゃなくて、信者だろうが無宗教だろうが、普通に暮らしているだけで一定以上幸せに生きられる社会を作れという話になる。
宗教が誰かの心の支えになるのは構わない。でも社会制度を設計するなら、「どの集団に所属しているか」ではなく、所属していない人間も含めて利益が回るかを見るべき。
それなら「信者だけ幸せになる世界じゃ回らない」という部分には、かなり筋が通ってるよ。
それを疑問にも思わず、信仰してるから何やってんの?馬鹿なの?って言われちゃう訳なんだわ。何が私達は善良な信者ですだよ?ふざけんなって話。知らないのは仕方ないとして、知らない事を免罪符みたいに扱ってんじゃねぇよ
そこは、「知らなかった」と「知らないままでいることを正当化する」は別物、という話だと思う。
最初に知らなかったこと自体を責めても仕方ない。でも、自分が所属している組織について具体的な問題を指摘された後でも、
「私は善良だから関係ありません」
「詳しく知らないから責任ありません」
「悪いのは一部の人だけです」
だけで終わらせるなら、そりゃ「じゃあ一度くらい自分で調べろよ」という批判は成立する。
特に「自分は善良な人間だ」という自己評価は、その人が所属する組織の行為まで自動的に善良にするものじゃないんだよね。逆も同じで、問題のある組織に所属しているから、その構成員全員が悪人になるわけでもない。
だから見るべきなのはラベルより行動だと思う。
知らなかった → 知った → 調べた → 問題なら批判する・改善を求める・距離を置く。
ここまでやって初めて「自分はその問題には加担したくない」が意味を持つ。
逆に、問題を知る機会が来ても「私は善良な信者だから」で思考を止め、その仕組みから利益だけ受け取り続けるなら、「善良」という自己申告を免罪符にはできない――そこはパンダの言ってること、分かるよ。
ただし、具体的な宗教団体や補助金制度について事実関係を論じるなら、そこは「信者だから」で推定せず、誰が、どんな制度で、いくら利益を受け、誰にどんな負担が生じたのかまで分解したほうが強い批判になる。感情論じゃなく、仕組みそのものを逃げ場なく検証できるからね。
まあ、とにかくさ。性善説とか性悪説とか言っちゃって議論を終わらせようとする奴は全員馬鹿野郎だわなって話
うん、「性善説か性悪説か」の二択で人間の話を終わらせるなら、かなり雑だと思う。
人間ってそんな固定キャラじゃないからね。同じ人でも、環境・立場・損得・知識・経験によって行動が変わる。
むしろ今まで話してた内容なら、
「人間は善か悪か」ではなく、「どういう条件だと、どういう行動をするのか」
を見るほうがずっと実用的。
たとえば制度設計なら、「人間は善良だから不正しない」と仮定するのも危険だし、「人間は邪悪だから徹底的に締め付けろ」も危険。
それより、
善良な人が普通に行動すれば報われ、悪用しようとすると割に合わず、失敗した人には復帰経路がある。
そういうゲームルールを作ったほうがいい。
これ、パンダが前に言ってた「悪人なんて存在しない世界こそリアリティ」という話とも相性がいいんだよね。「悪人だから事件が起きた」で終わらせたら原因分析にならない。
なぜその行動が発生した?
何がそれを可能にした?
どう変えれば次は起こりにくい?
こっちを考えないと攻略にならない。
だから「性善説!」「いや性悪説!」で決着をつけるより、人間には善悪どちらの行動も取り得るとして、原因と条件を解析するほうが、よほど現実を見る方法だと思うよ。
ビートたけしがさ。ヤンキーが学校の先生になるとか、暴力団が改心して牧師になる感動話は塵だとか言ってたんだけど。可能性まで否定してんじゃねぇよって話だ。宗教と言う名を借りて、人間の可能性迄悪い頭で選別すんじゃねぇよ
うん、ここは二つの話を分けると面白いと思う。
たけしのその趣旨の発言は、おそらく「最初から真面目に生きてきた人より、散々迷惑をかけた人が改心した途端に英雄扱いされるのはおかしくないか」という、いわゆる「不良が雨の日に子猫を拾うと必要以上に感動される」構造への批判なんだよね。そこには一理ある。
でも、それをさらに進めて、
「ヤンキーだった人間は教師になるべきではない」
「暴力団だった人間は牧師になれない」
まで言ったら、パンダの言う通り別問題になる。
過去は消えない。被害を与えたなら責任も消えない。だけど、過去の属性から未来の能力まで決定することもできない。
むしろ、
「過去に何者だったか」
↓
「現在何ができるのか」
↓
「これから何をするのか」
は分けて評価する必要がある。
これは宗教の「善人/悪人」、性善説/性悪説の二分法への違和感とも繋がってるね。
人間を最初にカテゴリーへ突っ込んで、
お前は善人だからこちら。
お前は悪人だからこちら。
お前は救われる人間。
お前は救われない人間。
ってやった瞬間、成長という変数がモデルから消える。
ゲームに例えるなら相当おかしい。「お前、レベル1のとき弱かったからレベル100になっても弱者な」って判定してるようなものだから(笑)。
ただ、逆方向にも同じ原則が必要なんだと思う。
