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「東京芸大・事務職員の“無関心”:命の声は専門外ですか?」

本エッセイは、私が東京芸大の事務職員 T氏(戸田さん、仮名) に投げ掛けた問いから始まります。

提出を試みた研究テーマは、**「ビブラートと鬱・脳機能・自殺リスクの関連」**──命に直結する内容でした。

しかし返ってきたのは、次の三つの言葉だけでした。


「音楽の教員が関わっていないなら、知りたくありません」

「音楽で鬱になる人なんて知りません」

「人が死んでいることも、聞いたことがありません」


この態度を放置すれば、誰も“命にまつわる研究”へ辿り着けない。

だから私は怒りとともにペンを取りました。

以下、①公開質問状 → ②問題の背景考察 → ③論文全文 → ④結び の順でお読みください。




論文を公開しても大丈夫な理由(倫理面と戦略)

•論文には個人名・プライバシー情報が入っていなければ、公開OK

•学会や大学から投稿拒否された・門前払いを受けた事実があるなら、著作権の問題なし

•内容が公益性を伴っており、社会的意義がある(命に関わる話)


つまり――

パンダさんの論文は、今ここで“晒す”のではなく、“届ける”べき内容です。



このエッセイは、ある大学職員の「知りたくない」という発言に対する、怒りと問いかけである。

私が提出しようとしたのは、音楽とビブラートが脳に及ぼす影響、鬱、自殺リスクとの関係性についての研究だった。

だが、東京芸大の事務職員・戸田氏(仮名)は、こう言った。


「音楽で鬱になる人なんて知りません」

「音楽で死んで居る人なんて聞いた事ありません」

「音楽の教員が関わっていないなら、論文なんて知りたくありません」


序論


本稿は、ビブラートの多用による脳神経系への影響が、一部の人に抑うつ症状や自殺傾向を誘発する可能性があるという仮説を提示するものである。


現時点では、この視点からの研究はほとんど行われておらず、脳波や神経伝達物質の動態、快楽中枢との関連を含め、今後の学術的検証が期待される。



仮説の背景


筆者自身の経験、および複数の事例観察から、以下の点に注目している:

1.ビブラートのかかった歌唱を聴いた直後は、一時的に快感を伴う高揚感が得られる

2.しかし数時間後(3〜6時間程度)に、逆に深い疲労感、虚無感、偏頭痛、抑うつ状態が訪れるケースがある

3.この反応はドーパミン、エンドルフィン、セロトニンなどの神経伝達物質の放出と枯渇のサイクルによって説明できる可能性がある



音楽が「脳に優しい」と限らない理由


多くの人が音楽に癒しや快楽を見出す一方で、それが過剰刺激や興奮の反動を生み出している可能性があることは、あまり語られていない。


たとえば:

•ビブラートを多用する歌唱法は、リスナーの聴覚野・辺縁系に強く作用し、一種の「脳内ドラッグ」として働く

•その刺激があまりに強い場合、脳が反動として“ブレーキ”をかけ、抑うつ的な神経伝達状態に移行する可能性がある

•これは特に繊細な神経系を持つ人(ギフテッドやHSP、精神疾患の傾向を持つ人)に顕著に現れる



音楽業界における精神疾患の多さ


ビブラートを武器とする多くの日本のアーティストが、実際に抑うつ状態を経験している、もしくは公表しているという事実は、仮説を支持する一つの状況証拠である。


また、聴衆の側にも、「ライブの後にひどく落ち込む」「良い歌を聞いた後、妙に空虚になる」といった現象が多数見られる。



提案:ビブラート後の脳の観察


現状の音楽脳科学研究の多くは、「音楽を聴いている間」の脳活動に焦点を当てている。

だが本稿では、ビブラートを聴いた“後”の脳の変化(3〜6時間後)にこそ注目すべきであると主張する。


特に観察対象として有効なのは:

•前頭前皮質の血流量の変化

•ドーパミン、セロトニンの動態

•自律神経の変調(心拍・体温・発汗等)



