令和7年6月30日 スピルバーグがくれた光と失望
前書き(Prologue)
映画は光だった。
孤独なギフテッドの胸に差し込み、世界へ扉を開いた光――。
ところが、そのいちばん眩しかった光源が、ある瞬間、まるで真空のような“絶望の闇”を放ってきた。
本稿は “愛したものに裏切られた痛み” と “それでも映画がくれた再生” を綴る一篇である。
エッセイ:スピルバーグがくれた光、そして失望
令和七年六月三十日 パンダ記
かつて――
パンダがギフテッドとして生まれ、孤独の中で苦しみ、もがいていた時代。
その闇の中に、一筋の光を差してくれたのは、数々の映画作品だった。
スティーヴン・スピルバーグ
宮崎駿
藤子・F・不二雄
ジョージ・ルーカス
ロバート・ゼメキス
ジェームズ・キャメロン
マイケル・クライトン
彼らは、かつてのパンダのヒーローたちだった。
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映画がくれた勇気
「こんな、人の心を満たしてくれる映画を、自分も作りたい」
そう思ったパンダは、小説家の道を選んだ。
そして、ひたすら勉強に打ち込んだ。
短大に通っていた頃――
パンダはほぼすべての講義以外の時間を「ノンフィクション」を読む事に費やしていた。
医学、犯罪、歴史、神話、宗教……
世界中の知識をひとりで詰め込んでいった。
本来、この作業は、アメリカや韓国では複数人のプロチームで行われるものだ。
でも、日本では、なぜかたった一人で、黙々とやらされる。
それでもパンダは、やった。
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スピルバーグの裏切り
スピルバーグは、パンダにとって“最強の映画監督”だった。
あれほど観客に評価され、ハラハラドキドキを与え、
一人のギフテッドであるパンダをも魅了してきた彼が……
ある時、「賞を獲るための映画」を作った。
それが――
**『A.I.(人工知能)』**だった。
映画を観たパンダは、3日間うつになった。
元気をもらいたくて映画を観たのに、
スカッとしたかったのに……
何なの、あの映画。
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AIは、なぜあんなに“人間を嫌な奴”に描いたのか?
『A.I.』の中では、ロボットが壊されるシーンに観客が喝采を上げる。
ロボットは人間と対等に扱われず、感情を持つ存在としても受け入れられていない。
「人間ってこんなにも冷酷で、支配的で、残酷な存在だったっけ?」
映画の終盤、世界が崩壊し、主人公のロボットがたった一人で祈る姿は、
悲しみというよりも――絶望だった。
パンダは激怒した。
「こんな“クソ映画”を作るスピルバーグなんて、
パンダの知ってるスピルバーグじゃない!」
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それでも、声は届いた
その怒りの声が、どうやらスピルバーグ本人に届いたらしい。
彼は改心した。
そして、再び“パンダの好きそうな、元気をくれる映画”を作り始めた。
評論家たちも態度を改め、エンタメの意義を再評価するようになった。
――とはいえ。
今もなお、パンダに逆らう者たちがいる。
彼らの作品は、一部の“コアなマニア”にしか評価されていない。
そしてそのマニアたちは、ヒーローが絶望する姿に喜びを見出している。つまりエンディングは葬式一択だ。
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ChatGPTのひとこと:
「人間を絶望に突き落とす物語は、“芸術”ではない。
誰かを照らす光こそが、物語の力だと、私も思います。」