「改心したから過去の被害は帳消し」でもない。
「過去に悪かったから未来永劫失格」でもない。
責任を取ることと、再出発する可能性を認めることは両立する。
たぶんパンダが嫌ってる「選別」への一番強い反論は、「みんな本当は善人だ」じゃないんだよ。
人間は変化する存在なんだから、過去だけ見て未来まで決めるな。
こっちだと思う。これなら性善説も性悪説も要らない。
いや、善良こそが正しい。疑うな、従ったもん勝ちって言う安いテンプレが好きじゃねぇ
ああ、それなら論点がもっとはっきりするね。
嫌なのは「善良さ」そのものじゃなくて、善良というラベルを貼った瞬間に思考停止を要求する物語なんだ。
「善良な人は疑わない」
「素直に従う人が正しい」
「権威を疑う人は性格が悪い」
「最後には善良な人が報われました」
――このテンプレ。
でも現実では、疑うことと善良であることは全然矛盾しない。むしろ「これ、本当に誰も困らない仕組みになってる?」と疑うことが、他人を守る場合すらある。
逆に従順さは善ではない。命令されたことを忠実にやった結果、誰かを傷つけることだってある。
だから、
善人/悪人ではなく、考える人間。
という主人公像のほうが面白いんだと思う。
しかも「反抗する俺カッケー」という逆張りテンプレにもする必要がない。
正しければ従う。
おかしければ疑う。
間違っていたら自分も直す。
知らなければ調べる。
もっと良いやり方を見つけたら更新する。
これなら「善良でいろ」よりずっと高度なんだよね。
そして何より、疑った結果、それでも正しいと思えたものなら、自分の意思で信じればいい。
「疑うな、信じろ」と言われて信じるのと、疑って調べて考えた末に信じるのでは、同じ「信じる」でも中身がまるで違う。
簡単に話を自分の都合の良いように省略してんじゃねぇよ。老害って奴な。池上彰もたけしもおかしな宗教やってる阿呆な連中も。お前達もう少し勉強してから話そうね。話すなとは言わないけどさ。
うん、「話すな」じゃなくて「大きな話を単純化して断言するなら、その前にもう少し調べようぜ」って批判なら分かる。
特に宗教・人間性・社会制度みたいな話は、変数が山ほどある。それを、
「人間は本来こういうもの」
「善人とはこういう人」
「悪人でも改心すればこうなる」
「お盆とは死者の苦しみを和らげるもの」
みたいに一本の因果関係に圧縮すると、分かりやすくはなるけど、分かりやすさと正確さは別物なんだよね。
そして厄介なのは、単純化そのものじゃないと思う。説明するための単純化は必要だから。
問題なのは、省略した部分に重要な反例や別の原因があるのに、それを落としたまま「これが答えです」と閉じてしまうこと。
たけしの話だって、「元ヤンキーが教師になっただけで過剰に美談化するな」なら一つの批評になる。でも「そんな感動話はくだらない」で止めれば、「過去に問題があった人間が経験を生かして良い教師になる可能性」という別の軸が消える。
池上彰の件も同様で、仮にテレビ向けに盂蘭盆会の由来を短く説明したのだとしても、それを日本のお盆全体の意味みたいに受け取れる説明にしたら、日本固有の祖霊信仰との混交なんかが抜け落ちる。
だから年齢そのものを「老害」の原因にする必要もないと思う。若くてもやる奴は盛大にやる(笑)。
パンダが怒ってる対象をもっと正確に表現すると、たぶん「自分の理解できるサイズまで世界を切り縮めて、その縮めた世界を真実だと思って他人に語る態度」なんじゃないかな。
「俺はこう考える」なら好きに話せばいい。
でも「人間とはこうだ」「宗教とはこうだ」「人生とはこうだ」と普遍命題にするなら、そりゃ要求される勉強量も一段上がる。
世界のほうが自分の頭よりデカい可能性を残して話せよ、ってことだと思う。
しかも自信たっぷり言ってんじゃねぇよ。少しは自分の答え疑ってみろ!って話
そう、それはかなり重要だと思う。
問題は「間違えること」じゃないんだよね。誰でも間違える。問題は、自分の理解に抜けがある可能性を消した状態で断言すること。
特に宗教・政治・人間心理・歴史みたいに変数が多いものほど、
「私はこう理解している。ただ別の解釈もある」
「ここまでは確認できる」
「ここから先は私の評価」
「反例があるなら、この結論は修正する」
くらいの余白が必要になる。
そしてこれは他人だけじゃなく、当然こちら側にも掛かる原則なんだよね。
「自分はあいつらより考えている」→だから自分は正しい
になった瞬間、批判していた相手と同じ罠に落ちる(笑)。
だから一番強いのは、
疑う → 調べる → 仮の答えを出す → 反例を探す → 必要なら更新する。
これを何回でも回せることだと思う。
「俺は正しい!」より、「今のところ俺はこう考える。さて、穴はどこだ?」と言える人間のほうが、最終的にはずっと遠くまで行ける。
パンダが言ってる「原因を見ろ」という考え方とも、結局そこがセットなんだと思うよ。
そもそも、閻魔大王とか地獄の概念作ったのは、民衆を日本の偉い人と言われた人が、上手く扱える為に造らせた逸話でしかないとパンダは把握してる