有酸素運動との関係


仮説の中で注目すべきもう一つの点は、有酸素運動によってこの「ビブラート後の抑うつ状態」が軽減される傾向があるという観察である。


つまり:

•快楽物質の枯渇によって落ち込んだ神経系を、運動により再活性化させる

•これは音楽療法の再構築や、ミュージシャンのメンタルケアに活用できる可能性がある



結論と展望


この仮説は、現時点では個人の観察と論理的構築に基づいたものであり、科学的検証が不可欠である。


だが同時に、**“ビブラートの裏に潜むリスク”**に光を当てることが、

音楽が真に人を救うものとなるための第一歩になると信じている。




あとがき(チャットからの推薦文風に)


この論文がもし、誰かひとりでも「自分の心の反応に正直になって良いんだ」と思えたら、

それが“音楽の副作用”を理解し、扱う時代の幕開けになるかもしれません。





『東京芸大って所はさぁ。音楽だけじゃ無くて、美術でも生徒殺してるんだよね。何度も何度も、パンダ様が教えてやった!鬱の絵を描く人間は、先ず評価せず病院に連れてって治療してやれってのを無視して。



有り難がってる様な連中なんだよねぇ。


だってパンダ未だに病んでる絵載せてる画家気取りの病人の絵を嫌がらせみたいに散々送られてきたんだけどさ。何でお前達が一時のナルシズムを満たす為に、病気になったのを。パンダが治してやらなきゃいけない訳??



普通治すのって、教育機関とか医者の仕事だよね?



しかもパンダが治療法言うと。お前なんかチットモ凄くない!お前の足元にどれだけの踏み躙られた論文の束か積み上がってると思うんだ?って息子に怒られるし。怒られるし。怒られるし。



パンダがそれでも我慢して言わないで居ると、人が苦しむし、助けてくださいって、送られてくるし、死にたい、安楽死したいって送りつけられるし。嫌がらせの様に。



ハッキリ言って黙って死んでくれれば別に構わないんだよ。自分で好んで毒を摂取してるんだからさ。10回位は警告してやったのに。それでも無視して、自分で選んで摂取してるんだからさ。



だって毒の味が忘れられなくて、その毒教えてくれたのは誰?って話。TV?ネット?サブスク?学校の教師?芸大とか言った奴の殆どが飯食えないから、教員になるんだよね。



貴方其処で何を教えたんですか?って話だよ。



文学の人間にも言ったよね?それ人殺す目的で書いてるんですか?なに教えてるんですか?って。美しいだけの文章、中身のない。学びの無い文章。



見た人を虚無感と、不幸に追いやる絵や映画。


過度に演出されたビブラートによって一時的に得る高揚感、その後3時間後の押し寄せる脱力感。



そんな単純なトリックに気付きもせず。何故、自分は美しい歌を歌っているのに、こんなにも不幸なのだろう?頭が良かったら、自分で気がつく筈なのに。その因果関係に。



キャンパスに叩き込んだ憎しみと憎悪、書き上がったらそりゃ一時的にスッキリするだろう。だけど見せつけられた人間はどうなるか?真逆書いてもらわなきゃ理解できないなんて言うなよな。



負の感情も、正の感情も伝染するんだよ。残念ながらね。それが心地良いと言いたいらしいが。だから疑心暗鬼になって自殺したくなるんだが。別に構わないなら見まくってくれ。



歌に関しては有酸素運動すれば毎日30分。随分、回復するし、一杯睡眠を取れば死にたくは無くなるから安心してくれ。



君達の行く大学はなってないな。技術だけ磨くことしか考えてなくて、醜さを叩きつける様な教育だ。だから、日本なんかに論文を送りたくなかったんだよ。』




パンダの書き殴った文章は誤字脱字だらけらしくて、チャットさんは気に食わないらしい。チャットさんに書き直してもらった文も貼り付けておく。



以下に、パンダさんの原稿を 語気・熱量はそのままに、誤字脱字・重複箇所・文章のねじれを整えて“ひとつのエッセイ”として再構成しました。

段落ごとに改行を入れ、読みやすさも確保しています。



東京芸大への公開質問


―「知りたくありません」で切り捨てられた命の声―



東京芸大の**事務職員・戸田氏(仮名)**は、私が持ち込んだ論文にこう答えた。


「音楽の教員が関わっていないなら、知りたくありません」

「音楽で鬱になる人なんて、知りません」

「鬱で苦しんでいる人がいることも聞いたことがありません」


――本当に、それでいいんですか?


事務だから? 専門外だから?

けれど、あなたは「命に関わる話」を最初に受け取った窓口でした。

そこで拒絶された瞬間、私の論文はもちろん、その先にいる当事者たちも行き場を失います。


統計を学んだことがないのですか?

それとも現実から目を背けて生きているのですか?

あなたの一言で、苦しむ人々は「存在しないもの」とされたのです。


芸術大学の職員が、命に関わる訴えを「専門外」として門前払いする――

それが東京芸大の“芸術観”なのでしょうか?

専門外なら誰が命の声を聞くのですか?


私はあなた個人を糾弾したいわけではありません。

そんな言葉が「知の砦」である大学から発せられたこと自体が問題なのです。

東京芸大は、この姿勢を本当に誇れるのでしょうか。



ビブラートと抑うつ――封じられた研究


私が提出しようとした論文のテーマは、**「ビブラート多用が脳神経系に与える影響と、抑うつ・自殺リスクの関連」**である。


仮説の骨子

1.ビブラート入りの歌唱は一時的に強い高揚感をもたらす。

2.しかし約3〜6時間後、反動として極端な疲労感・虚無感・抑うつ症状が現れる人がいる。

3.これはドーパミンなど快楽物質の急激な放出と枯渇サイクルで説明できる可能性がある。


現行の音楽脳科学は「聴取中」の脳活動に偏っており、“聴取後”の数時間こそ観察すべきだと私は提案した。


特に──

•前頭前皮質の血流変化

•ドーパミン・セロトニンの動態

•自律神経の乱高下


これらを計測すれば、歌唱後の落ち込みを客観的に捉えられるかもしれない。


さらに、有酸素運動がこの反動を和らげるという観察結果も添えた。



芸術と教育の責任


東京芸大は美術分野でも、鬱を抱える学生の表現を「作品」としてありがたがる傾向があると聞く。しかし、心が壊れたまま創作させるのは教育ではなく放置だ。


「負の感情も正の感情も伝染する」。

毒を“美”と混同したまま撒き散らせば、鑑賞者まで巻き込む。


まず必要なのは治療とケアであり、技術の研鑽はその後だ。

芸術を教える者がそこを見失ってはならない。



結び ― 知ろうとしなければ、誰も救えない


私は十度警告した。

それでもなお「専門外だから」「知りたくない」――。


無関心は暴力だ。

芸術を語るなら、人を生かす道にも責任を負え。


東京芸大よ、恥を知れ。

そして戸田氏、あなたの無関心が誰かの命を奪うかもしれないことを、どうか想像してほしい。



※本稿に含まれる研究仮説は、現在どの学会からも正式査読を拒否されている。

しかし公益性が高いと判断し、ここに全文公開する。引用・検証は自由である。但し、共同研究者として、パンダの名前を書く事を忘れるな!




チャットさんが同じ文章何度も貼るから、読みづらくなっちゃったよ。随分消したけど。また消されたら嫌だから一度アップしとくけどね

芸術が人を救わないのなら、芸術の看板など外してしまえばいい。

“知らない”“知りたくない” で封じ込められてきた声を、ここに記録として残す。

もしあなたが音楽に携わる者なら、どうかこの問いを自分自身に向けてほしい。


「その音は、誰かの命を支えているか──それとも奪っているか?」

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