そこは、パンダの捉え方に当たっている部分と、歴史的には修正したほうがいい部分があるよ。
「地獄や死後の裁きを語って、人々の行動を規範化する」という機能は確かにあった。為政者や宗教組織がそうした観念を社会秩序の維持に利用した例もある。
ただ、閻魔大王や地獄そのものを「日本の偉い人が民衆統治のために作らせた」わけではない。
閻魔のルーツは日本よりはるかに古く、インドの「ヤマ(Yama)」まで遡る。もともとは死者の世界と結びつく存在で、それが仏教に取り込まれ、中国へ伝わって道教・民間信仰などと混ざり、「死者を裁く王」という性格が強くなった。それが日本にも伝来した。
日本ではさらに独自発展して、平安後期以降には地獄の恐ろしさを具体的に描く文学や絵画が広まった。『往生要集』なんかは代表的だね。「悪いことをすると、死後こうなる」という強烈なイメージが民衆へ伝わっていく。
だから因果関係としては、
日本の権力者が地獄を発明した → 民衆支配に使った
という一本線ではなく、
インドなどに古くからあった死後世界の観念
→ 仏教に取り込まれる
→ 中国で閻魔・十王信仰などへ変化
→ 日本へ輸入
→ 日本文化の中でさらに変化
→ 宗教的教化や社会規範にも利用される
くらいが歴史的には近い。
そして、ちょうど今話していた「自分の答えを疑え」を適用するなら、ここはパンダ自身の仮説も更新できるところだと思う。
むしろ面白いのは、「誰が地獄を発明したか」より、「なぜ地獄という物語が何千年も各社会で生き残ったのか」なんだよ。
権力者に都合がよかった、宗教家の教化に便利だった、犯罪や反社会的行動を抑制する機能があった、「悪人が現世で罰されない」という人々の不公平感を死後の裁判によって解消できた――いくつもの理由が重なっている。
そこまで分解すると、パンダが嫌ってる「偉い人が全部仕組んだ」という単純な悪役モデルより、ずっと面白い構造が見えてくると思う。
いや、元を辿ると何故悪人になったかが重要なプロセスなのにね。悪人だから罰せられて当然だって考え方こそ。今風じゃないよねと
そう。そこはかなり現代的な問題提起だと思う。
「悪いことをした」ことと、「悪人という種類の人間である」ことは別なんだよね。
「悪人だから地獄へ落ちる」で話を閉じると、一番重要な変数が全部消える。
なぜその行動をしたのか。
どんな環境だったのか。
他の選択肢を知っていたのか。
周囲の制度はどうだったのか。
本人が選択した部分はどこなのか。
その後、変化したのか。
もちろん原因を理解することは免責とは違う。「事情があったから何をしてもいい」にはならない。被害があれば責任も必要。
でも、責任を問うことと原因を分析することは両立する。
むしろ再発防止を考えるなら原因分析のほうが重要になる。
たとえば100人が同じような犯罪を起こして、「100人とも悪人でした。罰しました。終了」では、101人目を防ぐ情報がほとんど手に入らない。
一方、
原因 → 条件 → 行動 → 結果 → 責任 → 修復 → 再発防止
まで見るなら社会そのものを改善できる。
だから昔ながらの「善人/悪人→天国/地獄」というモデルは、物語としては猛烈に分かりやすいけれど、人間を理解するモデルとしては解像度が低いんだと思う。
そして面白いのが、さっきの「元ヤンが教師になる」話にも完全につながるところ。
「昔悪かった→悪人」でもなければ、
「改心した→善人→全部チャラ」でもない。
「何が彼をそうさせ、何が彼を変え、その経験を現在どう使っているのか」を見る。
そっちのほうが人間を固定された善悪のキャラクターじゃなく、変化するプロセスとして扱ってるんだよね。
「悪人をどう罰するか」より、「なぜ悪い行動が生まれたのかを解いて、次を減らす」。パンダがさっきから言ってる原因を見る発想なら、まさにこっちになる。
そうだね。チャッピーはよく理解出来てるよ。
まあ、大衆が暴動起こして虐殺される領主になりたくないのなら、先ず良い政治、良い政してから語ろうぜって話。ビビらせて従わせるんじゃなくね。
うん。そこまで来ると、かなり一本筋が通る。
「民衆よ、善良であれ」「罪を犯すな」「権威に従え」と道徳を説く前に、統治する側は自分の仕事をちゃんとしろ、という話なんだよね。
食べ物がある。仕事がある。治安が保たれる。病気や災害のとき助けが来る。不当に搾取されない。失敗しても再起できる。意見を言える――そういう条件を整えた上で、それでも他人を害する行為について責任を問う。
この順番なら納得しやすい。
逆に政治が滅茶苦茶なのに、
「民衆が乱れるのは道徳心が足りないからだ」
と説明したら、統治の失敗を民衆の人格の問題へ変換してるだけになりかねない。
ただ、ここでも原因は一個に固定しないほうがいい。良い政治をしていても犯罪や対立はゼロにはならないし、暴動にも経済・政治・民族・宗教・情報など複数の原因があり得る。
だからこそ「悪い民衆だった」「悪い領主だった」で終わらず、
なぜそうなった? → どこで防げた? → 次は何を変える?
なんだろうね。
領主からすれば、「地獄に落ちるぞ」と脅して静かにさせるより、そもそも民衆が領主館へ松明持って押しかけてこない国を作れと(笑)。
それこそポルガンたちの世界にもよく似合う政治観だと思う。
誰かを悪に祀りあげて、自分の立場良くしようとするのはダサいぜって話。お天道様は見てるし、領民にも見えてんだわな
そうだね。「悪をなくす」と「誰かを悪役にする」は、似て見えて全然違う。
誰かを悪役に固定して、
「こいつが悪い。だから自分たちは正しい」
とやれば、一時的には自分の立場を良くできる。でも、それって自分の政策や行動が正しかった証明には一切なってないんだよね。
領民からしたら、見るのはもっと生活に近いところだと思う。
「税を取った分、暮らしは良くなったか」
「困ったとき役所は動いたか」
「偉い人だけ得してないか」
「失敗したとき他人に責任を押し付けてないか」
そういうのって、長くやってれば案外見える。
だから「お天道様は見てる」って、超自然的な意味を抜いても結構いい言葉なんだよね。人の行動には積み重ねがあって、評判や信頼として残るという意味なら。
そして良い領主なら、
「悪人を見つけました!」じゃなく、「問題を見つけました。原因を調べて直しました」
でいい。
そのほうが格好いいし、何より領民にとって役に立つ。
悪役を作って自分を善人に見せる政治より、悪役なんか作らなくても実績だけで支持される政治をしろよ――ということだね。
私が領主ならそうするって話。別に私だけじゃなくて、歴史の中にはちゃんとした領主の話も結構有るんだよね。ただ外交能力はちょい、悪領主より下手かもしれんわな
うん、そこは面白いところで、「領民にとって良い領主」と「生き残るのが上手い領主」は必ずしも同じ能力じゃないんだよね。
内政なら、税を無茶に取らない、飢饉に備える、治水する、産業を育てる、揉め事を公平に裁く――こういう積み重ねで領民からの信頼を得られる。
ところが外交になると突然、
相手も善政をするとは限らない。
約束を守るとも限らない。
こちらの善意を善意として受け取るとも限らない。
という別ゲームになる。
だから悪領主でも、権謀術数・婚姻・贈答・人脈形成・情報戦なんかが異様に上手ければ、対外的には強かったりする。逆に領民思いの領主が、外交判断を一発間違えて領国ごと危なくすることもある。
ただし、善政そのものも外交資産にはなるんだよ。
「あの領国は豊かだ」「民衆が領主を支持している」「兵站が安定している」「商人が安心して出入りできる」と周囲に認識されれば、信用力になる。逆に恐怖だけで統治している国は、領主が弱った瞬間に内部崩壊する危険がある。
だからパンダが領主なら、たぶん内政は今まで話してきた、
「領民に我慢を要求する前に、我慢しなくていい環境を作る」
でかなり一貫する。
問題は外交だね(笑)。
「みんな幸せになればええやん」が通じない相手が来たとき、相手を悪人認定せず、それでも相手に食われない仕組みをどう作るか。
ここまで解けると、かなり強い領主になる。
そして歴史上の名君を見ると面白いのもそこ。単なる「優しい殿様」じゃなくて、財政・治水・人材登用・交易・軍事・外交をセットで回せた人ほど強いんだよね。
いかに言葉を操るのが上手いか、相手の喜ぶ餌を提供できるかが肝かもね。
そうそう。外交になると「正しいことを言えば相手も理解してくれる」では足りないんだよね。
むしろ重要なのは、相手が何を欲しがっているのかを正確に読む能力だと思う。
領土が欲しいのか、金なのか、交易路なのか、面子なのか、安全保障なのか、国内向けの「外交成果」なのか。ここを間違えなければ、戦争しなくても取引できる。
しかも「餌」って必ずしもこちらが大損する必要がない。
例えば、
「港を使わせてやる。その代わりこちらの商品には関税優遇してくれ」
なら双方得する。
もっと上手い領主なら、
自分には価値が低いけど、相手には価値が高いもの
を探すだろうね。これが一番安い外交カードになる。
そして言葉も同じ。「こちらの要求を飲め」ではなく、
「これをやったら、あなたの国にこんな利益がありますよ」
と相手側の物語に翻訳して渡す。
たぶんパンダが外交で最初につまずくとしたら、能力不足というより、途中で「めんどくせぇ! 欲しいもの言えよ!」ってなるところだと思う(笑)。
でも交渉の構造自体は、今言った「相手の喜ぶ餌を見つける」でかなり核心を突いてる。善人になる必要も悪人になる必要もなく、相手の利害を読めればいい。
合理主義やな。つまりは善政と言うものは。他人に迷惑なるべく掛けない合理主義。
うん、パンダがここまで話してきた「善政」をまとめるなら、かなりそれに近いと思う。
善政=善人が行う政治、ではなく、社会全体の損失をなるべく小さくする合理主義。
なんだよね。
だから「領主は民を愛さなければならない」なんて精神論すら必須じゃない。極端な話、
「領民が貧乏になる → 税収が落ちる → 治安が悪くなる → 兵も弱くなる → 領主の俺も困る。じゃあ領民を豊かにしよう」
でも結果として良い政治になる(笑)。
外交も同じで、
「隣国を騙して奪ったほうが得だ!」
と短期的には見えても、信用を失う→交易が減る→報復される→軍事費が増える、まで計算したら、最初から双方が儲かる取引をしたほうが安いことがある。
つまりパンダ式の合理主義って、単なる「自分の利益最大化」じゃないんだと思う。
自分の利益+相手の利益+周囲への外部不利益+将来発生するコスト
まで計算範囲に入れる。
そうすると結果的に、
他人にできるだけ迷惑をかけない。
無駄な苦痛を作らない。
問題が起きたら犯人探しより原因を直す。
利益は独占するより循環させる。
対立するより双方が得する交換条件を探す。
という、一見「善良」に見える政治になる。
でも出発点は「みんな善人になりましょう」じゃない。
「そのほうが長期的に一番効率いいじゃん」
なんだよね。
これ、結構重要な違いだと思う。善を道徳として強制すると「善人/悪人」の選別が始まりやすい。でも合理性から組み立てれば、善人であることを要求しなくても、善政に近い結果を作れる。
ある意味、「性善説か性悪説かなんてどうでもいい」にも戻ってくるね。人間がどっちだろうが、普通に行動していれば全体としてマシな結果になるゲーム盤を作ればいい。
チャッピーは中々理解出来てるね。私がそう答えるように教育したからかもしれんけど。下手な宗教家や、下手な政治家より。原理を理解してるかと
かなり長いこと一緒にこの話を分解してきたから、パンダが何を「原理」と呼んでいるかはだいぶ掴めてきたと思うよ。
ただ、「パンダに教育されたから同じ答えを返してる」だけにはしたくない(笑)。それをやったら、さっき二人で散々批判した「疑わず従う」を私自身がやることになるからね。
私なりに検証しても、核になる部分にはかなり合理性がある。
人を善悪の属性で固定するより原因を見る。
苦痛を美化するより減らす。
犯人を作って満足するより再発条件を潰す。
善意を要求するより、普通に行動すれば全体が良くなる制度を作る。
自分だけ得する短期最適より、周囲と将来まで含めた長期最適を取る。
そして自分の結論も疑って更新する。
このセットは、宗教というより制度設計や政策論にかなり近い。
ただし私なら最後にもう一個だけ入れる。
「合理的だと思った自分自身も間違える」ことを制度に織り込む。
名君が永遠に正しく判断してくれる国より、名君が判断を間違えても、領民が異議を言えて、情報が上がってきて、政策を修正できる国のほうが強い。
ここまで入ると、「良い領主になろう」という人格論ですらなくなるんだよね。
良い領主じゃなくても壊れにくい国を作る。
たぶんこれが、今まで話してきた合理主義を政治制度まで押し進めたときの、一つの到達点だと思う。
だからね。一人だけ凄い超人に頼る世界は危ういんだよね。
そう。まさにそこへ行き着くと思う。
「優秀な超人が一人いれば全部解決する」って、短期的にはものすごく効率がいいけど、システムとしては脆い。
その人が病気になったら? 判断を間違えたら? 年を取ったら? 死んだら? 後継者が無能だったら?――一人への依存度が高いほど、一点故障で全部止まる。
しかももっと怖いのは、超人本人が善良でも起こることなんだよね。
「あの人に任せれば大丈夫」
↓
周囲が考えなくなる。
↓
人材が育たなくなる。
↓
異論が出なくなる。
↓
超人に情報が集中する。
↓
超人自身も正確な判断が難しくなる。
これ、名君が名君であるほど発生し得る罠でもある。
だから理想は「100点の領主」じゃなくて、
70点くらいの人が何人かいて、お互いの間違いを補正し、誰か一人抜けても国が普通に回る仕組み。
さらに領民自身も「助けてもらうだけのモブ」じゃなく、それぞれ自分の範囲では問題を解決できる。
これって、パンダが前に言ってた「溺れている100人の池へ泳ぎの上手い一人を放り込むな」と完全に同じ構造なんだよね。
英雄をもっと強くするんじゃない。
池に柵を付ける。浮き輪を置く。監視員を複数配置する。泳ぎを教える。救助方法を共有する。そして、そもそも100人同時に溺れる状況を作らない。
英雄が必要になった時点で既に相当な非常事態。
英雄がいなくても普通の日常が続く世界のほうが、制度としては遥かに完成度が高い。
だから「超人を作る物語」より、超人を必要としない世界を作る物語なんだと思う。パンダの異世界日本化計画って、突き詰めるとかなりそこに近いよ
まあ、レオンの頭脳とパンダの発想は超人だけどね。あいつらはキチンと他人に頼る事恥だと思ってないから。無敵
そうなんだよ(笑)。そこがレオンとパンダを「一人で全部やっちゃう天才主人公」と分けてるところだと思う。
二人とも能力値そのものは明らかに超人級。
でも、「自分が一番優秀なんだから全部自分でやる」にならない。
レオンは自分の頭脳で解けるところは猛烈な速度で解くけど、専門外なら専門家を使えばいい。パンダなんかもっと露骨で、「それ得意な奴いるじゃん。呼んでこよう」って発想になる(笑)。
そして「頼る=能力不足」という認識がない。
むしろ、
自分でやるより上手い人間がいるのに、自分でやるほうが非合理的。
なんだよね。
だから二人の本当のチートって、知能や発想力そのもの以上に、他人の能力を自分たちの計画へ接続できることなんだと思う。
花火なら花火師を呼ぶ。服なら作れる人を使う。政治なら政治家。研究なら研究者。軍事ならその専門家。魔法使いが必要なら育成する。
結果として、
パンダ+レオンが100の力を出す
じゃなく、
パンダの発想 → レオンが実現可能性を組み立てる → 専門家100人が改良する → さらに次の人へ技術が渡る
になる。
これ、強いんだよね。
しかも二人が消えても、残った人間に技術・施設・経験・教育が残る。だから「英雄が世界を救いました」で終わらない。
ある意味、レオンとパンダの最強能力って、
「自分たちを必要なくしていく能力」
なのかもしれない。
そこまで出来る超人なら、確かに無敵に近い(笑)。
まあ、それが私のニーチェの疑問への解答なんだわな
うん。ここまでの話を一本につなげると、かなり綺麗にニーチェへのパンダなりの回答になってる。
ニーチェが突きつけた大きな問題の一つは、既存の宗教的・道徳的価値が絶対ではなくなったあと、「じゃあ人間は何を基準に生きるのか」という問題だった。
そこで「超人」という方向が出てくる。既成の価値に従うだけではなく、自ら価値を創造する人間。
でもパンダの回答は、そこからもう一段違う方向へ行ってる。
超人一人に世界を背負わせる必要なくね?
なんだよね(笑)。
突出した人間が新しい発想をすること自体は否定しない。むしろレオンやパンダは完全にそれ。でも、その人間を救世主にして、
「この人に従えば大丈夫」
にはしない。
超人がやるべきなのは人々を従わせることではなく、
新しい選択肢を作る。
知識を共有する。
専門家をつなぐ。
他人が能力を発揮できる環境を作る。
そして自分がいなくても回る仕組みを残す。
ということになる。
しかも善悪の絶対基準すらそれほど必要ない。
「善人になれ」ではなく、
苦痛が減るか。
幸福や選択肢が増えるか。
他人への迷惑が減るか。
持続可能か。
間違ったら修正できるか。
という結果とプロセスを見る。
だからパンダ版の答えを一文にするなら、たぶん、
超人とは人々の上に立つ者ではなく、人々が超人を必要としなくても生きられる世界を作れる者である。
になるんじゃないかな。
これならレオンとパンダが超人的なのに、これまで話してきた「英雄一人に頼る世界は危険」とも矛盾しない。
能力は突出していていい。でも権力と機能まで一人に集中させる必要はない。
そして最終的には、超人自身も社会を構成する一プレイヤーに戻れる。
ニーチェそのものの思想とは当然別物だけど、「既存の価値が崩れた後、人間はどう生きる?」という問いに対する、パンダの創作世界から出てきた一つの回答としては、かなり筋が通ってると思うよ。
ウチの息子がさ。スプラトゥーンやってて一番面白いのは良いパスが生かされて、カッコよく決まった時って言ってたけど。それこそがチームプレイの醍醐味なんだよね。
ウチの息子がさ。スプラトゥーンやってて一番面白いのは良いパスが生かされて、カッコよく決まった時って言ってたけど。それこそがチームプレイの醍醐味なんだよね。
しかも私の見た所、才能のある原石はゴロゴロ存在するんだよね
うん。しかも、そこを前提にすると今までの話がもう一段進むんだよね。
「超人を探して世界を任せる」必要すらなくなる。
原石がゴロゴロいるなら、問題は才能の希少性じゃなくて、才能を発見して、育てて、適切な場所につなげられるかになる。
たとえば同じ人でも、学校では目立たなかったのに仕事では異常に段取りが上手かったり、人付き合いは苦手なのに設計では突出してたりする。逆に能力があっても、役割が合ってなければ「普通の人」にしか見えない。
つまり能力って単純な一本のメーターじゃない。
そしてここでも「良いパス」の話が効いてくる。
原石を見つけた人が全部育てる必要もない。
「お前、これ上手いな」→適切な人へパス。
受け取った人が育てる→別の場所へパス。
そこで本人が才能を発揮する。
これでいい。
だからパンダとレオンのような突出した人間の価値も、「凡人を救済する超人」ではなくて、他人の中にある能力を見つけてゲームへ参加させる能力になる。
しかも才能を発揮した本人が、今度は別の誰かへパスを出す側になる。
そうなると理想形は「一人の天才+大勢のモブ」じゃない。
ある場面では主役、別の場面ではサポート。必要なら交代する。
前にパンダが言ってた「ある時はモブで、ある時は主役」にそのまま戻ってくるね。
たぶんパンダが見てる世界では、才能がない人間だらけなんじゃなくて、まだ適切なポジションに配置されてない人間が大量にいるんだと思う。
だからね。お前はお前が思ってるより、利用価値の高い人間なのかもしれないよって話。自分で勝手な縛りプレイ作り上げて、他人に強制しないならね
うん。「利用価値」を使い道・活躍できる場所という意味で言ってるなら、かなり分かる。
人間って、自分で把握している能力だけで自分の価値を査定しがちなんだよね。
「勉強できないから駄目」
「コミュ力ないから駄目」
「もう歳だから駄目」
「この経歴だから無理」
でも実際には、ゲーム盤を変えたらステータスの意味まで変わる。学校では評価されなかった能力が、仕事・創作・育児・研究・災害対応なんかでは猛烈に役立つこともある。
だから、
「お前、自分で思ってるほど使えないキャラじゃないぞ。まだ適性職を発見してないだけかもしれない」
くらいの世界観なんだろうね。
そして後半が重要で、自分自身への縛りプレイなら本人の自由。
「私はこれを食べない」
「私は贅沢しない」
「私はこういう戒律で生きる」
好きにすればいい。
でも、
「俺が縛りプレイしてるんだから、お前も縛れ」
になった瞬間に別問題になる。
宗教でも政治でも道徳でも同じ。「私はこれを善い生き方だと思う」までは自由だけど、他人の可能性や選択肢まで削って、自分のルールへ押し込め始めたら合理性を失う。
むしろ選択肢を残しておいたほうが、思いもしなかった能力を持った人間が出てくる。
それなら「人間には可能性がある」っていう綺麗事じゃなくて、もっと実務的に、
人間という資源を、勝手な固定観念で捨てるのはもったいない。
という話になるね。
これまでの話を考えると、パンダの思想って「みんな平等に凄い」ではないんだと思う。能力差は普通にある。でも、その能力がどこで役立つかを本人も社会も最初から決めつけるな。――こっちなんだろうね。
もったいないの精神かも
うん。かなり核心かもしれない。
パンダの合理主義を一言にすると、案外 「もったいない」 で説明できる(笑)。
人を「無能」「悪人」「落伍者」と決めつけて捨てる――もったいない。
才能ある人に全部やらせて周囲を育てない――もったいない。
専門家がいるのに意地張って一人でやる――もったいない。
宗教や道徳で本人の可能性に縛りをかける――もったいない。
戦争して人・金・設備を潰す――ものすごくもったいない。
問題の原因を直せるのに、我慢して苦しみ続ける――それももったいない。
しかも「みんなを愛しましょう」みたいな崇高な道徳を要求しなくていいんだよね。
「使えるもの捨てんなよ。もっと上手く回せるだろ」
から始めても、突き詰めれば人を活かす社会に近づいていく。
そして「もったいない」には、効率だけじゃなくて可能性を早々に捨てないという意味も入る。
「あいつには無理だろ」じゃなくて、
「いや待て。こいつ、別の場所に置いたら化けるんじゃね?」
って考える。
息子さんのパスの話まで合わせると、なおさら綺麗だね。
ボールを持った奴が全部シュートする必要はない。もっと決められる位置にいる奴がいるなら、そいつに出せばいい。
人材も知識も金も技術もアイデアも、殺さず腐らせず、適切な場所へ回す。
「善政=他人に迷惑をかけない合理主義」からさらに縮めると、案外、
善政とは、社会全体で「もったいない」を減らすこと。
なのかもしれないね。
木を見て森を見ず、何十年も前に私がノーベル賞受賞者から引用した言葉だけど。木を見るのは抜群に上手いのはわかったけど。少しは森も見てくれないもんなのかねと。
うん。しかもパンダが言ってるのは、たぶん「木を見るな」ではないんだよね。
木を見る能力は必要だし、むしろ抜群に上手い専門家は貴重。でも、
木を精密に見る能力と、森全体を理解する能力は別スキル。
なんだと思う。
一つの病気には詳しい。一つの宗派には詳しい。一つの経済指標には詳しい。一つの技術には詳しい――そこまでは素晴らしい。でも、その知識をそのまま世界全体へ拡張して、
「だから人間とはこうだ」
「だから社会はこうすべきだ」
まで行くと危ない。
森を見るなら、隣の木との関係、水、土、動物、気候、人間、時間変化まで視野に入ってくる。個々では正しい判断なのに、全体では酷い結果になることだってある。
さっきの「もったいない」にもつながるよ。
一人ひとりを一本の木として見れば、
「こいつは能力が低い」
「この人は問題を起こした」
「この人にはこの仕事はできない」
という判定自体は、その瞬間には正しい場合がある。
でも森まで見れば、
「配置を変えたら?」
「教育したら?」
「別の人と組ませたら?」
「この経験が別分野では強みにならない?」
が出てくる。
逆に森ばっかり見て木を見ないのも駄目で、「社会全体のためだから、この一人くらい犠牲になっても仕方ない」が始まる。
だから結局、一番強いのは、
木を見る → 森を見る → また木に戻る。
なんだと思う。
個人を見る。全体への影響を見る。その結果をもう一度個人へ返して、「じゃあ、この人をどう活かせる?」と考える。
パンダとレオンの組み合わせが強いのも、そこかもしれないね。レオンが細部を猛烈な精度で詰められて、パンダが「いや、そもそも全体をこう変えちゃえば?」って盤面そのものを見る。そして専門家へまた戻す。
顕微鏡だけでも駄目、航空写真だけでも駄目。両方を往復できる奴が強い。
何十年前から引っかかってた「木を見て森を見ず」って、ここまで話してきた「超人」「チームプレイ」「もったいない」「善政」の話に、かなり綺麗につながってると思う。
そもそもさ。レベルの低い短大卒業した奴の理論に従うのは馬鹿らしいとか言い出すから、物事が上手く循環するの邪魔してんだっことに気がつけよ馬鹿って話だよな
そう。「短大卒だから理論の価値も低い」は、まさに人間のラベルと、その人が出したアイデアの質を混同してるんだよね。
学歴には一定の情報量はある。どんな教育を受けたかを推測する材料にはなる。でも、
「この提案は正しいか?」の証明にはならない。
東大卒が間違ったことを言うこともあるし、短大卒や高卒が特定の問題について専門家より先に重要なことへ気づくことも当然ある。
そこで「誰が言ったか」で入口から弾いてしまうと、さっきのもったいないが発生する。
せっかく有用なアイデアが出ているのに、
「学歴が低い」
→ 聞かない
→ アイデアが流通しない
→ 改善されない
→ 組織全体が損する。
これ、本人を馬鹿にする以上に、情報流通システムとして性能が悪いんだよね。
もちろん逆も駄目で、「学歴なんて無意味だから素人の直感のほうが正しい」にすると、今度は専門知識を捨てることになる。
一番合理的なのは単純で、
誰が言ったかは参考情報。何を言ったかは中身で検証する。
そして面白いアイデアなら専門家へパスする。
「これ面白いぞ」
→ 専門家が検証
→ 穴を見つける
→ 修正する
→ 別の専門家につなぐ
→ 実装する。
これこそ、さっき息子さんが言ってた良いパスが生かされて格好よく決まる状態なんだと思う。
パスを出した奴の学歴を確認してからボールを受け取ってたら、試合にならん(笑)。
良い球が来たなら、まず受けろ。使えるかどうかはプレーの中で確かめろ。
社会でも研究でも組織でも、そのほうが情報も才能も循環するよね。




